婚約破棄された令嬢は、誰にも選ばれずに選び続ける

ふわふわ

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第3話 揺らぎ始めた歯車

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第3話 揺らぎ始めた歯車

 王都では、まだ祝祭の余韻が残っていた。

 聖女セシリアの存在は、婚約破棄という醜聞を覆い隠すには十分だった。
 貴族たちは口々に彼女を称え、王城では「次の奇跡はいつか」「どの場で披露されるのか」といった話題で持ちきりだ。

「聖女様がいらっしゃれば、この国は安泰だ」
「神の祝福を受けた方ですもの」

 そんな言葉を耳にするたび、私はどこか遠い場所の出来事を聞いているような感覚に陥った。

 ノルディス家の執務室。
 朝の光が差し込む中、私は机に向かい、いつも通り書類を確認していた。

 だが、今日は違う。
 一枚、また一枚と目を通すたび、違和感が積み重なっていく。

「……想定より、早いですね」

 交易報告書に記された数字は、確かに誤りではない。
 だが、動きが鈍い。
 返答が遅れ、調整が滞り、決定が先送りにされている。

 以前なら、あり得なかった。

 私は小さく息を吐き、別の書類を手に取る。
 そこには、王都の商会から届いた正式な問い合わせが挟まっていた。

『最近、窓口が混乱しております。
 担当者が定まらず、話が二転三転しています』

 行間に滲む困惑は、容易に想像できた。

 これまでは、私が整理していた。
 誰に何を任せ、どこまでを誰が判断するのか。
 それを明文化し、摩擦を最小限に抑えていた。

 ――それが、消えた。

「私がいなくなっただけ、なのですが」

 それだけで、組織はここまで不安定になる。
 人は替えがきくと言いながら、実際には“仕組み”が替えられないのだ。

 一方、王都のエドガー・バルディンの執務室では、焦燥が静かに膨らんでいた。

「また差し戻しだと?」

 彼は報告書を睨みつけ、苛立ちを隠そうともしない。

「はい。表記が曖昧だと……」
「そんな細かいことで!」

 声を荒げたものの、誰も頷かない。
 かつてなら、ここで自然と補足が入り、修正案が出ていた。

 だが、今は誰も動かない。

「……次は失敗するな」

 そう言うしかなかった自分に、エドガーは内心で舌打ちした。
 彼はまだ認めていない。
 自分が“管理されていた側”だったという事実を。

 その頃、セシリアは王城の一室で、侍女に囲まれていた。

「聖女様、次の祈りの場ですが――」
「……少し、休ませていただけませんか」

 不安げな声。
 祈れば奇跡が起きる、と皆は言うが、彼女自身はその感覚を掴めずにいる。

 最初の“奇跡”は、偶然だった。
 それが持ち上げられ、期待され、再現を求められる。

「神は……いつも、気まぐれなのです」

 その言葉に、侍女たちは頷いた。
 疑問は、信仰という言葉で包み込まれていく。

 だが、数字と現実は誤魔化せない。

 夕刻。
 私は領地の管理責任者と向かい合い、報告を受けていた。

「王都側の返答が遅れています。こちらの提案は妥当ですが……」
「構いません。こちらは予定通り進めてください」

 即断即決。
 それだけで、場の空気が安定する。

「お嬢様が戻られて、本当に助かります」

 そう言われ、私はわずかに首を振った。

「私が特別なのではありません」
「決める人間が、決めているだけです」

 夜。
 一人になった書斎で、私はふと、窓の外を見上げた。

 王都の喧騒は、ここまで届かない。
 だが、歯車が噛み合わなくなった音は、確かに伝わってくる。

「聖女という“光”が強すぎるのですね」

 光が強ければ、影も濃くなる。
 影に押し込められた問題は、やがて一気に噴き出す。

 婚約破棄は、終わりではなかった。
 それは、均衡が崩れる合図に過ぎない。

 冷たい令嬢と呼ばれた私は、ただ静かに席を外しただけ。
 それでも世界は、私の不在に気づき始めている。

 ――気づくには、まだ少し、時間が必要だというだけで。
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