完璧すぎると言われ婚約破棄された公爵令嬢は、白い結婚のはずの冷徹公爵にいつの間にか溺愛されていました

ふわふわ

文字の大きさ
19 / 40

第19話 余波、そして静かな確定

しおりを挟む
第19話 余波、そして静かな確定

 王太子フィリオンの来訪から、三日が過ぎた。

 シュヴァルツクロイツ公爵家は、表向きには何事もなかったかのように静かだった。
 使用人の動きは規則正しく、執務は滞りなく進み、庭にはいつも通り穏やかな風が吹いている。

 だが――
 その“何も起きていない”という状態こそが、決定的な変化だった。

(……もう、波紋はここまで届いていませんわね)

 ノエリアは、執務室の窓から庭を眺めながら、そう思った。

 王太子の来訪後、
 王都からの追加の書状は、一通も届いていない。

 それはつまり――
 王宮側が、これ以上踏み込めないと判断したということだ。

 その事実に、胸がざわつくことはなかった。

 あるのは、ただ静かな納得だけ。

 午前の執務がひと段落した頃、
 アレストが書類を閉じ、短く告げた。

「王都の動きは、止まった」

 確認するような言い方ではない。
 報告だった。

「……そうですか」

 ノエリアは、ペンを置く。

「これ以上、非公式な接触はないだろう」

「正式なものは?」

「来るとすれば、書面だけだ。
 内容も、形式的なものになる」

 ノエリアは、小さく息を吐いた。

(……終わりましたわね)

 感情的な区切りではない。
 政治的で、現実的な終結。

 それが、今の自分にはちょうどよかった。

「判断は、正しかった」

 不意に、アレストが言った。

 主語は、ない。
 だが、誰の判断を指しているかは明白だった。

「ありがとうございます」

「礼を言う必要はない」

 いつもの返答。

 だが、その声はどこか柔らかい。

 午後、ノエリアは一人で資料室に向かった。

 王太子関連の書類――
 かつては山のように存在していたそれらは、
 今や最小限に整理されている。

 必要なものだけ。
 過去を振り返るためではなく、
 事実として保管するためのもの。

(……もう、感情は絡みません)

 その確認を、
 自分自身にする必要すらなくなっていた。

 資料室を出ると、
 廊下の向こうから、使用人たちの控えめな会話が聞こえてくる。

「……王太子殿下、もう来られないそうですわね」

「ええ。
 公爵様が、きっぱり対応なさったとか」

「奥様も……とても落ち着いていらしたそうで」

 ノエリアは、足を止めず、そのまま通り過ぎる。

 噂は、もう自分を揺らさない。

 夕刻。

 アレストは、屋敷の警備責任者から報告を受けていた。

「警戒態勢を、通常に戻します」

「急激に緩めるな」

「承知しております」

 指示は簡潔だ。

 だが、その内容は――
 “守る必要が薄れた”という事実を、静かに示していた。

 それは、危険が去ったという意味でもあり、
 同時に――

(……彼女は、もう狙われない)

 そう判断された、ということでもある。

 夜。

 食事の後、ノエリアは自室で紅茶を飲んでいた。

 ふと、扉がノックされる。

「……ノエリア」

 アレストの声。

「どうぞ」

 彼は部屋に入るが、以前と同じく、必要以上に踏み込まない。

「……一つ、確認しておきたい」

 珍しく、言葉を選んでいる様子だった。

「はい」

「今日一日……
 何か、不都合はなかったか」

 ノエリアは、少しだけ考え――微笑んだ。

「いいえ。
 とても、穏やかでした」

 その答えに、アレストはわずかに目を細める。

「……そうか」

 一拍。

「なら、問題ない」

 それだけ言って、立ち去ろうとする。

「アレスト様」

 ノエリアが、呼び止めた。

 彼は、足を止める。

「……ありがとうございました」

 静かな声。

「私が、過去に引き戻されなかったのは……
 あなたが、ここにいてくださったからです」

 感情をぶつける言い方ではない。
 事実を述べるだけの声音。

 だが。

 アレストは、即座に返事をしなかった。

 ほんの一瞬。

 沈黙。

「……それは、役割だ」

 ようやく、そう答える。

 だが、その言葉は、
 自分自身に言い聞かせているようでもあった。

「ええ」

 ノエリアは、穏やかに頷く。

「でも……
 私は、その役割に救われました」

 それ以上は、何も言わない。

 言葉にしすぎれば、
 今の距離が壊れてしまう気がしたからだ。

 アレストは、静かに部屋を出た。

 廊下を歩きながら、思う。

(……終わった、はずだ)

 王太子の件は、完全に片付いた。
 政治的にも、感情的にも。

 なのに。

(……なぜだ)

 ノエリアの「穏やかでした」という言葉が、
 胸の奥に、静かに残っている。

 ――彼女が、穏やかでいられる場所。

 それを守れたことに、
 自分が“満足している”と気づいた瞬間。

 彼は、足を止めた。

(……満足?)

 それは、契約に含まれていない感情だ。

 だが。

(……否定は、できない)

 一方、ノエリアは、窓辺に立ち、夜空を見上げていた。

 王都の灯りは、ここからは見えない。

 あるのは、
 静かな星と、
 変わらない日常。

(……本当に、終わりましたわ)

 もう、振り返る必要はない。

 過去は、片付いた。
 余波も、消えた。

 残ったのは――

(ここでの、日々)

 そして。

 ここにいる人。

 それが、
 これからどう変わっていくのかは――
 まだ、分からない。

 だが。

 ノエリア・シュヴァルツクロイツは、
 確信していた。

 少なくとももう、
 誰かの後悔のために生きることはない、と。

 それだけで、
 今は十分だった。


---

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~

由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。 両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。 そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。 王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。 ――彼が愛する女性を連れてくるまでは。

誰も愛してくれないと言ったのは、あなたでしょう?〜冷徹家臣と偽りの妻契約〜

山田空
恋愛
王国有数の名家に生まれたエルナは、 幼い頃から“家の役目”を果たすためだけに生きてきた。 父に褒められたことは一度もなく、 婚約者には「君に愛情などない」と言われ、 社交界では「冷たい令嬢」と噂され続けた。 ——ある夜。 唯一の味方だった侍女が「あなたのせいで」と呟いて去っていく。 心が折れかけていたその時、 父の側近であり冷徹で有名な青年・レオンが 淡々と告げた。 「エルナ様、家を出ましょう。  あなたはもう、これ以上傷つく必要がない」 突然の“駆け落ち”に見える提案。 だがその実態は—— 『他家からの縁談に対抗するための“偽装夫婦契約”。 期間は一年、互いに干渉しないこと』 はずだった。 しかし共に暮らし始めてすぐ、 レオンの態度は“契約の冷たさ”とは程遠くなる。 「……触れていいですか」 「無理をしないで。泣きたいなら泣きなさい」 「あなたを愛さないなど、できるはずがない」 彼の優しさは偽りか、それとも——。 一年後、契約の終わりが迫る頃、 エルナの前に姿を見せたのは かつて彼女を切り捨てた婚約者だった。 「戻ってきてくれ。  本当に愛していたのは……君だ」 愛を知らずに生きてきた令嬢が人生で初めて“選ぶ”物語。

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

後悔などありません。あなたのことは愛していないので。

あかぎ
恋愛
「お前とは婚約破棄する」 婚約者の突然の宣言に、レイラは言葉を失った。 理由は見知らぬ女ジェシカへのいじめ。 証拠と称される手紙も差し出されたが、筆跡は明らかに自分のものではない。 初対面の相手に嫉妬して傷つけただなど、理不尽にもほどがある。 だが、トールは疑いを信じ込み、ジェシカと共にレイラを糾弾する。 静かに溜息をついたレイラは、彼の目を見据えて言った。 「私、あなたのことなんて全然好きじゃないの」

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵令息から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

【完結】元悪役令嬢は、最推しの旦那様と離縁したい

うり北 うりこ@ざまされ2巻発売中
恋愛
「アルフレッド様、離縁してください!!」  この言葉を婚約者の時から、優に100回は超えて伝えてきた。  けれど、今日も受け入れてもらえることはない。  私の夫であるアルフレッド様は、前世から大好きな私の最推しだ。 推しの幸せが私の幸せ。  本当なら私が幸せにしたかった。  けれど、残念ながら悪役令嬢だった私では、アルフレッド様を幸せにできない。  既に乙女ゲームのエンディングを迎えてしまったけれど、現実はその先も続いていて、ヒロインちゃんがまだ結婚をしていない今なら、十二分に割り込むチャンスがあるはずだ。  アルフレッド様がその気にさえなれば、逆転以外あり得ない。  その時のためにも、私と離縁する必要がある。  アルフレッド様の幸せのために、絶対に離縁してみせるんだから!!  推しである夫が大好きすぎる元悪役令嬢のカタリナと、妻を愛しているのにまったく伝わっていないアルフレッドのラブコメです。 全4話+番外編が1話となっております。 ※苦手な方は、ブラウザバックを推奨しております。

愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。 それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。 一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。 いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。 変わってしまったのは、いつだろう。 分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。 ****************************************** こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏) 7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。

処理中です...