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第二十四話 女たちの選んだ未来
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第二十四話 女たちの選んだ未来
---
港町に、噂は遅れて届く。
だが、一度届けば、波のように広がる。
「……聞いた?」
「王都で、あの話が正式に出たらしいわ」
市場の片隅、魚籠の影で交わされる小声。
酒場の裏口、洗濯場、縫い物をする手を止めた一瞬——
女たちは、同じ話題を共有していた。
エルメス・シャネルは、王都に戻らなかった。
それは、失脚でも、拒絶でもない。
女王の招請を受けながら、
自らの意思で、港町に留まった——
そう、伝えられている。
「……戻らなかった、って」
「普通なら、考えられないわよね」
誰かが言い、
誰かが首を振る。
「でも……」
「だからこそ、よ」
言葉は続かない。
続けなくても、伝わる。
エルメスは、
この日も、いつもと同じ朝を迎えていた。
早起きし、
宿の裏庭で簡単な体操をし、
湯を沸かし、
静かに茶を淹れる。
特別なことは、何もない。
だが、
町の空気は、確実に変わっていた。
午前中、
裏庭に訪れたのは、見慣れない顔だった。
「……ここ、で合ってます?」
年の頃は、三十代後半。
服は質素だが、仕立てがいい。
地方貴族の妻——
そう見て取れる。
「ええ。
どうぞ」
エルメスは、名を尋ねない。
相手も、名乗らない。
それが、
この場所の“作法”になっていた。
「王都から……少し、離れて来ました」
女性は、椅子に腰を下ろし、
一息つく。
「噂を、聞いて。
……あなたが、戻らなかったこと」
「そうですか」
「正直……」
女性は、言葉を探す。
「最初は、失望しました」
エルメスは、表情を変えない。
「でも、
次の日、目が覚めて……
ふと思ったんです」
視線が、下に落ちる。
「“じゃあ、私は、どう生きるんだろう”って」
——若くあること。
——美しくあること。
——衰えないこと。
「全部、
あなたの魔法に、
預けていたんだって」
女性は、苦笑する。
「……卑怯ですよね」
エルメスは、首を振った。
「卑怯ではありません。
それが、許されていた社会だっただけです」
女性の目が、少し見開かれる。
「でも」
エルメスは、続ける。
「今は、
“預け先”が、なくなった」
それは、
残酷にも聞こえる。
だが同時に——
自由でもある。
「……だから、来ました」
女性は、顔を上げる。
「若くなる方法を、
教えてほしいわけじゃありません」
少し、間を置く。
「年を取ることを、
怖がらない方法を、
知りたくて」
その言葉に、
エルメスは、ゆっくりと息を吸った。
「……それは、
私にも、まだ、答えきれていません」
正直な答え。
「でも」
エルメスは、
自分の胸に、そっと手を置く。
「怖がっていい。
不安になっていい。
それを、誰かに“消してもらう”
必要は、ない」
女性の目に、
涙が滲む。
「……あなた、ずるいわ」
「?」
「追放されたのに、
いちばん、自由そう」
エルメスは、
ほんの少しだけ、笑った。
午後になると、
裏庭には、自然と人が集まった。
常連もいれば、
初めての顔もいる。
誰も、
“若返り”を求めない。
話題は、
生活のこと。
体のこと。
心のこと。
「最近、鏡を見るのが、嫌じゃなくなった」
「しわが増えた分、
笑った回数も、増えてた」
そんな言葉が、
ぽつり、ぽつりと落ちる。
エルメスは、
中心に立たない。
助言も、結論も、
押し付けない。
ただ、
そこに在る。
それだけで、
場は、自然に回っていく。
夕方、
港町に、王都からの正式な布告が届いた。
——アンフェアリの廃嫡、追放は、
正式なものとする。
——エルメス・シャネルの罪状は、
存在しない。
——彼女の帰還を、
強制することはない。
人々は、ざわめいた。
「……完全に、終わったわね」
「ええ。
でも——」
言葉の続きを、
誰も言わない。
なぜなら、
その“続き”は、
もう、別の場所で始まっているから。
夜。
エルメスは、一人、港を歩く。
波の音。
灯り。
遠くで鳴る、船の汽笛。
かつて、
王国中の女たちが、
彼女の魔法に縋った。
だが今——
彼女は、
魔法を使わずに、
女たちの背中を支えている。
それは、
アンフェアリが、
決して理解できなかった力。
——支配ではない。
——若さでもない。
選ばせる、という力。
エルメス・シャネルは、
立ち止まり、夜空を見上げる。
自分が選ばれなかった未来。
だが、
自分が選んだ今。
「……これで、いい」
誰に言うでもなく、
そう呟く。
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港町に、噂は遅れて届く。
だが、一度届けば、波のように広がる。
「……聞いた?」
「王都で、あの話が正式に出たらしいわ」
市場の片隅、魚籠の影で交わされる小声。
酒場の裏口、洗濯場、縫い物をする手を止めた一瞬——
女たちは、同じ話題を共有していた。
エルメス・シャネルは、王都に戻らなかった。
それは、失脚でも、拒絶でもない。
女王の招請を受けながら、
自らの意思で、港町に留まった——
そう、伝えられている。
「……戻らなかった、って」
「普通なら、考えられないわよね」
誰かが言い、
誰かが首を振る。
「でも……」
「だからこそ、よ」
言葉は続かない。
続けなくても、伝わる。
エルメスは、
この日も、いつもと同じ朝を迎えていた。
早起きし、
宿の裏庭で簡単な体操をし、
湯を沸かし、
静かに茶を淹れる。
特別なことは、何もない。
だが、
町の空気は、確実に変わっていた。
午前中、
裏庭に訪れたのは、見慣れない顔だった。
「……ここ、で合ってます?」
年の頃は、三十代後半。
服は質素だが、仕立てがいい。
地方貴族の妻——
そう見て取れる。
「ええ。
どうぞ」
エルメスは、名を尋ねない。
相手も、名乗らない。
それが、
この場所の“作法”になっていた。
「王都から……少し、離れて来ました」
女性は、椅子に腰を下ろし、
一息つく。
「噂を、聞いて。
……あなたが、戻らなかったこと」
「そうですか」
「正直……」
女性は、言葉を探す。
「最初は、失望しました」
エルメスは、表情を変えない。
「でも、
次の日、目が覚めて……
ふと思ったんです」
視線が、下に落ちる。
「“じゃあ、私は、どう生きるんだろう”って」
——若くあること。
——美しくあること。
——衰えないこと。
「全部、
あなたの魔法に、
預けていたんだって」
女性は、苦笑する。
「……卑怯ですよね」
エルメスは、首を振った。
「卑怯ではありません。
それが、許されていた社会だっただけです」
女性の目が、少し見開かれる。
「でも」
エルメスは、続ける。
「今は、
“預け先”が、なくなった」
それは、
残酷にも聞こえる。
だが同時に——
自由でもある。
「……だから、来ました」
女性は、顔を上げる。
「若くなる方法を、
教えてほしいわけじゃありません」
少し、間を置く。
「年を取ることを、
怖がらない方法を、
知りたくて」
その言葉に、
エルメスは、ゆっくりと息を吸った。
「……それは、
私にも、まだ、答えきれていません」
正直な答え。
「でも」
エルメスは、
自分の胸に、そっと手を置く。
「怖がっていい。
不安になっていい。
それを、誰かに“消してもらう”
必要は、ない」
女性の目に、
涙が滲む。
「……あなた、ずるいわ」
「?」
「追放されたのに、
いちばん、自由そう」
エルメスは、
ほんの少しだけ、笑った。
午後になると、
裏庭には、自然と人が集まった。
常連もいれば、
初めての顔もいる。
誰も、
“若返り”を求めない。
話題は、
生活のこと。
体のこと。
心のこと。
「最近、鏡を見るのが、嫌じゃなくなった」
「しわが増えた分、
笑った回数も、増えてた」
そんな言葉が、
ぽつり、ぽつりと落ちる。
エルメスは、
中心に立たない。
助言も、結論も、
押し付けない。
ただ、
そこに在る。
それだけで、
場は、自然に回っていく。
夕方、
港町に、王都からの正式な布告が届いた。
——アンフェアリの廃嫡、追放は、
正式なものとする。
——エルメス・シャネルの罪状は、
存在しない。
——彼女の帰還を、
強制することはない。
人々は、ざわめいた。
「……完全に、終わったわね」
「ええ。
でも——」
言葉の続きを、
誰も言わない。
なぜなら、
その“続き”は、
もう、別の場所で始まっているから。
夜。
エルメスは、一人、港を歩く。
波の音。
灯り。
遠くで鳴る、船の汽笛。
かつて、
王国中の女たちが、
彼女の魔法に縋った。
だが今——
彼女は、
魔法を使わずに、
女たちの背中を支えている。
それは、
アンフェアリが、
決して理解できなかった力。
——支配ではない。
——若さでもない。
選ばせる、という力。
エルメス・シャネルは、
立ち止まり、夜空を見上げる。
自分が選ばれなかった未来。
だが、
自分が選んだ今。
「……これで、いい」
誰に言うでもなく、
そう呟く。
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