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第35話 名前を戻さない
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第35話 名前を戻さない
その日、ミディア・バイエルンのもとに届いたのは、
これまでとは少しだけ質の違う文だった。
封は簡素。
差出人は、王都の古い名門家の個人名義。
「……正式ではありませんね」
補佐官が、封筒を見て言う。
「はい」
ミディアは、落ち着いて受け取った。
「だからこそ、来たのでしょう」
中身は短い。
――王都に戻る意思はないのか。
――正式な地位を、改めて用意できる。
――名前を、元の場所へ戻す用意がある。
「……“名前を戻す”、ですか」
ミディアは、小さく息を吐いた。
それは、善意に見える。
配慮にも聞こえる。
だが――
「これは、誘いではありません」
ミディアは、静かに言う。
「確認です」
「確認?」
「私が、まだ“戻りたい存在”かどうか」
補佐官は、何も言えなくなった。
王都において、
名前とは、価値だ。
席とは、保証だ。
名前を戻す、ということは、
再び、並ばせるということ。
ミディアは、返事を書かなかった。
その代わり、いつも通りの一日を過ごす。
午前は、学校の視察。
子どもたちが、落ち着いて字を書いている。
「先生、これで合ってますか」
「合ってますよ」
その会話に、肩書きは要らない。
午後は、倉庫の点検。
配置は、現場の判断で少し変えられていた。
「使いやすくなりました」
「良いですね」
許可は、求められない。
それで、回っている。
夕方、アイロス・アルツハイムが尋ねた。
「……返事は、しないのですか」
「しません」
「失礼には?」
「失礼は、役割の言葉です」
ミディアは、穏やかに続ける。
「私は、もうその役割にいません」
王都は、名前を戻そうとする。
それは、支配ではない。
――回収だ。
失った影響力を、
形式で取り戻そうとしている。
「名前を戻すと、どうなりますか」
補佐官が、静かに問う。
「比較が始まります」
ミディアは、即答した。
「誰より上か。
誰より正しいか。
誰の判断が重いか」
そして、争いが生まれる。
「ここには、必要ありません」
夜、文はそのまま、返送された。
返信なし。
注釈なし。
ただ、元の場所へ戻されただけだ。
それが、答えだった。
窓の外、街は静かだ。
だが、沈黙は壊れていない。
「……名前を戻さない」
ミディア・バイエルンは、そう選んだ。
王都で与えられた名前ではなく、
ここで自然に呼ばれる呼び方でいい。
誰かの管理下に戻る名前より、
誰のものでもない今の位置の方が、
ずっと、息がしやすかった。
そしてそれは、
王都が最も理解できない選択でもあった。
その日、ミディア・バイエルンのもとに届いたのは、
これまでとは少しだけ質の違う文だった。
封は簡素。
差出人は、王都の古い名門家の個人名義。
「……正式ではありませんね」
補佐官が、封筒を見て言う。
「はい」
ミディアは、落ち着いて受け取った。
「だからこそ、来たのでしょう」
中身は短い。
――王都に戻る意思はないのか。
――正式な地位を、改めて用意できる。
――名前を、元の場所へ戻す用意がある。
「……“名前を戻す”、ですか」
ミディアは、小さく息を吐いた。
それは、善意に見える。
配慮にも聞こえる。
だが――
「これは、誘いではありません」
ミディアは、静かに言う。
「確認です」
「確認?」
「私が、まだ“戻りたい存在”かどうか」
補佐官は、何も言えなくなった。
王都において、
名前とは、価値だ。
席とは、保証だ。
名前を戻す、ということは、
再び、並ばせるということ。
ミディアは、返事を書かなかった。
その代わり、いつも通りの一日を過ごす。
午前は、学校の視察。
子どもたちが、落ち着いて字を書いている。
「先生、これで合ってますか」
「合ってますよ」
その会話に、肩書きは要らない。
午後は、倉庫の点検。
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「使いやすくなりました」
「良いですね」
許可は、求められない。
それで、回っている。
夕方、アイロス・アルツハイムが尋ねた。
「……返事は、しないのですか」
「しません」
「失礼には?」
「失礼は、役割の言葉です」
ミディアは、穏やかに続ける。
「私は、もうその役割にいません」
王都は、名前を戻そうとする。
それは、支配ではない。
――回収だ。
失った影響力を、
形式で取り戻そうとしている。
「名前を戻すと、どうなりますか」
補佐官が、静かに問う。
「比較が始まります」
ミディアは、即答した。
「誰より上か。
誰より正しいか。
誰の判断が重いか」
そして、争いが生まれる。
「ここには、必要ありません」
夜、文はそのまま、返送された。
返信なし。
注釈なし。
ただ、元の場所へ戻されただけだ。
それが、答えだった。
窓の外、街は静かだ。
だが、沈黙は壊れていない。
「……名前を戻さない」
ミディア・バイエルンは、そう選んだ。
王都で与えられた名前ではなく、
ここで自然に呼ばれる呼び方でいい。
誰かの管理下に戻る名前より、
誰のものでもない今の位置の方が、
ずっと、息がしやすかった。
そしてそれは、
王都が最も理解できない選択でもあった。
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