完璧すぎると言われ婚約破棄された公爵令嬢は、白い結婚のはずの冷徹公爵にいつの間にか溺愛されていました

ふわふわ

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第30話 白が終わる日

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第30話 白が終わる日

 朝は、驚くほど穏やかだった。

 空は澄み、
 屋敷の中庭には柔らかな光が差し込んでいる。

 それが――
 今日という日を、よりはっきりと際立たせていた。

 ノエリアは、静かに身支度を整えていた。

(……来てしまいましたわね)

 昨日の夜から、
 心はずっと落ち着かない。

 それでも、不思議と恐怖はなかった。

 逃げたいとは、思わなかった。

(……向き合う、と決めたのですもの)

 それが、
 自分で選んだ答えだから。

 指定された時間。

 ノエリアは、執務室へ向かう。

 いつもと同じ廊下。
 いつもと同じ扉。

 だが――
 今日だけは、
 その向こうにあるものが、まったく違って感じられた。

 扉をノックする。

「……どうぞ」

 アレストの声。

 低く、落ち着いている。

 ノエリアは、扉を開けた。

 執務室には、
 彼一人しかいなかった。

 書類も、
 報告官も、
 使用人もいない。

 最初から、
 そのつもりだったのだろう。

「……おはようございます」

「ああ。
 来てくれて、ありがとう」

 その言い方が、
 すでに“いつもと違う”。

 二人は、向かい合って立ったまま、
 しばらく何も言わなかった。

 沈黙は、
 重くない。

 だが、
 軽くもない。

「……昨日の続きを」

 先に口を開いたのは、アレストだった。

「今日、話すと決めた」

 ノエリアは、頷く。

「はい」

 逃げない。
 逸らさない。

「私は……」

 彼は、深く息を吸い、
 そして、はっきりと言った。

「君を、
 契約上の妻としてではなく」

 一拍。

「一人の女性として、愛している」

 言葉は、
 飾られていない。

 逃げ道も、
 保険もない。

 それは、
 完全な告白だった。

 ノエリアの胸が、
 静かに、しかし確かに震えた。

 だが、
 涙は出なかった。

(……聞いてしまいました)

 けれど。

(……ずっと、待っていたのかもしれません)

「私は」

 アレストは、続ける。

「君を守りたいと考えていた。
 だが、それは理由にすぎない」

「今は――
 ただ、君の隣にいたい」

 彼の視線は、
 一切揺れない。

「それが、
 君にとって重荷になるなら」

「拒まれるなら」

 ほんの一瞬、
 声が低く沈む。

「私は、引く」

 それは、
 誠実な覚悟だった。

 ノエリアは、ゆっくりと息を吐いた。

(……この人は)

 自分を、
 “選ばせている”。

 縛らず、
 押しつけず、
 それでも逃げない。

 それが、
 どれほど難しいことか。

「……アレスト様」

 ノエリアは、
 静かに口を開いた。

「私は、
 もう一度、人を信じることが……
 少し、怖かった」

 彼は、何も言わない。

 ただ、聞いている。

「感情は、
 いつも正しいとは限りません」

「だから、
 白い結婚という形に、
 私は救われていました」

 それは、
 初めて語る本音だった。

「ですが……」

 ノエリアは、
 顔を上げる。

「今は」

 まっすぐに、彼を見る。

「その白さが、
 苦しくなっています」

 沈黙。

 だが、
 もう迷いはない。

「私は……」

 ノエリアは、
 ほんの一歩、前に出た。

 触れない距離。

 だが、
 これまでで一番近い。

「あなたの隣にいる時間を、
 “契約だから”とは、
 もう思えなくなりました」

 その言葉に、
 アレストの喉が、わずかに鳴る。

「……それは」

「はい」

 ノエリアは、
 小さく、しかし確かに頷いた。

「私も……
 あなたを、
 一人の男性として想っています」

 その瞬間。

 空気が、変わった。

 何かが、
 完全に終わり。

 何かが、
 確かに始まった。

 アレストは、
 ゆっくりと、歩み寄る。

 だが、
 触れない。

 最後の確認のように、
 低い声で言う。

「……後悔は」

「ありません」

 即答だった。

 次の瞬間。

 アレストは、
 そっと、ノエリアの手を取った。

 初めて、
 “迷いなく”。

 指先が、重なる。

 温度が、伝わる。

 それだけで、
 十分だった。

「……白い結婚は」

 アレストが言う。

「今日で終わりだ」

 ノエリアは、
 微笑んだ。

「ええ」

 穏やかに。

「これからは……
 白ではなくていいですわ」

 彼も、
 ほんのわずか、笑う。

 それは、
 今までで一番、柔らかな表情だった。

 こうして。

 契約は、役目を終えた。

 白い結婚は、
 破られたのではない。

 選ばれて、終わったのだ。


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