『婚約破棄された令嬢ですが、気づけば王国の基準になっていました』

ふわふわ

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第六話 市場のざわめき

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第六話 市場のざわめき

 王都の中央市場は、いつもよりわずかに騒がしかった。

 喧騒そのものは変わらない。魚売りの威勢のよい声、果物を並べる音、荷馬車の軋み。だが、その合間に混じる囁きが、どこか落ち着かない色を帯びている。

「今日の小麦、また少し上がったぞ」

「交易船が一隻、保証見直しだとさ」

「王宮が何か揉めているらしい」

 噂は、形を持たないまま広がる。

 原因を正確に理解している者は少ない。ただ、「何か」が変わったと感じている。

 ヴァルモンド侯爵家の書斎で、私は最新の相場速報を受け取った。

 国債利回り、さらに微増。

 交易保証料、正式に引き上げ。

 王都再開発区画の入札が、二件延期。

「……速いですわね」

 想定よりも半歩ほど早い。

 私は計算表を広げ、再度推計を走らせる。

 利回りがこのまま推移すれば、王国の借り換えコストは年内に三割増。

 再開発の資金繰りは逼迫する。

 だが、まだ危機ではない。

 これは“ざわめき”の段階。

 市場は揺れているが、転覆はしていない。

 ノックの音。

「お嬢様、王都の新聞が届いております」

 クララが一部を差し出す。

 見出しには大きく、こうある。

 《王太子、真実の愛を選ぶ》

 私は目を細める。

 紙面は、昨夜の婚約破棄を美談として描いていた。政略を断ち切り、愛を貫く若き王太子。寄り添う可憐な令嬢。

 そこに、財政や保証の話は一切ない。

 当然だ。

 数字は紙面を飾らない。

「世論は、殿下を支持しているようです」

 クララが言う。

「そうでしょうね」

 私は静かに新聞を畳む。

 民衆にとって、愛はわかりやすい物語だ。

 だが、国は物語だけでは回らない。

 昼過ぎ、父が書斎に入ってきた。

「王宮から通達があった」

「何か動きが?」

「財務顧問の後任を急ぎ選定するそうだ」

 私は小さく頷く。

「妥当ですわ」

「候補は三名。いずれも有能だが……実務経験は浅い」

 父は私を見た。

「お前ほど、裏で動かせる者はいない」

「評価は不要ですわ」

 私は淡々と答える。

「仕組みは残してあります。動かせるかどうかは、彼ら次第」

 父は椅子に腰を下ろす。

「王宮は、揺れを抑えられると思うか」

 私は少しだけ考えた。

「短期的には可能でしょう。保証の代替策を講じれば、利回りは落ち着きます」

「長期的には?」

「信頼を積み直す必要がございます」

 信頼は、数値化できない。

 だが市場は、それを嗅ぎ取る。

 午後、ローデン商会から正式な通知が届いた。

 保証料、二割増。

 私は目を通し、静かに封を閉じる。

 予想通り。

 商人は早い。

 王宮はまだ対策を講じていない。

 その差が、揺れを広げる。

 夕刻、王都から戻った家臣が報告を持ち帰った。

「再開発区画の石材納入業者が、契約見直しを求めております」

「理由は」

「保証料増加による原価上昇」

 私は深く息を吐く。

 連鎖は始まった。

 保証解除 → 保証料上昇 → 原価上昇 → 予算逼迫。

 理路整然とした流れ。

 だが、その背後で苦しむのは、職人や労働者だ。

 私は窓辺に立ち、丘の下を見下ろす。

 まだ、街は平穏だ。

 だが、じわじわと。

 水面下で広がる波紋。

 夜、王宮で緊急会議が開かれているとの報せが届いた。

 新顧問候補が招集されたという。

 遅くはない。

 だが、早くもない。

 私は机に戻り、帳簿を開く。

 ヴァルモンド家の資産配分をさらに調整する。

 王国依存度を、少し下げる。

 守るべきは家。

 それが私の役目。

 ふと、胸の奥がわずかに疼いた。

 これは、望んだ結果ではない。

 だが、予測した結果ではある。

 私は復讐者ではない。

 ただ、歯車を外しただけ。

 それでも、外れた穴は広がる。

 王太子殿下は、今この揺れをどう見ているのだろう。

 新聞の称賛に囲まれ、まだ気づいていないかもしれない。

 愛は拍手を生む。

 だが、信用は数字を生む。

 その差に、いつ気づくのか。

 書斎の灯りを落とす前に、私は最後に相場表を見つめた。

 利回りは、またわずかに上がっている。

 小さな数字。

 けれど、それは確かに王国の鼓動の変化だった。

 市場は、ざわめいている。

 そしてそのざわめきは、まだ始まったばかりなのだった。
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