婚約破棄は、他人事ですので

ふわふわ

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第九話 次は、どこが崩れるのか

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第九話 次は、どこが崩れるのか

 王都では、ひとつの話題が完全に終わったあとにだけ生まれる、独特の静けさがあった。
 誰も口にはしないが、誰もが次を探している。
 社交界とは、そういう場所だ。

 アバンダンティア・コーニュコピアは、その静けさの中に身を置きながら、ゆっくりと情報を拾っていた。
 舞踏会や大きな茶会ではない。
 むしろ、規模の小さな集まりや、廊下での立ち話、馬車の乗り降りの一瞬。
 そうした場所のほうが、余計な装飾のない本音が落ちている。

「……最近、あの家、静かですわね」

 伯爵夫人たちの何気ない一言。
 それは決して非難ではなく、心配でもない。
 ただの観測だ。

「ええ。少し前まで、あんなに動いていたのに」

 別の夫人が相槌を打つ。
 話題はそれ以上深まらず、紅茶の味へと移っていく。
 だが、その短いやり取りだけで十分だった。

 動いていた家が、動かなくなる。
 それは、何かが詰まり始めている証拠だ。

 アバンダンティアは、その名を心の中で整理する。
 直接口に出す必要はない。
 噂とは、名前を出さずに共有される段階に入ったとき、もっとも信頼度が高くなる。

 午後、別の場でも似た空気を感じた。

「次の舞踏会、あの家が主催でしたわよね」

「ええ……ただ、少し予定が変わるかもしれない、と」

 理由は語られない。
 だが、「変わるかもしれない」という言葉は、十分すぎるほど雄弁だった。

 婚約。
 結婚。
 それにまつわる予定は、家の安定を示す指標だ。
 そこが揺らぎ始めると、周囲は一斉に気づく。

 アバンダンティアは確信する。

 次は、あそこだ。

 夕刻、王都の回廊でマーキュリー・ヘルメスと自然に合流した。
 約束をしたわけではない。
 だが、この時間帯、この場所で顔を合わせるのは、もはや偶然とは言い難い。

「……空気が、変わりましたね」

 マーキュリーが低く言う。

「ええ」

 アバンダンティアは頷いた。

「皆さま、次を探し始めています」

 彼は、少しだけ考え込むような表情を見せた。

「具体的な名前は、出ていますか」

「直接は、まだですわ」

「ですが?」

「視線が集まっています」

 どの家が話題にされ、
 どの家が避けられているか。
 その差は、言葉よりも態度に表れる。

 マーキュリーは、静かに息をついた。

「……なるほど。
 確かに、同じ方向を向いていますね」

 アバンダンティアは、ほんの少しだけ微笑んだ。

「観測している限り、次は――」

 二人は、ほぼ同時に同じ家名を思い浮かべていた。
 だが、口には出さない。

 確信が一致したことだけで、十分だった。

「今回は」

 マーキュリーが言う。

「前回よりも、準備段階が長い」

「ええ」

 アバンダンティアは淡々と答える。

「ですから、
 起きたときの反動も大きいでしょう」

 社交界は、安定を好む。
 長く抑えられていた不安ほど、破裂したときの音は大きい。

「……観るだけで、終わりますか」

 マーキュリーの問いに、彼女はすぐには答えなかった。

 しばらく歩き、周囲の人影が途切れたところで、静かに言う。

「それは、まだ分かりません」

 観測するだけなのか。
 それとも、選んで観に行くのか。

 違いは、ほんの一歩だ。
 だが、その一歩を踏み出した瞬間、立場は変わる。

「ただ」

 アバンダンティアは続けた。

「次は、
 確実に“舞踏会”になりますわ」

 表に出る。
 人が集まる。
 視線が揃う。

 見世物として成立する条件が、すでに整いつつある。

 マーキュリーは、わずかに口角を上げた。

「……やはり、
 退屈はしなさそうですね」

「ええ」

 アバンダンティアは頷いた。

「観覧席は、
 まだ最前列ですもの」

 だが、その席は、
 もう“偶然座っている場所”ではない。

 次に起きる婚約破棄は、
 見逃されることはない。

 そして――
 それを観に行くかどうかを、
 選べる段階に、
 二人はすでに足を踏み入れていた。
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