16 / 32
第十六話 移送
しおりを挟む
第十六話 移送
船底は、熱に満ちていた。
板の隙間から染み込む潮と、閉じ込められた汗の匂いが混ざり合う。
鎖が擦れる音が、一定の間隔で響く。
彼は目を開けた。
暗い。
だが揺れで分かる。
船だ。
甲板ではなく、下。
貨物のように積まれている。
腕には鉄の輪。
足首にも。
「外せ」
低く言う。
近くにいた男が顔を向ける。
肌の色も言葉も違う。
何かを返す。
意味は分からない。
彼は眉をひそめる。
「聞こえないのか」
命令口調。
男は笑わない。
ただ視線を逸らす。
返事もしない。
通じないのではない。
通じても、意味がない。
彼はようやく理解しかける。
ここでは命令は効力を持たない。
船が大きく揺れる。
誰かが嘔吐する。
水は少ない。
配給は乱暴だ。
器が投げられる。
こぼれた水を床から舐める者もいる。
彼は動かない。
「俺を誰だと思っている」
その言葉は、暗闇に溶けた。
返答はない。
時間の感覚が曖昧になる。
暑さ。
息苦しさ。
鎖。
夜か昼か分からない。
やがて船は止まる。
扉が開く。
光が差し込む。
目が痛む。
外へ引きずり出される。
湿った空気。
重たい熱。
高温多湿。
遠くで鳴る鳥の声。
地面は土。
石畳ではない。
建物は低く、粗い。
聞いたことのない言語が飛び交う。
彼は周囲を見渡す。
兵士が鎖を持つ。
鎖は外されない。
刻印台が用意される。
一人ずつ並ばされる。
腕を掴まれる。
焼けた鉄が押し当てられる。
焦げる音。
匂い。
皮膚が裂ける。
彼は叫ぶ。
怒鳴る。
振り払おうとする。
殴られる。
地面に倒れる。
「触れるな」
その言葉は通じない。
再び腕を掴まれる。
焼印が押される。
肉が焼ける。
彼は歯を食いしばる。
涙は出ない。
怒りが勝っている。
刻まれたのは番号。
名ではない。
誰かが何かを読み上げる。
分からない。
だがそれは、彼の身分ではない。
分類。
登録。
資産ではない。
担保でもない。
労働単位。
鎖が外される。
だが自由ではない。
背を押される。
歩かされる。
熱。
湿気。
土の道。
遠くに広がる鉱区。
穴。
煙。
うめき声。
彼は立ち止まる。
「ここは何だ」
答えはない。
押される。
転びかける。
支える者はいない。
足元がぬかるむ。
白い靴は泥に沈む。
誰も気にしない。
彼はまだ、信じている。
これは誤解だ。
すぐに訂正される。
すぐに迎えが来る。
自分は選ばれた存在だ。
この扱いは仮だ。
仮であるはずだ。
登録台の男が彼を見る。
視線は無感情。
彼は初めて、違和感を覚える。
軽蔑でもない。
畏怖でもない。
関心がない。
それが何より異質だった。
「連れて行け」
命令が飛ぶ。
通じる言語。
だが彼に向けられたものではない。
縄を持つ者が背を押す。
彼は歩く。
抵抗すれば殴られると分かった。
誇りはまだ折れていない。
だが、効力はない。
鉱区の入口で立ち止まる。
熱風が吹き出す。
中は暗い。
湿気がこもる。
誰かが呻く。
鎖の音。
彼は息を吸う。
重い。
空気が重い。
背中を押される。
闇の中へ。
その瞬間、
彼はまだ思っていた。
これは一時的なものだ。
自分は戻る。
戻るはずだ。
だが誰も、
彼を特別扱いしない。
その日から、
彼はただの一人になった。
名ではなく、
番号として。
船底は、熱に満ちていた。
板の隙間から染み込む潮と、閉じ込められた汗の匂いが混ざり合う。
鎖が擦れる音が、一定の間隔で響く。
彼は目を開けた。
暗い。
だが揺れで分かる。
船だ。
甲板ではなく、下。
貨物のように積まれている。
腕には鉄の輪。
足首にも。
「外せ」
低く言う。
近くにいた男が顔を向ける。
肌の色も言葉も違う。
何かを返す。
意味は分からない。
彼は眉をひそめる。
「聞こえないのか」
命令口調。
男は笑わない。
ただ視線を逸らす。
返事もしない。
通じないのではない。
通じても、意味がない。
彼はようやく理解しかける。
ここでは命令は効力を持たない。
船が大きく揺れる。
誰かが嘔吐する。
水は少ない。
配給は乱暴だ。
器が投げられる。
こぼれた水を床から舐める者もいる。
彼は動かない。
「俺を誰だと思っている」
その言葉は、暗闇に溶けた。
返答はない。
時間の感覚が曖昧になる。
暑さ。
息苦しさ。
鎖。
夜か昼か分からない。
やがて船は止まる。
扉が開く。
光が差し込む。
目が痛む。
外へ引きずり出される。
湿った空気。
重たい熱。
高温多湿。
遠くで鳴る鳥の声。
地面は土。
石畳ではない。
建物は低く、粗い。
聞いたことのない言語が飛び交う。
彼は周囲を見渡す。
兵士が鎖を持つ。
鎖は外されない。
刻印台が用意される。
一人ずつ並ばされる。
腕を掴まれる。
焼けた鉄が押し当てられる。
焦げる音。
匂い。
皮膚が裂ける。
彼は叫ぶ。
怒鳴る。
振り払おうとする。
殴られる。
地面に倒れる。
「触れるな」
その言葉は通じない。
再び腕を掴まれる。
焼印が押される。
肉が焼ける。
彼は歯を食いしばる。
涙は出ない。
怒りが勝っている。
刻まれたのは番号。
名ではない。
誰かが何かを読み上げる。
分からない。
だがそれは、彼の身分ではない。
分類。
登録。
資産ではない。
担保でもない。
労働単位。
鎖が外される。
だが自由ではない。
背を押される。
歩かされる。
熱。
湿気。
土の道。
遠くに広がる鉱区。
穴。
煙。
うめき声。
彼は立ち止まる。
「ここは何だ」
答えはない。
押される。
転びかける。
支える者はいない。
足元がぬかるむ。
白い靴は泥に沈む。
誰も気にしない。
彼はまだ、信じている。
これは誤解だ。
すぐに訂正される。
すぐに迎えが来る。
自分は選ばれた存在だ。
この扱いは仮だ。
仮であるはずだ。
登録台の男が彼を見る。
視線は無感情。
彼は初めて、違和感を覚える。
軽蔑でもない。
畏怖でもない。
関心がない。
それが何より異質だった。
「連れて行け」
命令が飛ぶ。
通じる言語。
だが彼に向けられたものではない。
縄を持つ者が背を押す。
彼は歩く。
抵抗すれば殴られると分かった。
誇りはまだ折れていない。
だが、効力はない。
鉱区の入口で立ち止まる。
熱風が吹き出す。
中は暗い。
湿気がこもる。
誰かが呻く。
鎖の音。
彼は息を吸う。
重い。
空気が重い。
背中を押される。
闇の中へ。
その瞬間、
彼はまだ思っていた。
これは一時的なものだ。
自分は戻る。
戻るはずだ。
だが誰も、
彼を特別扱いしない。
その日から、
彼はただの一人になった。
名ではなく、
番号として。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。
紺
ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」
実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて……
「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」
信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。
微ざまぁあり。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる