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第14話 値札のない取引
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第14話 値札のない取引
《オーセンティック》に、
久しぶりに雨が降り込んだ朝だった。
石畳を叩く雨音は静かで、
行列もない。
扉の前には、
一台の馬車だけが止まっている。
豪奢ではない。
だが、
余計な装飾を削ぎ落としたその佇まいは、
乗り手の性格を雄弁に語っていた。
「……お見えです」
店員が低く告げる。
ジェニュインは、
紅茶のカップを置き、
一度だけ頷いた。
「お通しして」
現れたのは、
王都でも名の通った大商会の代表だった。
彼は、
深く頭を下げる。
「突然の訪問、
失礼いたします」
「構いませんわ。
ご用件を」
ジェニュインは、
応接室へ案内し、
向かい合って腰を下ろす。
「率直に申し上げます」
商会代表は、
すぐに本題に入った。
「我々は、
あなたの“石”を
取り扱いたい」
その言葉に、
店員がわずかに身を固くする。
だが、
ジェニュインは
眉一つ動かさなかった。
「……どの石を、でしょう?」
「すべて、です」
代表は、
自信ありげに言う。
「あなたが扱う
天然ガラスも、
宝石ではない石も。
すべて、
我々の流通網に乗せたい」
それは、
一見すれば
破格の提案だった。
王都のみならず、
他国へも広がる販路。
確実な利益。
名声。
誰もが
喉から手が出る条件だ。
「お値段は、
こちらでつけます」
代表は、
さらに続ける。
「適正価格。
市場が納得する価格です」
その言葉を聞いた瞬間、
ジェニュインは
静かに笑った。
「……それは、
お断りしますわ」
代表の表情が、
一瞬だけ固まる。
「理由を
伺っても?」
「ええ」
ジェニュインは、
穏やかに答えた。
「その取引には――
値札がついてしまうからです」
「……値札、ですか?」
代表は、
意味を測りかねた様子で
首を傾げる。
「価値を
数字で固定するということは、
理解を
止めるということですわ」
ジェニュインは、
はっきりと言った。
「私の石は、
“売れるもの”ではありません」
「……ですが、
現に売れている」
「ええ」
彼女は、
頷く。
「だからこそ、
流通させてはいけない」
代表は、
言葉を失った。
「……それでは、
あなたは何を
売っていると?」
ジェニュインは、
少しだけ考えてから答えた。
「選択です」
「選択……?」
「ええ」
彼女は、
窓の外の雨を一瞥する。
「欲しいかどうか。
分かるかどうか。
説明されなくても
手に取るかどうか」
「それらを
自分で選んだ人だけが、
持って帰る」
商会代表は、
しばらく沈黙した。
やがて、
苦笑を浮かべる。
「……あなたは、
随分と
商売に向かない」
「そうでしょうか?」
「ええ。
普通なら、
ここで首を縦に振る」
ジェニュインは、
肩をすくめた。
「普通の商売を
するつもりはありませんわ」
代表は、
静かに立ち上がる。
「……理解しました。
今回は、
引き下がりましょう」
そして、
去り際に
こう言った。
「ですが――
いずれ、
あなたは
無視できなくなる」
その言葉は、
脅しではなかった。
事実の予告だった。
午後。
店に残ったのは、
ジェニュインと
数人の店員だけ。
「……よろしかったのですか?」
一人が、
不安そうに尋ねる。
「ええ」
ジェニュインは、
帳簿を閉じる。
「価値を
急いで広げると、
必ず薄まります」
「ですが、
あの提案を
断れば……」
「大丈夫ですわ」
彼女は、
微笑んだ。
「値札のない取引は、
必ず
向こうから
求めてきます」
その夜。
社交界では、
新たな噂が流れていた。
「《オーセンティック》が
大商会の申し出を
断ったらしい」
「信じられない……
どれほどの条件だったか」
「でも……
それでこそ、
という気もするわね」
人々は、
ようやく気づき始めていた。
ジェニュイン・オーセンティックは、
利益を
最大化しようとしていない。
影響力を
拡大しようともしていない。
ただ――
価値を
安売りしない。
それだけだ。
同じ頃。
ノックオフ侯爵家で、
フォージェリは
その噂を聞いていた。
「……大商会を
断った?」
彼は、
信じられないという顔をする。
「あり得ない……
そんな愚かな選択……」
だが、
胸の奥で
何かが疼いた。
(……俺なら、
即座に
飛びついた)
それが、
自分と彼女の
決定的な差だと、
彼は
まだ認められない。
ジェニュインは、
夜の店内で
石を一つ、
手に取った。
値札はない。
説明もない。
ただ、
そこにある。
「……急がなくていい」
彼女は、
小さく呟く。
価値は、
理解されるまで
待てる。
そして――
待てる価値だけが、
最後に
残る。
石を売る女は、
この夜も
静かに灯りを落とした。
値札のない取引が、
最も高くつくことを
知る者だけが、
その扉を
叩くのだから。
《オーセンティック》に、
久しぶりに雨が降り込んだ朝だった。
石畳を叩く雨音は静かで、
行列もない。
扉の前には、
一台の馬車だけが止まっている。
豪奢ではない。
だが、
余計な装飾を削ぎ落としたその佇まいは、
乗り手の性格を雄弁に語っていた。
「……お見えです」
店員が低く告げる。
ジェニュインは、
紅茶のカップを置き、
一度だけ頷いた。
「お通しして」
現れたのは、
王都でも名の通った大商会の代表だった。
彼は、
深く頭を下げる。
「突然の訪問、
失礼いたします」
「構いませんわ。
ご用件を」
ジェニュインは、
応接室へ案内し、
向かい合って腰を下ろす。
「率直に申し上げます」
商会代表は、
すぐに本題に入った。
「我々は、
あなたの“石”を
取り扱いたい」
その言葉に、
店員がわずかに身を固くする。
だが、
ジェニュインは
眉一つ動かさなかった。
「……どの石を、でしょう?」
「すべて、です」
代表は、
自信ありげに言う。
「あなたが扱う
天然ガラスも、
宝石ではない石も。
すべて、
我々の流通網に乗せたい」
それは、
一見すれば
破格の提案だった。
王都のみならず、
他国へも広がる販路。
確実な利益。
名声。
誰もが
喉から手が出る条件だ。
「お値段は、
こちらでつけます」
代表は、
さらに続ける。
「適正価格。
市場が納得する価格です」
その言葉を聞いた瞬間、
ジェニュインは
静かに笑った。
「……それは、
お断りしますわ」
代表の表情が、
一瞬だけ固まる。
「理由を
伺っても?」
「ええ」
ジェニュインは、
穏やかに答えた。
「その取引には――
値札がついてしまうからです」
「……値札、ですか?」
代表は、
意味を測りかねた様子で
首を傾げる。
「価値を
数字で固定するということは、
理解を
止めるということですわ」
ジェニュインは、
はっきりと言った。
「私の石は、
“売れるもの”ではありません」
「……ですが、
現に売れている」
「ええ」
彼女は、
頷く。
「だからこそ、
流通させてはいけない」
代表は、
言葉を失った。
「……それでは、
あなたは何を
売っていると?」
ジェニュインは、
少しだけ考えてから答えた。
「選択です」
「選択……?」
「ええ」
彼女は、
窓の外の雨を一瞥する。
「欲しいかどうか。
分かるかどうか。
説明されなくても
手に取るかどうか」
「それらを
自分で選んだ人だけが、
持って帰る」
商会代表は、
しばらく沈黙した。
やがて、
苦笑を浮かべる。
「……あなたは、
随分と
商売に向かない」
「そうでしょうか?」
「ええ。
普通なら、
ここで首を縦に振る」
ジェニュインは、
肩をすくめた。
「普通の商売を
するつもりはありませんわ」
代表は、
静かに立ち上がる。
「……理解しました。
今回は、
引き下がりましょう」
そして、
去り際に
こう言った。
「ですが――
いずれ、
あなたは
無視できなくなる」
その言葉は、
脅しではなかった。
事実の予告だった。
午後。
店に残ったのは、
ジェニュインと
数人の店員だけ。
「……よろしかったのですか?」
一人が、
不安そうに尋ねる。
「ええ」
ジェニュインは、
帳簿を閉じる。
「価値を
急いで広げると、
必ず薄まります」
「ですが、
あの提案を
断れば……」
「大丈夫ですわ」
彼女は、
微笑んだ。
「値札のない取引は、
必ず
向こうから
求めてきます」
その夜。
社交界では、
新たな噂が流れていた。
「《オーセンティック》が
大商会の申し出を
断ったらしい」
「信じられない……
どれほどの条件だったか」
「でも……
それでこそ、
という気もするわね」
人々は、
ようやく気づき始めていた。
ジェニュイン・オーセンティックは、
利益を
最大化しようとしていない。
影響力を
拡大しようともしていない。
ただ――
価値を
安売りしない。
それだけだ。
同じ頃。
ノックオフ侯爵家で、
フォージェリは
その噂を聞いていた。
「……大商会を
断った?」
彼は、
信じられないという顔をする。
「あり得ない……
そんな愚かな選択……」
だが、
胸の奥で
何かが疼いた。
(……俺なら、
即座に
飛びついた)
それが、
自分と彼女の
決定的な差だと、
彼は
まだ認められない。
ジェニュインは、
夜の店内で
石を一つ、
手に取った。
値札はない。
説明もない。
ただ、
そこにある。
「……急がなくていい」
彼女は、
小さく呟く。
価値は、
理解されるまで
待てる。
そして――
待てる価値だけが、
最後に
残る。
石を売る女は、
この夜も
静かに灯りを落とした。
値札のない取引が、
最も高くつくことを
知る者だけが、
その扉を
叩くのだから。
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