婆になる前に、嫁に行きます ――私が下賜を受け入れた理由――

ふわふわ

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第12話 静かな選別

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第12話 静かな選別

アークトゥルス侯爵の不在が十日を越えた頃、
屋敷の中では、目に見えない線が引かれ始めていた。

それは命令でも、通達でもない。
ただの空気だ。

タニアの前では、
人は正しい振る舞いをする。

それだけで、
多くのことが変わった。

「奥様、本日の支出報告です」

差し出された帳簿は、
これまでより丁寧にまとめられている。

数字に、誤魔化しがない。
書式も整っている。

――改善された。

だが、
それが誰の手によるものかは、
すでに把握していた。

タニアは、
帳簿を閉じて言う。

「ご苦労様です。
こちらは保管しておいてください」

それだけ。

褒めない。
だが、否定もしない。

その距離感が、
使用人たちを落ち着かせていた。

昼過ぎ、
中庭で小さな騒ぎが起きる。

荷の積み下ろしが遅れている。
原因は、指示系統の混乱。

「誰の判断だ?」

声を荒げたのは、
以前から問題のあった下働き頭だった。

「……奥様のご指示が、
まだ出ておりませんでしたので」

責任を、
彼女に押し付けようとする。

タニアは、
一瞬、目を伏せる。

次に顔を上げたとき、
声は静かだった。

「その指示は、
昨日の夕刻に出しています」

手元の紙を示す。

日時。
署名。
受領印。

動かぬ証拠。

周囲が、
一斉に黙る。

「確認を怠ったのは、
どなたですか」

責める口調ではない。
だが、逃げ道もない。

下働き頭は、
言葉を失った。

「今回は、
作業を優先してください」

タニアは、
それ以上追及しなかった。

だが、
その日の夜。

彼女は、
帳簿とは別の記録帳を開く。

名前。
立場。
過去の事例。

そこに、
新しい一行を書き加えた。

――判断力に欠ける。
――責任転嫁の傾向あり。

処断は、
まだ。

だが、
評価は済んだ。

数日後、
同じ下働き頭が、
別の小さな不正を起こす。

今度は、
目撃者が複数いた。

タニアは、
その場で処断しない。

「報告書を提出してください」

それだけ告げる。

夜、
その報告書は、
彼女の机に置かれた。

言い訳だらけの文章。
矛盾の多い内容。

タニアは、
一文字ずつ目を通し、
静かにため息をついた。

――ここまで。

翌朝、
彼女は侍女長を呼ぶ。

「配置を、
少し変えましょう」

名目は、
効率化。

実際には、
問題のある者を、
影響力の少ない位置へ移す。

理由は、
正当だ。

誰も、
反論できない。

こうして、
屋敷の中から、
少しずつ歪みが取り除かれていく。

力で押さえつけない。
恐怖で縛らない。

ただ、
正確に、
静かに、
選別する。

それが、
タニアのやり方だった。

夜、
彼女は窓辺に立つ。

遠くの空を見つめながら、
思う。

もし、
後宮に残っていたら。

彼女は、
誰かの機嫌を伺い、
老い、
価値を失い、
静かに消えていたかもしれない。

だが今は、
違う。

ここには、
彼女の判断が、
形として残っている。

アークが戻ったとき、
この屋敷は、
彼女がいなくても回るだろう。

それこそが、
最大の評価だ。

タニアは、
そっと目を閉じた。

生き残るとは、
叫ぶことではない。

必要とされ続けることだと、
彼女は知っていた。
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