二世代の伝説の歌姫 〜ラストナンバーは終わらない〜

ふわふわ

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第1章‑2:仮面の下の声

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第1章‑2:仮面の下の声

 夜の倉庫スタジオは、昼間の教室とは別世界だった。白い防音パネルに囲まれ、床には分厚いカーペット。天井から吊るされたLEDライトがやわらかな光を放ち、壁際にはパソコンと小さなミキサーデスクが並ぶ。まるで秘密基地のようなその一角に、白河優は立っていた。

 彼女の前には、シンプルな銀色のマイク。スタンドにはポップガードが取り付けられ、その向こうに映るのは、髪をまとめ、前髪をクリップで留めた“Yuu”だった。目を伏せたままの優は、今まさに歌い手としての“顔”を装着しようとしている。

 「準備はいい?」
 当麻明の声が、静かなスタジオに響く。

 優は小さくうなずいた。手の中でぎゅっとペンを握りしめるように、両手を合わせて深呼吸を一度だけ。息を吐くと同時に視界がクリアになり、彼女はマイクに向かって軽く口を開いた。

 「……いくね……」
 かすれそうな小声だが、その一音は確かな意思を帯びていた。

 やがてイントロのピアノが流れ出す。
 優の身体がリズムを感じ取り、肩から力が抜けていく。彼女はゆっくりと目を閉じ、音に身を委ねる。
 深い呼吸のあと、歌い出されたのは、まるで天から降り注ぐような澄んだ声だった。

 ——一音、一音、丁寧に。
 ——この声を、ただ真っ直ぐに届けたい。

 歌声はか弱くもあり、しかし同時に胸を揺さぶるような強さを秘めていた。感情を抑えることなく流し込むビブラート、息継ぎのたびに滲む微かな震え。そこには、長い前髪の奥に隠していた本当の“白河優”が映し出されているようだった。

 モニター越しに二つの瞳が揺れる。
 「すごい……」と泉の声。

 彼女はYuuの一番の理解者だった。最初にこの声を聴いたとき、胸の奥がきゅうと締め付けられ、涙が勝手にあふれたという――その夜、泉が明に向かって「この子、絶対に有名になる」と語った理由が、今はっきりと理解できる。

 「声の粒が、ひとつ残らず伝わってくる……」
 明がレンズを覗き込みながらつぶやく。撮影機材を操る手が止まり、思わず息をのんだ。

 優の表情は見えない。だが歌い終えた瞬間、その声はほんの一瞬だけ微かに揺れた。息を切らすでもなく、ふわりとマイクから身体を離し、彼女はかすれた声で呟く。

 「……ありがとう、ございました……」

 その小さな一言には、演技も計算もない。歌い手としての完璧さの裏側にある、人間らしい弱さが滲んでいた。

 録音ボタンを切ると、スタジオには再び静寂が戻る。モニターには波形が残り、くっきりとした山と谷が刻まれている。

 「これ、絶対にいい。アップしたら、すぐコメントが降ってくるよ」
 明がマイクを外しながら笑いかける。

 だが優の頬は、ほんのり紅潮している。

 「うん……でも、恥ずかしい……」
 彼女は目を伏せ、小声で付け加えた。

 「どうして?」
 泉が優の肩に手を置き、優しい声をかける。

 「……歌っているときの私が、本当に私だから……でも、みんなに見られると思うと……」
 優は指先で前髪を触り、もぞもぞと動いた。

 「地味子って呼ばれていた頃よりも、ずっと勇気を出さなきゃいけないから?」
 泉はにっこり笑い、優の背中をそっと押した。

 「そう……だから、この歌を届けたいんだ。誰かの心に、少しでも光を灯せるなら」

 優の声は、ほんの少しだが強さを帯びていた。

 ——仮面の下に秘められた、本当の声。
 ——Yuuとして解き放たれた、その感情。

 静かなスタジオの片隅で、三人はそれぞれに誓うように頷いた。

 この歌声は、ただの歌ではない。
 白河優という一人の少女の、勇気と希望の証なのだ。

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