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第13話 並んで書類仕事
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第13話 並んで書類仕事
午前の光が、執務室の大きな窓から静かに差し込んでいた。
机は二つ。
向かい合わせではなく、同じ方向を向いて並べられている。
ノエリアは、その配置を見た瞬間、ほんの少しだけ口元を緩めた。
(……視線を合わせ続ける必要がない)
それだけで、ずいぶんと楽だ。
「ここを使っていい」
アレストが、淡々と告げる。
「必要な書類は、棚の二段目だ」
「承知しました」
短いやり取りで、会話は終わる。
ノエリアは席につき、用意された資料に目を通し始めた。
内容は、北部領の物流に関する報告。
数字が多く、注釈も多い。
(……構成が、少し甘いですわね)
だが、眉をひそめるほどではない。
問題点は、明確だ。
彼女は、紙とペンを取り、要点を書き出す。
・遅延の主因
・改善余地
・短期的対策
・中長期の見直し案
無駄なく、簡潔に。
隣では、アレストが別の書類に目を通している。
紙をめくる音だけが、規則正しく響く。
沈黙。
だが、気まずさはない。
(……集中できますわ)
王宮での執務は、常に誰かの視線があった。
正しいか。
期待に応えているか。
ここでは――
“できているかどうか”だけが、基準だ。
しばらくして、アレストが口を開いた。
「……その資料、どう見る?」
視線は、書類に落としたまま。
だが、問いははっきりしている。
ノエリアは、ペンを置いた。
「現状把握はできていますが、優先順位が曖昧です」
「具体的には」
「遅延の原因が複数あるように見えて、
実際には輸送経路の一本化が最大の要因です」
彼女は、書いたメモを示す。
「ここを分散させるだけで、数値は改善します」
アレストは、メモに目を通し――
「……なるほど」
それだけ。
否定も、過剰な称賛もない。
だが、ノエリアは分かった。
(採用されましたわね)
その後、二人はそれぞれ作業に戻る。
言葉は少ないが、流れは止まらない。
やがて、別の資料に目を通していたアレストが、再び口を開く。
「この案、現実的か?」
差し出されたのは、税制に関する提案書。
ノエリアは、素早く目を走らせる。
「……短期では難しいですが、段階的に導入すれば可能です」
「反発は?」
「出ます。
ですが、補助策を同時に打てば抑えられます」
「……具体案は」
その問いに、ノエリアは一瞬だけ考え――即座に答えた。
「三段階です。
初年度は告知と試験導入。
二年目で一部地域。
三年目で全体適用」
アレストは、ペンを止めた。
そして、こちらを見る。
ほんの一瞬。
驚きとも、評価ともつかない表情。
「……速いな」
短い言葉。
だが、ノエリアの胸に、静かに響いた。
(“速い”だけ)
“完璧すぎる”でも、
“生意気”でも、
“出しゃばり”でもない。
ただ、事実。
「慣れていますので」
そう答えると、アレストは視線を戻した。
「そうか」
それで終わり。
――それが、何よりありがたい。
昼が近づく頃、執事が軽くノックをする。
「お二人とも、昼食の準備が整いました」
「分かった」
アレストが答え、書類を閉じる。
ノエリアも、ペンを置いた。
「続きは、午後でいい」
「はい」
食堂へ向かう途中、ノエリアはふと思った。
(……仕事が、仕事として扱われている)
誰かの機嫌を取るためでも、
評価を得るためでもない。
ただ、必要だからやる。
それだけ。
昼食は、簡素だが栄養の整ったものだった。
会話は、ほとんどない。
だが、沈黙は相変わらず穏やかだ。
午後。
再び執務室へ戻る。
今度は、ノエリアから声をかけた。
「こちらの報告書ですが……
数字の出所が曖昧です」
アレストは、書類を受け取り、確認する。
「……確かに」
「確認が必要だと思います」
「任せていいか」
その言葉に、ノエリアは一瞬だけ目を瞬かせ――
「はい」
と、答えた。
(……任せる)
それは、
命令ではなく、
押し付けでもない。
信頼だ。
夕刻。
執務室に、柔らかな橙色の光が差し込む。
今日の作業は、一区切りついていた。
「……今日は、ここまでにしよう」
アレストが言う。
「お疲れさまでした」
ノエリアは、自然とそう口にしていた。
アレストは、一瞬だけこちらを見て――
「……ああ」
短く、頷く。
それだけ。
だが、その返事は、どこか柔らかかった。
自室に戻ったノエリアは、椅子に腰を下ろし、深く息を吐いた。
(……疲れていませんわ)
むしろ、心地よい。
仕事をしただけ。
それを、正しく扱ってもらっただけ。
(こんなにも、違うのですね)
王宮での日々と。
誰かの隣で輝くのではなく、
自分の足で立つ。
その感覚が、静かに胸に満ちていた。
一方、アレストは、書斎で一人、考えていた。
(……並んで仕事ができる)
それは、
当たり前のようでいて、
意外と難しいことだ。
感情を挟まず、
能力だけで進められる相手。
(……悪くない)
そう思った瞬間、
彼は小さく眉をひそめた。
(いや……評価は、仕事だけだ)
自分に言い聞かせるように、思考を切り替える。
だが、その日の終わり。
二人は、同じ感想を抱いていた。
一緒に仕事をするのが、苦ではない。
それは、
契約結婚において、
想定以上に大きな意味を持つ事実だった。
そして、この“当たり前”が、
少しずつ――
別の感情を育て始めていることを、
二人は、まだ自覚していなかった。
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午前の光が、執務室の大きな窓から静かに差し込んでいた。
机は二つ。
向かい合わせではなく、同じ方向を向いて並べられている。
ノエリアは、その配置を見た瞬間、ほんの少しだけ口元を緩めた。
(……視線を合わせ続ける必要がない)
それだけで、ずいぶんと楽だ。
「ここを使っていい」
アレストが、淡々と告げる。
「必要な書類は、棚の二段目だ」
「承知しました」
短いやり取りで、会話は終わる。
ノエリアは席につき、用意された資料に目を通し始めた。
内容は、北部領の物流に関する報告。
数字が多く、注釈も多い。
(……構成が、少し甘いですわね)
だが、眉をひそめるほどではない。
問題点は、明確だ。
彼女は、紙とペンを取り、要点を書き出す。
・遅延の主因
・改善余地
・短期的対策
・中長期の見直し案
無駄なく、簡潔に。
隣では、アレストが別の書類に目を通している。
紙をめくる音だけが、規則正しく響く。
沈黙。
だが、気まずさはない。
(……集中できますわ)
王宮での執務は、常に誰かの視線があった。
正しいか。
期待に応えているか。
ここでは――
“できているかどうか”だけが、基準だ。
しばらくして、アレストが口を開いた。
「……その資料、どう見る?」
視線は、書類に落としたまま。
だが、問いははっきりしている。
ノエリアは、ペンを置いた。
「現状把握はできていますが、優先順位が曖昧です」
「具体的には」
「遅延の原因が複数あるように見えて、
実際には輸送経路の一本化が最大の要因です」
彼女は、書いたメモを示す。
「ここを分散させるだけで、数値は改善します」
アレストは、メモに目を通し――
「……なるほど」
それだけ。
否定も、過剰な称賛もない。
だが、ノエリアは分かった。
(採用されましたわね)
その後、二人はそれぞれ作業に戻る。
言葉は少ないが、流れは止まらない。
やがて、別の資料に目を通していたアレストが、再び口を開く。
「この案、現実的か?」
差し出されたのは、税制に関する提案書。
ノエリアは、素早く目を走らせる。
「……短期では難しいですが、段階的に導入すれば可能です」
「反発は?」
「出ます。
ですが、補助策を同時に打てば抑えられます」
「……具体案は」
その問いに、ノエリアは一瞬だけ考え――即座に答えた。
「三段階です。
初年度は告知と試験導入。
二年目で一部地域。
三年目で全体適用」
アレストは、ペンを止めた。
そして、こちらを見る。
ほんの一瞬。
驚きとも、評価ともつかない表情。
「……速いな」
短い言葉。
だが、ノエリアの胸に、静かに響いた。
(“速い”だけ)
“完璧すぎる”でも、
“生意気”でも、
“出しゃばり”でもない。
ただ、事実。
「慣れていますので」
そう答えると、アレストは視線を戻した。
「そうか」
それで終わり。
――それが、何よりありがたい。
昼が近づく頃、執事が軽くノックをする。
「お二人とも、昼食の準備が整いました」
「分かった」
アレストが答え、書類を閉じる。
ノエリアも、ペンを置いた。
「続きは、午後でいい」
「はい」
食堂へ向かう途中、ノエリアはふと思った。
(……仕事が、仕事として扱われている)
誰かの機嫌を取るためでも、
評価を得るためでもない。
ただ、必要だからやる。
それだけ。
昼食は、簡素だが栄養の整ったものだった。
会話は、ほとんどない。
だが、沈黙は相変わらず穏やかだ。
午後。
再び執務室へ戻る。
今度は、ノエリアから声をかけた。
「こちらの報告書ですが……
数字の出所が曖昧です」
アレストは、書類を受け取り、確認する。
「……確かに」
「確認が必要だと思います」
「任せていいか」
その言葉に、ノエリアは一瞬だけ目を瞬かせ――
「はい」
と、答えた。
(……任せる)
それは、
命令ではなく、
押し付けでもない。
信頼だ。
夕刻。
執務室に、柔らかな橙色の光が差し込む。
今日の作業は、一区切りついていた。
「……今日は、ここまでにしよう」
アレストが言う。
「お疲れさまでした」
ノエリアは、自然とそう口にしていた。
アレストは、一瞬だけこちらを見て――
「……ああ」
短く、頷く。
それだけ。
だが、その返事は、どこか柔らかかった。
自室に戻ったノエリアは、椅子に腰を下ろし、深く息を吐いた。
(……疲れていませんわ)
むしろ、心地よい。
仕事をしただけ。
それを、正しく扱ってもらっただけ。
(こんなにも、違うのですね)
王宮での日々と。
誰かの隣で輝くのではなく、
自分の足で立つ。
その感覚が、静かに胸に満ちていた。
一方、アレストは、書斎で一人、考えていた。
(……並んで仕事ができる)
それは、
当たり前のようでいて、
意外と難しいことだ。
感情を挟まず、
能力だけで進められる相手。
(……悪くない)
そう思った瞬間、
彼は小さく眉をひそめた。
(いや……評価は、仕事だけだ)
自分に言い聞かせるように、思考を切り替える。
だが、その日の終わり。
二人は、同じ感想を抱いていた。
一緒に仕事をするのが、苦ではない。
それは、
契約結婚において、
想定以上に大きな意味を持つ事実だった。
そして、この“当たり前”が、
少しずつ――
別の感情を育て始めていることを、
二人は、まだ自覚していなかった。
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