完璧すぎると言われ婚約破棄された公爵令嬢は、白い結婚のはずの冷徹公爵にいつの間にか溺愛されていました

ふわふわ

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第18話 王太子、来訪

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第18話 王太子、来訪

 その来訪は、予告されたものだった。

 王都からの正式な書状。
 文面は丁寧で、礼節を尽くしている。

 ――だが、行間に滲むのは焦りだった。

「王太子フィリオン・アルヴェーン殿下、
 明後日、非公式に来訪を希望」

 執事が淡々と読み上げる。

 ノエリアは、静かに息を吐いた。

(……来ましたわね)

 予想していた。
 むしろ、来ない方が不自然だった。

「対応は?」

 アレストが、短く問う。

 声に揺らぎはない。

「拒否する理由はありません」

 ノエリアは答える。

「ただし、条件は明確に」

「当然だ」

 その即答に、ノエリアはわずかに微笑んだ。

 ――ここでも、判断は共有されている。

 来訪当日。

 シュヴァルツクロイツ公爵家の正門前に、王家の馬車が停まった。

 過剰な装飾はない。
 だが、一目で“王家”と分かる格式。

 門が開き、フィリオン王太子が姿を現す。

 以前よりも、少し痩せたように見えた。
 表情には、かすかな緊張がある。

「……久しぶりだな」

 応接室に通され、ノエリアと対面した瞬間、彼はそう言った。

「ええ。
 ご無沙汰しております、殿下」

 ノエリアは、礼儀正しく一礼する。

 その所作は、完璧だ。
 だが――

(……距離が、ある)

 フィリオンは、それをはっきりと感じ取った。

 かつてのノエリアは、
 視線の角度一つ、声の調子一つで、
 彼の機嫌を読んでいた。

 今は違う。

 彼女は、“公爵夫人”として、
 対等な位置に立っている。

「突然の訪問を、詫びる」

「問題ありません」

 淡々とした返答。

 その様子に、フィリオンは言葉を探す。

「……体調は?」

 かつて、彼女が最も気にしていた言葉。

 ノエリアは、一瞬だけ目を瞬かせ――

「良好です」

 それだけ答えた。

 そこに、感情は乗らない。

「……そうか」

 沈黙。

 その空気を切ったのは、アレストだった。

「本日の用件を」

 余計な前置きは、許さない。

 フィリオンは、一度、拳を握りしめ――
 やがて、口を開いた。

「……君の結婚についてだ」

 ノエリアは、静かに頷く。

「既に、書面でお伝えしておりますが」

「それでも、直接聞きたかった」

 焦りが、声に滲む。

「本当に……
 それで、いいのか?」

 その問いは、
 王太子としてではなく――
 一人の男としてのものだった。

 だが。

「はい」

 ノエリアの答えは、即座だった。

「私は、自分の意思で選びました」

 迷いは、ない。

「殿下の婚約破棄を、恨んではおりません」

「……」

「ですが、戻るつもりもありません」

 その言葉は、
 静かで、冷静で――
 何よりも、明確だった。

 フィリオンの胸に、
 鈍い衝撃が走る。

(……戻らない)

 それは、
 可能性が消えたという意味だ。

「……君は」

 言葉が、詰まる。

「……何も、感じていないのか?」

 その問いに、
 ノエリアは少しだけ考えてから答えた。

「感じていますわ」

 フィリオンの目が、わずかに見開かれる。

「ですが」

 ノエリアは、続ける。

「それは、“過去”への感情です」

 今ではない。

 未来でもない。

「私は今、
 シュヴァルツクロイツ公爵夫人として、
 穏やかで、誠実な日々を過ごしています」

 隣で、アレストが静かに座っている。

 何も言わない。
 だが、その存在自体が――
 強い“現実”だった。

「……白い結婚だろう?」

 フィリオンは、最後の望みを掴むように言った。

「感情は、ないはずだ」

 その言葉に。

 アレストの視線が、わずかに動いた。

 だが、口を開く前に――
 ノエリアが答える。

「感情を、
 “要求されない”結婚です」

 静かな声。

「だからこそ、
 私は、初めて自分を大切にできています」

 フィリオンは、何も言えなかった。

 彼が与えなかったものを、
 彼女は、ここで手に入れている。

「殿下」

 ノエリアは、最後に言った。

「どうか、ご理解ください」

 理解してほしい。
 許してほしい、ではない。

 それが、
 もう同じ立場ではない証だった。

 長い沈黙の後。

「……失礼する」

 フィリオンは、そう言って立ち上がった。

 引き止める言葉は、ない。

 扉が閉まる。

 その瞬間、
 ノエリアは、ゆっくりと息を吐いた。

「……お疲れだな」

 アレストが、低く言う。

「ええ。
 少しだけ」

「今日は、もう休め」

「……はい」

 短い会話。

 だが、そこには確かな気遣いがあった。

 王太子の馬車が、屋敷を去る。

 フィリオンは、窓の外を見つめながら、思っていた。

(……遅すぎた)

 彼女は、もう――
 自分の手の届く場所にはいない。

 一方。

 ノエリアは、自室の窓辺で、
 遠ざかる馬車を見送っていた。

(……終わりましたわね)

 胸に、重さは残らない。

 ただ、
 一つの章が、静かに閉じただけだ。

 背後で、アレストが言う。

「……もう、来ないだろう」

「そうですね」

 ノエリアは、微笑んだ。

 過去は、ここに置いていく。

 彼女は、もう知っている。

 守られる場所は、
 取り戻す場所ではなく、
 自分で選ぶ場所なのだということを。


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