完璧すぎると言われ婚約破棄された公爵令嬢は、白い結婚のはずの冷徹公爵にいつの間にか溺愛されていました

ふわふわ

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第31話 近くて遠い、その一歩

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第31話 近くて遠い、その一歩

 白い結婚が終わった翌日。

 ノエリアは、これまでと同じ時間に目を覚ました。

 朝の光。
 鳥の声。
 屋敷の静けさ。

 ――何も変わっていない。

 そう思った瞬間、
 自分の胸が、わずかに早く打っていることに気づいた。

(……変わっていますわね)

 関係が。

 立場が。

 そして――
 自分の心の置き場所が。

 身支度を整え、
 廊下に出る。

 使用人たちは、いつも通り丁寧に挨拶をするが、
 その視線に、ほんの少しだけ違う色が混じっていた。

(……知っていますわね)

 昨日の出来事を、
 誰かが言いふらしたわけではない。

 だが、
 空気は嘘をつかない。

 執務室の前に立つ。

 一呼吸。

 ノックをする。

「……どうぞ」

 アレストの声。

 昨日と同じ。
 だが、
 どこか柔らかい。

 扉を開けると、
 彼はすでに立って待っていた。

「……おはようございます」

「おはよう、ノエリア」

 名前を呼ぶ声。

 それだけで、
 胸が、きゅっと締まる。

(……まだ、慣れませんわ)

 二人は、向かい合って立ったまま、
 しばらく沈黙した。

 昨日とは、違う沈黙。

 逃げるためではなく、
 距離を測るための沈黙。

「……まず、確認したい」

 先に口を開いたのは、アレストだった。

「昨日のことを、
 私は撤回しない」

 ノエリアは、頷く。

「私もです」

 即答。

 それでも。

 二人の間には、
 まだ一歩分の距離があった。

「……だが」

 アレストは、わずかに言葉を選ぶ。

「これまでと同じように、
 振る舞ってしまいそうな自分もいる」

 それは、弱さの告白だった。

 ノエリアは、少し驚き、
 それから、静かに微笑む。

「それは……
 私も同じですわ」

 彼女は、椅子に腰を下ろす。

「昨日までの距離が、
 急に消えるわけではありませんもの」

「ええ」

 アレストも、対面の椅子に座る。

 その配置が、
 すでに“以前とは違う”ことに、
 二人とも気づいていた。

「……ですから」

 ノエリアは、少しだけ勇気を出して言った。

「今日は……
 これまで通りで、よろしいのではありませんか」

「通り、とは?」

「仕事をして、
 話し合って、
 必要なら意見をぶつけ合う」

 彼女は、視線を逸らしつつ続ける。

「その中で……
 少しずつ、変わっていければ」

 アレストは、
 しばらく考え――
 ゆっくりと頷いた。

「……理にかなっている」

 それは、
 彼なりの最大限の肯定だった。

 午前の執務は、
 驚くほどスムーズに進んだ。

 いや、
 正確には――
 いつも通り、だった。

 書類を確認し、
 意見を交わし、
 必要な指示を出す。

 だが。

 ノエリアがペンを落とした瞬間、
 二人は同時に手を伸ばしていた。

 指先が、触れる。

 ほんの一瞬。

「……失礼」

「……いえ」

 二人とも、
 同時に手を引っ込める。

 沈黙。

 そして――
 同時に、苦笑した。

「……これは」

「慣れるまで、時間がかかりそうですわね」

 昼食も、同じだった。

 席は隣。
 距離は近い。

 だが、
 会話はどこか慎重だ。

「……味はどうだ」

「ええ、
 とても美味しいです」

 それだけで、
 十分すぎるほど、意識してしまう。

 午後。

 ノエリアは、
 少しだけ疲れた様子を見せた。

 アレストは、
 反射的に言いかける。

「……無理を」

 そして、止まった。

 言い方を、選び直す。

「……休憩を挟もう」

 ノエリアは、
 その変化に気づき、
 胸の奥が温かくなる。

(……変わろうとしてくださっている)

 夜。

 執務が終わり、
 二人は廊下を並んで歩いていた。

 以前なら、
 自然だった距離。

 今は――
 少しだけ、意識してしまう距離。

「……ノエリア」

 アレストが、静かに呼ぶ。

「はい」

「今日は……
 ありがとう」

「何に対してでしょうか」

「……隣にいてくれて」

 短い言葉。

 だが、
 それは“役割”ではなく、
 “感情”としての感謝だった。

 ノエリアは、
 一瞬、言葉に詰まり――
 それから、穏やかに答えた。

「こちらこそ」

「……一緒に、歩んでいけそうだと」

「そう思えました」

 廊下の突き当たりで、
 二人は足を止める。

 自室の前。

 別れ際。

 昨日なら、
 躊躇なく言えた言葉が、
 今日は少しだけ、喉につかえる。

「……おやすみなさい」

「ああ。
 おやすみ」

 扉が閉まる。

 一人になったノエリアは、
 胸に手を当て、静かに息を吐いた。

(……恋人になる、というのは)

 思っていたより、
 ずっと不器用で。

 けれど。

(……悪くありませんわね)

 一方、アレストもまた、
 自室で同じことを考えていた。

(……近づいたはずなのに)

(……まだ、遠い)

 だが。

(……この距離を、
 大切に縮めていこう)

 それが、
 彼の新しい決意だった。

 白い結婚は終わった。

 だが――
 恋は、始まったばかりだ。
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