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第13話 再び伸びる手と、はっきりした拒絶
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第13話 再び伸びる手と、はっきりした拒絶
婚約発表から一週間。
屋敷の中は相変わらず静かで、私の生活も何一つ変わっていない。
朝はゆっくり起き、紅茶を飲み、本を読む。
午後は気の向くままに過ごし、夜は早めに休む。
――完璧な、いつも通り。
けれど、その「静けさ」を許容できない人間は、やはり存在した。
「お嬢様……本日は、少々厄介なお知らせがございます」
午前中、マルタがそう切り出した時点で、私はだいたい察していた。
「厄介、ということは」
「はい。お察しの通りでございます」
彼女は一呼吸置いてから、続けた。
「王城より、正式な招待状が届いております」
私は、手にしていた本をそっと閉じた。
「正式、ですのね」
「はい。名目は“近況報告と祝意の表明”。ただし……」
「ただし?」
「同席者として、ユージェーヌ王太子殿下のお名前がございます」
その瞬間も、私の胸は騒がなかった。
驚きも、怒りもない。
あるのは、はっきりとした理解だけ。
(……来ましたわね)
これは祝意ではない。
確認でもない。
失ったものが、本当に失われたのかを、
本人の目で確かめに来るための場だ。
「お返事は、どうなさいますか?」
マルタの声には、わずかな緊張が滲んでいる。
私は、迷わなかった。
「お断りしてくださいな」
「理由は……」
「体調、予定、すべて不都合。まとめてで結構です」
即答だった。
以前の私なら、こうは言えなかった。
王家からの招待は、断るだけで“無礼”になる。
けれど今は、立場が違う。
私は王太子の婚約者ではない。
そして、王家に従属する令嬢でもない。
「……承知いたしました」
マルタは深く一礼し、部屋を出ていった。
その背中を見送りながら、私は静かに息を吐く。
(これで終わるとは、思えませんけれど)
案の定だった。
昼過ぎ、父から使いが来た。
『王城が、面会を“要請”に切り替えた』
その一文だけで、状況は十分に分かった。
招待を断られたことで、向こうの自尊心が刺激されたのだ。
そして、“話し合う必要がある”という形にすり替えた。
「父上は、どうお考えですか?」
私が尋ねると、父は即座に答えた。
「却下だ」
その声は、明確だった。
「婚約はすでに解消されている。今さら話し合う必要はない」
私は、わずかに目を伏せた。
「……ありがとうございます」
「礼を言われることではない」
父は、きっぱりと言う。
「お前は、もう王家の都合で呼び出される立場ではない」
その言葉は、私の中に深く沈んだ。
それは保護ではなく、承認だった。
夕方、グラーフ侯爵家から一通の書簡が届いた。
差出人は、アルベリク・フォン・グラーフ。
短い文面。
> 王城からの接触について、報告を受けた。
あなたが対応する必要はない。
こちらから、必要な線引きを行う。
私は、その文字をじっと見つめた。
(……本当に、迷いがありませんのね)
感情的でも、攻撃的でもない。
ただ、淡々と、しかし確実に。
それが、どれほど心強いか。
夜、私は自室でランプを灯し、窓辺に立った。
外はすっかり暗く、街の灯りが点々と瞬いている。
ユージェーヌ王太子は、何を考えているのだろう。
後悔か。
未練か。
それとも、ただの自尊心か。
(……どれでも、構いませんわ)
重要なのは、
私がもう、その中心にいないという事実だ。
再び伸びてきた手を、
私は自分で振り払ったわけではない。
けれど。
拒絶は、はっきりと成立している。
それは、私が選んだ距離を、
周囲がようやく理解し始めた証でもあった。
私はベッドに入り、静かに目を閉じる。
心は、揺れていない。
必要のない手を、
必要のない場所へ戻す。
それだけのことが、
こんなにも穏やかにできるようになった。
それが、今の私の立ち位置。
そして――
もう、後戻りすることはない。
婚約発表から一週間。
屋敷の中は相変わらず静かで、私の生活も何一つ変わっていない。
朝はゆっくり起き、紅茶を飲み、本を読む。
午後は気の向くままに過ごし、夜は早めに休む。
――完璧な、いつも通り。
けれど、その「静けさ」を許容できない人間は、やはり存在した。
「お嬢様……本日は、少々厄介なお知らせがございます」
午前中、マルタがそう切り出した時点で、私はだいたい察していた。
「厄介、ということは」
「はい。お察しの通りでございます」
彼女は一呼吸置いてから、続けた。
「王城より、正式な招待状が届いております」
私は、手にしていた本をそっと閉じた。
「正式、ですのね」
「はい。名目は“近況報告と祝意の表明”。ただし……」
「ただし?」
「同席者として、ユージェーヌ王太子殿下のお名前がございます」
その瞬間も、私の胸は騒がなかった。
驚きも、怒りもない。
あるのは、はっきりとした理解だけ。
(……来ましたわね)
これは祝意ではない。
確認でもない。
失ったものが、本当に失われたのかを、
本人の目で確かめに来るための場だ。
「お返事は、どうなさいますか?」
マルタの声には、わずかな緊張が滲んでいる。
私は、迷わなかった。
「お断りしてくださいな」
「理由は……」
「体調、予定、すべて不都合。まとめてで結構です」
即答だった。
以前の私なら、こうは言えなかった。
王家からの招待は、断るだけで“無礼”になる。
けれど今は、立場が違う。
私は王太子の婚約者ではない。
そして、王家に従属する令嬢でもない。
「……承知いたしました」
マルタは深く一礼し、部屋を出ていった。
その背中を見送りながら、私は静かに息を吐く。
(これで終わるとは、思えませんけれど)
案の定だった。
昼過ぎ、父から使いが来た。
『王城が、面会を“要請”に切り替えた』
その一文だけで、状況は十分に分かった。
招待を断られたことで、向こうの自尊心が刺激されたのだ。
そして、“話し合う必要がある”という形にすり替えた。
「父上は、どうお考えですか?」
私が尋ねると、父は即座に答えた。
「却下だ」
その声は、明確だった。
「婚約はすでに解消されている。今さら話し合う必要はない」
私は、わずかに目を伏せた。
「……ありがとうございます」
「礼を言われることではない」
父は、きっぱりと言う。
「お前は、もう王家の都合で呼び出される立場ではない」
その言葉は、私の中に深く沈んだ。
それは保護ではなく、承認だった。
夕方、グラーフ侯爵家から一通の書簡が届いた。
差出人は、アルベリク・フォン・グラーフ。
短い文面。
> 王城からの接触について、報告を受けた。
あなたが対応する必要はない。
こちらから、必要な線引きを行う。
私は、その文字をじっと見つめた。
(……本当に、迷いがありませんのね)
感情的でも、攻撃的でもない。
ただ、淡々と、しかし確実に。
それが、どれほど心強いか。
夜、私は自室でランプを灯し、窓辺に立った。
外はすっかり暗く、街の灯りが点々と瞬いている。
ユージェーヌ王太子は、何を考えているのだろう。
後悔か。
未練か。
それとも、ただの自尊心か。
(……どれでも、構いませんわ)
重要なのは、
私がもう、その中心にいないという事実だ。
再び伸びてきた手を、
私は自分で振り払ったわけではない。
けれど。
拒絶は、はっきりと成立している。
それは、私が選んだ距離を、
周囲がようやく理解し始めた証でもあった。
私はベッドに入り、静かに目を閉じる。
心は、揺れていない。
必要のない手を、
必要のない場所へ戻す。
それだけのことが、
こんなにも穏やかにできるようになった。
それが、今の私の立ち位置。
そして――
もう、後戻りすることはない。
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