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第31話 エピローグ
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第31話 エピローグ
――飴ちゃんやろうか?――
朝の空気は、少しだけ油の匂いが混じっていた。
じゅう、と鉄板の上で音が鳴る。
白い湯気が立ち上り、甘辛い香りが通りに広がっていく。
「……ええ音やな」
ステラ・ダンクルは、ヘラを持ったまま満足そうに頷いた。
修道院の裏庭だった場所は、今では小さな屋台になっている。
派手な看板はない。
だが、朝から人は絶えなかった。
「ステラさん、今日も焼くの?」
「焼くで」
即答だった。
「焼かん理由、ある?」
子どもが笑う。
大人が、肩の力を抜く。
ここはもう、“修道院”ではない。
けれど――人が腹を満たす場所であることは、変わらなかった。
教会は、何も言わなくなった。
声明も、通達も、視察もない。
取り込もうとした“最後の一手”は、
出す前に意味を失っていた。
なぜなら――
誰も、求めていなかったからだ。
正義は、要らんと言われた。
だから、来なかった。
「はい、お待ち」
ステラは、こんがり焼けたお好み焼きを皿に乗せる。
「これ、ええ匂いやなぁ」
「そらそうよ」
にっと笑う。
「粉もんやからな」
隣の鍋では、たこ焼きがころころ転がっている。
少し奥では、紫色のグレープの菓子が冷やされていた。
「令嬢向け、やろ?」
「せや」
ステラは、真顔で頷く。
「ニコっと笑って、歯に青のりついとったら、
台無しやろ?」
その場に、くすくすと笑いが広がった。
修道女だった者たちは、今もここにいる。
だが、もう“修道女”ではない。
料理を手伝う者。
子どもの面倒を見る者。
計算が得意な者は、材料の管理をしている。
「……不思議ですね」
元修道女の一人が、ぽつりと呟いた。
「聖女様がいなくなって、
教会も離れて……」
「せやのに」
ステラは、鉄板から目を離さず言った。
「人、減ってへんやろ」
「……はい」
むしろ、増えた。
それは、“施し”ではないからだ。
買う者もいる。
手伝って食べる者もいる。
余った分を、誰かに回す者もいる。
上下がない。
選別もない。
ただ、腹が減ったら、ここに来る。
「なあ、ステラさん」
常連の男が、皿を持って言った。
「教会、どうなるんやろな」
「知らんがな」
即答だった。
「うちは、
粉と水と火の心配しかしてへん」
男は、笑った。
遠くで、鐘が鳴った。
だが、誰も振り向かない。
鐘の音より、
鉄板の音の方が、ここでは大事だった。
昼下がり。
王太子アッシュが、ふらりと顔を出した。
「……相変わらずだな」
「どないしたん」
ステラは、ヘラを置かずに言う。
「国の正義、立て直し中や」
「ご苦労さん」
「……戻る気は?」
ステラは、一瞬だけ手を止めた。
「戻って、何すんの」
「……聖女として」
その言葉に、ステラは吹き出した。
「無理無理」
「奇跡も魔法も、
ここでは焼かれへん」
鉄板を、軽く叩く。
「これが、うちの全力や」
アッシュは、苦笑した。
「……強いな」
「ちゃう」
ステラは、首を振る。
「うるさいだけや」
夕方。
店じまいの準備をしながら、ステラは独り言を呟いた。
「お好み焼きやグレープ作るときな」
誰に向けるでもなく。
「一番大切なんは、
鉄板の温度ちゃう」
手を止める。
「それを、
誰かのために作ろうっていう、
気持ちなんや」
一瞬、静かになる。
そして――
「あかん」
顔をしかめる。
「今の、ええこと言いすぎや」
頭を掻いて、ぶつぶつ言う。
「……アカン、バクリや」
周囲が、笑う。
「ほら、最後のやつ」
ステラは、残った皿を差し出した。
「これは、おまけやで」
懐から、飴を取り出す。
ころん、と手のひらに落とす。
「ほな、気ぃつけて帰り」
夕焼けの中、屋台の灯りが揺れる。
ここに、聖女はいない。
正義も、いない。
いるのは――
粉もん焼いて、
飴配って、
やかましく笑う女ひとり。
それで、充分やった。
ステラ・ダンクルは、
今日も鉄板を磨きながら思う。
「……やっぱりな」
「静かなザマアなんて、
うちには無理やわ」
そう言って、にっと笑った。
――飴ちゃんやろうか?――
朝の空気は、少しだけ油の匂いが混じっていた。
じゅう、と鉄板の上で音が鳴る。
白い湯気が立ち上り、甘辛い香りが通りに広がっていく。
「……ええ音やな」
ステラ・ダンクルは、ヘラを持ったまま満足そうに頷いた。
修道院の裏庭だった場所は、今では小さな屋台になっている。
派手な看板はない。
だが、朝から人は絶えなかった。
「ステラさん、今日も焼くの?」
「焼くで」
即答だった。
「焼かん理由、ある?」
子どもが笑う。
大人が、肩の力を抜く。
ここはもう、“修道院”ではない。
けれど――人が腹を満たす場所であることは、変わらなかった。
教会は、何も言わなくなった。
声明も、通達も、視察もない。
取り込もうとした“最後の一手”は、
出す前に意味を失っていた。
なぜなら――
誰も、求めていなかったからだ。
正義は、要らんと言われた。
だから、来なかった。
「はい、お待ち」
ステラは、こんがり焼けたお好み焼きを皿に乗せる。
「これ、ええ匂いやなぁ」
「そらそうよ」
にっと笑う。
「粉もんやからな」
隣の鍋では、たこ焼きがころころ転がっている。
少し奥では、紫色のグレープの菓子が冷やされていた。
「令嬢向け、やろ?」
「せや」
ステラは、真顔で頷く。
「ニコっと笑って、歯に青のりついとったら、
台無しやろ?」
その場に、くすくすと笑いが広がった。
修道女だった者たちは、今もここにいる。
だが、もう“修道女”ではない。
料理を手伝う者。
子どもの面倒を見る者。
計算が得意な者は、材料の管理をしている。
「……不思議ですね」
元修道女の一人が、ぽつりと呟いた。
「聖女様がいなくなって、
教会も離れて……」
「せやのに」
ステラは、鉄板から目を離さず言った。
「人、減ってへんやろ」
「……はい」
むしろ、増えた。
それは、“施し”ではないからだ。
買う者もいる。
手伝って食べる者もいる。
余った分を、誰かに回す者もいる。
上下がない。
選別もない。
ただ、腹が減ったら、ここに来る。
「なあ、ステラさん」
常連の男が、皿を持って言った。
「教会、どうなるんやろな」
「知らんがな」
即答だった。
「うちは、
粉と水と火の心配しかしてへん」
男は、笑った。
遠くで、鐘が鳴った。
だが、誰も振り向かない。
鐘の音より、
鉄板の音の方が、ここでは大事だった。
昼下がり。
王太子アッシュが、ふらりと顔を出した。
「……相変わらずだな」
「どないしたん」
ステラは、ヘラを置かずに言う。
「国の正義、立て直し中や」
「ご苦労さん」
「……戻る気は?」
ステラは、一瞬だけ手を止めた。
「戻って、何すんの」
「……聖女として」
その言葉に、ステラは吹き出した。
「無理無理」
「奇跡も魔法も、
ここでは焼かれへん」
鉄板を、軽く叩く。
「これが、うちの全力や」
アッシュは、苦笑した。
「……強いな」
「ちゃう」
ステラは、首を振る。
「うるさいだけや」
夕方。
店じまいの準備をしながら、ステラは独り言を呟いた。
「お好み焼きやグレープ作るときな」
誰に向けるでもなく。
「一番大切なんは、
鉄板の温度ちゃう」
手を止める。
「それを、
誰かのために作ろうっていう、
気持ちなんや」
一瞬、静かになる。
そして――
「あかん」
顔をしかめる。
「今の、ええこと言いすぎや」
頭を掻いて、ぶつぶつ言う。
「……アカン、バクリや」
周囲が、笑う。
「ほら、最後のやつ」
ステラは、残った皿を差し出した。
「これは、おまけやで」
懐から、飴を取り出す。
ころん、と手のひらに落とす。
「ほな、気ぃつけて帰り」
夕焼けの中、屋台の灯りが揺れる。
ここに、聖女はいない。
正義も、いない。
いるのは――
粉もん焼いて、
飴配って、
やかましく笑う女ひとり。
それで、充分やった。
ステラ・ダンクルは、
今日も鉄板を磨きながら思う。
「……やっぱりな」
「静かなザマアなんて、
うちには無理やわ」
そう言って、にっと笑った。
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