『時間を止める女は、もういない』

ふわふわ

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第二十話 返書が届くまで

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第二十話 返書が届くまで


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朝の港町は、少しだけ騒がしい。
昨夜の風が嘘のように穏やかで、波は岸辺を優しく撫でている。

エルメス・シャネルは、宿の小さな机に置いた封書を見つめていた。
昨夜書き上げた返書。
女王ルイス・クイーン宛ての、それは、決意でも拒絶でもない、途中の言葉だった。

「……焦る必要は、ない」

そう自分に言い聞かせ、封書を丁寧に封じる。

それは、王都にいた頃には、決してできなかったことだ。
常に求められ、常に応え、常に“即答”を迫られてきた。

今は違う。
答える速度も、言葉の重さも、
自分で選べる。

朝食を終え、宿を出ると、港の入り口に見慣れない人物が立っていた。
旅装束を身にまとい、姿勢は控えめだが、立ち居振る舞いに品がある。

一目でわかる。
——王都からの使者。

視線が合うと、男は一歩下がり、深く頭を下げた。

「エルメス・シャネル様で、間違いありませんか」

その呼び方に、
胸の奥が、ほんのわずかに揺れた。

「……はい」

名を呼ばれても、
役割は、背負わない。

それを、彼女はもう、知っている。

「女王陛下より、
 お返事をお預かりするよう、命を受けております」

使者は、封筒を差し出すことも、
急かすこともなかった。

ただ、そこに立っている。

「……こちらも、返書があります」

エルメスは、昨夜の封書を差し出す。

使者は、それを受け取り、
決して中身を確認しない。

「承りました」

それだけ。

だが、立ち去る前に、
彼は一つだけ、付け加えた。

「陛下は……
 お返事がいつになっても、
 それを待つと仰せでした」

その言葉は、
命令でも、圧力でもない。

ただの、意思表示だった。

使者が去った後、
エルメスはしばらく、その場に立ち尽くした。

——待つ、という選択。

それは、
彼女が、長く与えられなかったものだ。

午後、宿の裏庭では、
昨日より少人数の女性たちが集まっていた。

「今日は……来ないでみようと思ったんです」

そう言って、
一人の女性が、途中で帰っていく。

誰も、引き止めない。
エルメスも、頷くだけだった。

「それで、いい」

境界線は、
守られている。

その日のお茶会は短く、
話題も、軽いものだった。

——最近、よく眠れるようになったこと。
——鏡の前で、ため息をつく回数が減ったこと。
——“今日は何もしない”日を、責めなくなったこと。

エルメスは、聞くだけ。
助言は、必要最低限。

「……あなたは、戻るんですか?」

不意に、誰かが尋ねた。

エルメスは、少し考え、
そして、正直に答える。

「……まだ、わかりません」

「でも」

言葉を続ける。

「戻るとしたら、
 以前と同じ形では、ありません」

それは、
自分自身への宣言でもあった。

夕暮れ。
海は、茜色に染まり、
町は、ゆっくりと夜へ向かう。

部屋に戻ったエルメスは、
机の引き出しを開けた。

そこには、
王都から届いた最初の手紙は、もうない。

返したからではない。
“保留”から、“やり取り”に変わったからだ。

「……返書が届くまで」

彼女は、窓辺に腰を下ろし、
遠くの水平線を見つめる。

焦らない。
逃げない。
流されない。

ただ、
選ぶ準備をする。

それが、
二十話目にして、
エルメス・シャネルが
ようやく手に入れた立場だった。

王都の返事が、
どんな言葉を運んでくるのか——
それは、まだ、誰にもわからない。

だが一つだけ、確かなことがある。

もう二度と、
自分の人生を、
他人の正しさに委ねることはない。

その静かな確信とともに、
夜は、港町を包み込んでいった。
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