白い仮面の結婚を捨てた私が、裁かれない場所を作るまで

ふわふわ

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第5話 静かな違和感

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第5話 静かな違和感

 

 帳簿を閉じたあとも、ジェシカの胸のざわめきは消えなかった。

 用途不明の資金。
 規則的な金額。
 同じ符号が繰り返し記されている、不自然さ。

(偶然、ではないわよね)

 書庫を出ると、ちょうど若い侍女が通りかかった。

「夫人、何かお探し物でしょうか?」

「いいえ。少し、昔の記録を読んでいただけよ」

 そう答えると、侍女は安心したように微笑んだ。

「最近、当主様もお忙しそうですね。
 夜遅くまで書斎の灯りが消えません」

「……そう」

 何気ない一言。
 けれど、それは昨日の違和感と静かにつながった。

 

 午後、ジェシカは女中頭のマルタを呼んだ。

 年配で、屋敷の内情をよく知る女性だ。

「最近、屋敷の支出で気になる点があるのだけれど」

 マルタは一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに表情を整えた。

「恐れながら……当主様の判断によるものかと」

「内容を知ることは?」

「……詳しくは」

 その曖昧な答えが、かえって確信を深める。

(皆、知っている。でも、語らない)

 

 夕刻、社交界の茶会に出席した。

 柔らかな音楽、甘い菓子、上品な笑い声。

「ジェシカ様、本当に幸せそうね」

 そう言われるたび、ジェシカは微笑んだ。

「ええ、とても」

 嘘ではない。
 ――少なくとも、表向きは。

 

「ところで……」

 扇子越しに、貴婦人の一人が声を落とした。

「ご主人、最近お見かけしませんわね」

「忙しい方ですから」

「でしょうね。
 “例の件”もありますもの」

 その言葉に、ジェシカの指が一瞬止まった。

「例の件、とは?」

 貴婦人は、しまった、という顔をして笑った。

「まあ、ただの噂ですわ。
 お忘れになって」

 だが、噂という言葉ほど、社交界で真実に近いものはない。

 

 夜。
 アルヴィンはやはり書斎に籠もっていた。

 ジェシカは、紅茶を持って扉を叩く。

「入っていい?」

 一拍置いてから、低い声が返った。

「どうぞ」

 書斎の中は、整然としていた。
 書類も、机の上も、完璧に。

「夜遅くまで大変ね」

「当主の務めです」

 それ以上でも、それ以下でもない言葉。

 

「最近、屋敷の支出を確認したの」

 静かに切り出す。

「用途が分からないものが、いくつかあったわ」

 アルヴィンの手が止まった。

「当主権限の支出です」

「夫人には、説明の必要がない?」

 視線が、ゆっくりとこちらに向けられる。

「詮索する必要はありません」

 声は穏やかだが、拒絶ははっきりしていた。

 

 ジェシカは、深く息を吸った。

「私は、あなたを疑いたいわけじゃない」

 ――嘘ではない。
 けれど、信じきれなくなっているのも事実。

「ただ……この結婚が“白い誓約”である以上、
 何も知らされないままでいるのは、不安なの」

 アルヴィンは、しばらく黙っていた。

「不安を感じる必要はありません」

 そう言い切る。

「あなたは、守られています」

 その言葉が、なぜか胸に刺さった。

(守られている、という名の隔離)

 

 寝室に戻ったジェシカは、灯りを落とし、静かに考えた。

 支出。
 噂。
 沈黙。

 すべてが、同じ方向を指している。

(知らなければ、選ぶこともできない)

 この結婚を続けるのか。
 信じるのか。
 壊すのか。

 ――そのためには、まず真実が必要だ。

 ジェシカは、ゆっくりと目を閉じた。

 微笑みの裏で、
 小さな決意が、確かに形を持ち始めていた。

 次は、偶然ではなく、
 “自分の意思”で知りに行く。

 白い仮面の奥へ。
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