4 / 4
第4章 偽りの聖女と、婚約破棄から始まる本当の幸運
しおりを挟む「ここが、伝承に語られる“月蝕の森”……。記録によれば、この奥地に月の巫女の花の大群生地があるはず、なんですけど……」
木々が鬱蒼(うっそう)と生い茂り、昼間だというのに薄暗い森の奥。
わたくし――フランボワーズ・ド・シャルティエは、広げた地図を見つめながら、険しい顔をする王太子(だった)レオン殿下に声をかけた。
もっとも、今はその肩書が事実上空っぽ状態に近い。政務を放り出して、聖女カレン様を連れ出し、半ば強引に“月の巫女の花”を探す旅に突き進んだせいで、王宮は大混乱。王族としての信用も失いかけている。
しかし、殿下ご自身は頑として譲らない様子で、ここまでやって来てしまったのだ。
「カレンのためなら、俺は国でも何でも捨てる覚悟がある。だから、こんな森だろうと引き返す気はない」
それがレオン殿下の言い分。
そして、わたくしはというと、第二王子セイラン殿下や国王陛下の後押しを受け、錬金術師として“月の巫女の花”を探す手伝いをすることになった。――すべては、聖女カレン様の不調を治めるため。
けれども、第三章のラストにて小さな一輪を見かけたあの時点で、わたくしは薄々感じていた。“あの花は、カレン様を拒む”のではないか、と。
「……はぁ……」
重い空気の中、わたくしは深呼吸をする。昼なお暗い森の奥で、鳥の鳴き声さえ途絶えているように思えた。
◇ 騎士団とともに森を進む
レオン殿下、そして体調不良のカレン様が乗った馬車は、森の入り口でとうとう通行不能に。これより先は、徒歩で行くしかない。
護衛の騎士たちが最低限の荷を抱え、わたくしも薬草道具と錬金術の資材を背負って、森の奥へ足を踏み入れた。
カレン様はというと、馬車を諦めて騎士の肩を借りて歩く――が、その顔色は日に日に悪くなっている。
「殿下、カレン様を休ませたほうがいいんじゃ……」
わたくしが進言すると、レオン殿下は目を伏せてかぶりを振った。
「ここで止まるわけにはいかない。カレンは聖女だ。月の巫女の花があれば、きっと彼女の力が安定するはずなんだ……」
その声には焦りが混じっていた。
正直、わたくしは不安だ。もしカレン様が“本物の聖女”ではなかった場合、あの花は彼女を救うどころか、さらに大きな苦しみを与えることになるかもしれない。――そんな予感が拭えない。
それでも、止まってくれないのがレオン殿下という人。
もはや、わたくしにできるのは“これ以上、カレン様が危険に巻き込まれないように”全力でサポートすることくらい。錬金術で作った鎮静薬や回復ポーションを随時渡しながら、わたくしたちは森を進み続けた。
◇ 思わぬ再会――第二王子セイランの救援
何日も森をさまよい、道に迷いかけた頃。
「殿下! ここは一度、王都へ戻って態勢を整えるべきです! これ以上は、我々の食料も尽きかけています!」
護衛騎士の一人が渇いた声を張り上げる。
わたくしも同感だった。カレン様の体調は悪化の一途を辿っており、高熱のせいで足元もおぼつかない。
さすがに殿下も眉間に深い皺(しわ)を寄せたが、それでも首を縦には振らない。
「あと少しだ……おそらく、この先に古代遺跡があると聞いた。そこに月の巫女の花が――」
言いかけた瞬間、木々の隙間から騎士団らしき大人数の足音が近づいてきた。
「……? 何者だ!」
わたくしたちの護衛が身構えると、やがて見知った姿が現れる。
「おい、兄上。まだこんなところでくすぶっていたのか」
低い、冷静な声音。黒髪をすっきりとまとめ、鋭い眼差しを向けてきたのは第二王子、セイラン殿下だった。十数名の騎士団を連れている。
「セイラン……!」
レオン殿下は悔しそうに歯を食いしばる。
どうやら、セイラン殿下が“王太子殿下が行方をくらましている”という報せを聞き、騎馬隊を率いて追ってきたのだろう。
王都での政務はどうしたのかと心配になるが、それだけ事態が深刻なのだ。
「兄上、聞くところによると、カレンの体調が相当深刻だそうじゃないか。そんな状態で森をさまようなど、狂気の沙汰だ」
「だが、俺は引き返せない。月の巫女の花が必要なんだ……!」
レオン殿下の頑固さに、セイラン殿下はため息をつく。
「……カレンを本気で救いたいのなら、もう少し頭を使え。万全な準備をせずに突っ込んでも彼女を苦しめるだけだ。――フランボワーズ、お前の見解はどうだ?」
急に話を振られ、わたくしは身を正す。
「わたくしも、一度仕切り直したいと思っていました。ただ、カレン様の体調がここまで悪い以上、長距離の移動に耐えられるかどうか……」
「ふむ。それならば、先に準備を整えた騎士団を配置し、ある程度安全を確保するのが先決だな。――兄上、これ以上、単独行動を取られると国としても困るんだ。頼むから、我々に任せてくれ」
こうして、セイラン殿下の助力を得て、一行は森の中央近くにある比較的安全な場所で野営を整え直すことになった。
夜営地にテントを張り、カレン様を休ませ、食料や薬の補給も行う。これで少しはマシになるだろう。
わたくしはセイラン殿下の姿を見やり、心底ほっとした。
(本当によかった……もしセイラン殿下が来なければ、わたくしたちは飢えと疲弊でどうにもならなくなっていたかもしれない)
◇ 古代遺跡の入り口と、不穏な“守り人”
その翌日。セイラン殿下の騎士たちの援護を受け、わたくしたちはようやく森の最奥部へ足を踏み入れる。巨大な石碑や倒壊した石柱が散在し、いかにも“遺跡”という趣きだ。
「これは……古文書にあった、“月蝕の社”かもしれんな」
セイラン殿下が石碑の文字をなぞりながら言う。
わたくしも横から覗き込む。確かに月を象徴する文様や、花のレリーフが浮き彫りになっている。ここが伝説の“月の巫女の花”の生息地である可能性は高い。
ただ、どうにも空気が不穏で、肌を刺すような悪寒がある。
「フランボワーズ、気をつけろ。何やら魔力の流れが乱れている気がする」
セイラン殿下が低く警告する。
すると、周囲の騎士たちが警戒態勢を取る中、石碑の陰からフッと黒いローブを纏(まと)った男が姿を現した。
「……よく来たな。“偽りの聖女”を連れて。まさか、本当にここまで辿り着くとは思わなかったぞ」
その声は乾いた嘲笑を含んでいる。
「誰だ、お前は!」
レオン殿下が剣に手をかけるが、男はまるで取り合わない。
「ここは“月蝕の社”。本物の聖女のみが、その力を受け継ぐことが許される聖域。――しかし、そこの女はどうやら偽者のようだな。ずいぶんと魔力が歪んでいる」
その視線の先には、ぐったりと騎士に支えられているカレン様がいる。
「おのれ……カレンは聖女だ!」
レオン殿下が声を荒らげようとするのを、セイラン殿下が手で制した。
「落ち着け。……ローブの男よ、お前は何者だ? この遺跡の“守り人”か?」
「ふん、そう呼ぶ者もいる。俺の一族は代々、“月蝕の社”を管理する使命を担ってきた。……だがな、俺も退屈していたところだ。せっかくやって来た偽者に、“本物”との違いを教えてやろう」
そう言うや否や、男は杖を振り上げ、黒い瘴気(しょうき)のような魔力を放ってくる。
騎士たちが盾を構え、セイラン殿下も素早く弓を射る。しかし、その黒い瘴気が床を這(は)うと、地面が赤黒く染まり、ひとりの騎士が悲鳴を上げた。
「ぐっ……足が、溶け……いや、絡みついて……!」
見ると、黒い泥のようなものが騎士の足にまとわりつき、身動きを封じている。
「フランボワーズ、何とかならないか!」
セイラン殿下がこちらに呼びかける。
わたくしは慌ててポーチに手を突っ込み、調合済みの“瘴気中和スプレー”を取り出した。
「スプレーがどれほど効くかわかりませんが、やってみます!」
シュッ、と白い霧を放つと、騎士に絡みついていた黒泥がジリジリと溶けるように縮んでいく。
「くっ……! こんな小細工を……!」
男は苛立たしげに口を歪めるが、すぐに次の魔術を放とうと構えを取り直す。
そのとき――。
「きゃっ……!」
背後でカレン様が膝を折った。どうやら、男の放つ魔力の影響をもろに受け、頭痛を起こしている様子。
「カレン……!」
レオン殿下が駆け寄るも、彼女の体は熱を持って震えている。目には涙が滲(にじ)んでいて、どうしようもなく辛そうだ。
「……偽りは偽りらしく、崩れ去るがいい。ここは本物の聖女にしか扱えぬ場所だ……!」
ローブの男が再び杖を叩きつけると、社の床のあちこちに亀裂が走り、紫色の光が漏れ始めた。
「みんな退避! 社が崩れるぞ!」
騎士たちが叫ぶが、レオン殿下はカレン様を抱えたまま動こうとしない。
セイラン殿下が矢をつがえ、男に狙いを定めるも、床の崩落で足元がおぼつかない。
「フランボワーズ、引いてろ! あいつを仕留める……!」
セイラン殿下が放った矢は、男の肩をかすめ、黒いローブを破る。
「くっ……!」
男は体勢を崩すが、それでも口元に不気味な笑みを浮かべた。
「ふはは……お前らの力では、偽りの聖女を救うことなどできぬ……!」
男が杖を振り上げたまさにその瞬間。
わたくしの胸の奥に、得体の知れない“幸運の衝動”が走った。――そう、わたくしの【らっきーすとらいく】だ。
頭で考えるより先に、わたくしは社の床に落ちていた石片を拾い、男目掛けて投げつける。
「え……っ!」
普通ならまず当たらない距離と角度。けれど、その石片は見事に男の手元を直撃し、杖が弾き飛ばされる。
同時に、セイラン殿下が放った二本目の矢が男の足元を穿(うが)ち、転倒させた。
「き、貴様……なんという奇妙な……!」
男は苦しげにうめきながら倒れ込む。騎士たちがすかさず取り囲み、拘束を試みる。
「小癪な……だが、偽りの聖女の破綻はもう止められん。見ろ、あの女の魔力を……!」
視線をそちらに向けると、カレン様の体から紫色の光が立ち昇っていた。ひどく乱れた魔力。――まるで内側から壊れていくようだ。
「カレン、しっかりしろ! くそっ、なんでこうなる……!」
レオン殿下が取り乱している。わたくしは鎮静薬を取り出そうとするが、先ほどの戦闘でポーチの中身が散乱してしまい、すぐに取り出せない。
「……フランボワーズ、兄上、もうカレンを外へ連れ出すしかない」
セイラン殿下が近づいてくるが、社の崩落で床に大穴が開きつつあり、うかつに動けない。
そのとき、社の天井――もともと空が覗く大きな隙間があった部分から、強烈な月光が差し込み始めた。
森の奥なので昼間と思いきや、どうやら辺りはもう夕方から夜にかけての時間帯らしい。水平線の向こうから月が昇り、この社に光が落ちているのだ。
「くっ、なんというタイミング……!」
社全体が月の光に照らされ、床に刻まれた花のレリーフが淡く浮かび上がる。
同時に、カレン様の苦しみは激しさを増し、まるで体の中から何かが噴出しそうなほどの魔力の波が押し寄せているようだ。
「フランボワーズ、何か、何か手はないのか……!」
殿下が叫ぶ。わたくしは散らばったポーチから何とか小瓶を手探りで見つけるが、魔力の乱れが強すぎて、これだけで鎮めきれるとは思えない。
「もし、月の巫女の花が本当にここで咲くなら……その力を使えればワンチャンスあります。でも……!」
わたくしは床に刻まれたレリーフを凝視する。そこに描かれているのは、月と花、そして“巫女”らしき女性の姿。
今まさに、その模様から白い光の花びらが現れようとしている。前にも一輪だけ見かけた、あの“幻の花”だろうか。
――しかし、それが“本物の聖女”を選ぶかどうかはわからない。
◇ 月の巫女の花の試練
ズズズ……という重い振動音とともに、レリーフの中心から朧(おぼろ)な光が吹き上がった。
それは、まるで数多の花びらが宙を舞っているかのように見える。柔らかい白光――けれど、どこか厳かな威圧感がある。
一瞬、社内の悲鳴や騎士たちのざわめきが止み、静寂が訪れた。
――そして、その白光はまっすぐにカレン様へと流れ込むように集まっていく。
「あ……」
気絶しかけていたカレン様の目がうっすら開き、光を受け止めるように腕を伸ばす。
“本物の聖女”ならば、これで救われるはず――誰もがそう思い、息を呑む。
しかし次の瞬間、カレン様の体がビクンと大きく痙攣(けいれん)し、紫色の魔力が弾け飛んだ。
「うああっ……!」
闇のような色を帯びたカレン様の魔力と、白い光がぶつかり合い、ギリギリと不快な音を立てて拮抗(きっこう)する。
――完全に拒絶されている。
本来なら聖女が花の力を受け継ぎ、さらに清らかな奇跡を発揮できる……はずが、カレン様にはそれが合わないのだ。
「やはり……カレン様は“本物”じゃなかったのね……」
そんな言葉が脳裏をよぎり、わたくしは唇を噛む。いや、もしかすると彼女自身に罪はなく、周囲が“偽聖女”として利用したのかもしれない。それでも、今この場で彼女の体は壊れてしまいそうだ。
「カレン! やめろ、離れろ……!」
レオン殿下が必死で抱きしめようとするが、白と紫の魔力の衝突に巻き込まれ、逆にはじき飛ばされる。
セイラン殿下や騎士たちも近づけず、どうにもならない。社の床はさらに崩れかけている。
わたくしは、咄嗟に手元の“月の巫女の花の花粉”を思い出す。――あの日、一瞬だけ採れた微量の粉末。完全な花ではないけれど、わずかでも彼女の力を鎮める糸口になるかもしれない。
「カレン様……!」
光と闇の衝突の渦に、おそるおそる近づく。まともに踏み込めばこちらも危険だが、【らっきーすとらいく】があれば何とかなる……かもしれない。
胸の奥に熱い鼓動が広がる。――ああ、今こそチャンスだ。わたくしは粉末を載せたガラス片を薄く息で吹き飛ばし、カレン様の周囲に散布する。
「どうか、花の力が彼女の命を救ってくれますように……!」
わたくしの祈りを聞いたのか、白い花びらの光がふわりと舞い上がり、そのままカレン様の額へと集まっていった。衝突しかけていた紫の魔力が、ほんの少し揺らぐ。
「……っ!」
カレン様の瞳がわずかに焦点を取り戻すが、依然として白光には受け入れられていないようだ。
――しかし、そのおかげで暴発は弱まり、何とかカレン様の体が持ちこたえている。
「セイラン殿下、今です! カレン様を引き離してください……!」
わたくしが叫ぶと、セイラン殿下とレオン殿下が同時に飛び出し、カレン様の腕をがっちり掴んで渦の外へ引きずり出す。
途端に、白と紫の光はどちらも勢いを失い、社の闇の底へ淡く消えていった。
「うわああっ……!」
社全体が大きく揺れる。今にも天井が崩れ落ちそうだ。
「急いで外へ出ろ! ここはもう持たん!」
騎士長の怒号とともに、全員が退却を始める。
セイラン殿下がカレン様を背負い、レオン殿下がなんとか自力で走る。わたくしも落石をかいくぐりながら出口をめざす。
ローブの男はというと、騎士に担がれた状態で引きずられている。「くっ……こんな……」などと捨て台詞を吐いていたが、今はそれどころではない。
どうにか社から脱出すると、夜の森の中に冷たい風が吹きぬけていた。星空が広がり、満月が冴え冴えと輝いている。
背後では大きな音を立てて“月蝕の社”の天井が崩れ落ちているのが見えた。あの場所はもはや再利用できそうにない。
わたくしは荒い呼吸を整え、セイラン殿下たちのもとへ駆け寄る。
カレン様は息も絶え絶えで、今にも意識が途切れそうな状態。医師役の騎士が脈と瞳孔を確認し、「今は生きているが、危険だ」と汗をかいている。
「……カレン、しっかりしろ、返事をしてくれ……!」
レオン殿下が青ざめた顔でカレン様の名前を呼ぶ。返事はない。
どうやら、“月の巫女の花”の力は彼女を救うどころか、偽りを糾弾(きゅうだん)する形で拒絶したようだ。――このままでは、心も身体も限界だろう。
◇ 帰還と“真実の暴露”
その後、セイラン殿下の号令で、わたくしたちは夜を徹して森を抜け出すことにした。
数日の行軍を経て、なんとか王都へ戻ったときには、すでにカレン様は意識不明のまま。高熱も下がらず、まともに歩けないほどに衰弱していた。
医師たちが集中して手当てするも、なかなか回復の兆しは見えない。なにより“偽りの聖女”という疑惑が国中に広まってしまい、教会も戸惑いを隠せない状態だ。
「王太子殿下が連れ帰った“聖女”はやはり偽物だったのでは?」
「公務を放棄して旅に出るなど、国の混乱を招いた責任は重い……」
世論が激しくレオン殿下を非難する声を上げる。貴族議会でも事態を重く見て、殿下の王太子位を剥奪する動きが加速している。
しかし、その波はカレン様自身へのバッシングにも向けられるだろう。――結局、嘲笑や憎悪の矛先は“偽りの聖女”と呼ばれる少女に集中し、彼女はどこにも居場所がなくなってしまうかもしれない。
「……俺は、すべての責任を負う。カレンをひとりで責めさせはしない」
そう表明したレオン殿下は、国王と貴族たちの面前で“王太子位辞退”を宣言してしまった。
「殿下……そこまでするのですか……?」
わたくしが問いかけると、殿下は苦しそうな笑みを浮かべる。
「もう俺は、王族でいることに疲れたよ。今さら政務に戻ったところで誰も納得しないし、俺自身、カレンがいなければ意味がない。国のためじゃなく、俺はあくまでカレンのために動く。それなら、王太子を降りるのが筋だろう」
その言葉に、かつての憧れや傲慢さは感じられない。むしろ、不器用な男の本音が滲んでいるように思えた。
こうして、レオン殿下の“ざまぁ”とも言える幕引きが決まり、国民の目は第二王子セイラン殿下を“次期王太子”として仰ぎ見るようになる。
実際、セイラン殿下は手腕を発揮し、混乱する政治の立て直しを迅速に進める。あの旅から戻った後も、ほとんど休まず公務に奔走した。
「兄上にはこの形が、一番幸せなのかもしれん。――もっとも、カレンがいつ目を覚ますかはわからんがな」
そう呟くセイラン殿下の表情は、どこか複雑そうだった。
◇ 回復するカレン、そして別離
あれから数週間後。カレン様はようやく一命をとりとめ、薄っすらと意識を取り戻した。
彼女は王城ではなく、郊外の療養施設で過ごすよう手配されている。周囲の目を避け、心身を休めるためだ。
レオン殿下(もはや“殿下”ではなくなるが)は、すべてを捨ててカレン様のそばにつくと宣言。貴族院からも「今後は、王族としての特権を放棄し、一般貴族待遇になる」という通告が下った。
世間の批判は相当なものだが、それでも彼は意に介さない。カレン様の腕を握り、「お前が元気になるまで俺はずっとそばにいる」と語りかける姿は、かつての傲慢な王太子像とはかけ離れていた。
「フランボワーズ様、今まで本当にありがとうございました……」
面会に訪れたわたくしに、カレン様は涙ぐむ。
「わたしは……やっぱり偽りの聖女だったんだと思います。力の片鱗はあったかもしれないけれど、それが本物じゃないなら、何もかも無意味なのかも……」
「そんなことはありませんわ。たとえ聖女としての力が偽物でも、あなたが人を癒やしたり、優しく接したことは本当でしょう? 救われた人だっていたはずよ」
わたくしの言葉に、カレン様は少しだけほほ笑む。そして、横にいたレオン“元”殿下と視線を交わし合い、微かに頷(うなず)いた。
「ありがとう、フランボワーズ。お前がいなかったら、カレンはあのまま死んでいたかもしれない。俺はいつかこの恩を返したいと思っている」
真っ直ぐな瞳でそう告げるレオン元殿下。わたくしは少し照れながら頭をかく。
「返さなくて結構ですわ。わたくしも勝手に動いただけですもの。それより、おふたりが少しでも穏やかに暮らせるといいですわね」
「……ああ。俺は身分も地位も失ったけれど、カレンさえいればいいんだ。世間がなんと言おうと、彼女を支えていく。それが、いまの俺の生き方だ」
こうして、元王太子と“偽りの聖女”は世間から厳しい目を向けられながらも、新たな人生を歩み始める。――ある意味では、苦くも優しい結末と言えるだろう。
◇ 第二王子の台頭と、フランボワーズの転機
一方、王都では第二王子セイラン殿下が正式に“王太子”として認められ、政務を掌握し始めた。
それまでわたくしは「錬金術が得意なだけの天然令嬢」「婚約破棄で捨てられた可哀想な娘」などと揶揄(やゆ)されてきたが、今回の一連の出来事で見方が変わったらしい。
森での旅の中で、幾度となくわたくしの作った薬が役立ったことや、トラブルを【らっきーすとらいく】で切り抜けたことが注目され、教会や貴族たちから「フランボワーズ様の研究を支援したい」という声が増えてきたのだ。
そうした周囲の動きをまとめ、セイラン殿下は重大な提案をしてくる。
「フランボワーズ、王城の敷地内に“錬金術研究所”を新設したい。お前が責任者として、自由に研究を続けられる場所を作るつもりだが……どうだ?」
「わたくしが、責任者……ですか?」
あまりにも大役すぎて、わたくしは目を白黒させる。しかし、殿下は真顔だ。
「そもそも、お前の研究は貴族社会から地味に軽んじられていた。それを活かすチャンスだ。国や教会を巻き込んで、大規模にやってみせてくれ。今の俺なら、その後押しができる」
王太子となったセイラン殿下には、すでにそれほどの権限がある。気づけば、わたくしは心の底から“やってみたい”という気持ちが湧き上がっていた。
(好きな錬金術を、堂々と、しかも国の支援で……! 夢のような話だわ)
けれど、それだけでは終わらない。
セイラン殿下は少し視線をそらし、照れたような面持ちで続けた。
「それから……もう一つ、大事なことがある。王太子である俺には、将来“王妃”が必要だ。――お前がよければ、俺の隣に立ってくれないか?」
まさかのプロポーズだった。
「わたくしが、王妃に……? いえ、でも……」
思わず尻込みしそうになるのは、以前の婚約破棄のトラウマがあるからだ。
しかし、セイラン殿下は真剣な眼差しを崩さない。
「お前はレオン兄上と無理やり婚約していたわけだろう。けれど今回は違う。俺の意志で、お前に来てほしいと思っている。錬金術の研究を続けても構わない。むしろ、俺はお前の自由を何より大切にしたいんだ」
その言葉は、わたくしがずっと望んでいた“自由”を保障してくれるものだ。
レオン殿下との婚約が破棄された当初は、「もう結婚なんて懲(こ)り懲り」と思っていた。けれど、この旅を通じて何度も助けてくれたセイラン殿下には、わたくしも不思議な安心感を抱いている。
「……わかりました。わたくしでよければ、ぜひご一緒させてください」
そう答えたとき、殿下は心底嬉しそうに息を吐き、わずかに笑みをこぼした。
◇ エピローグ:婚約破棄から始まった、本当の幸運
それからしばらく経ち、わたくしとセイラン殿下(いまや王太子殿下)は正式に婚約を発表した。
国民の多くは「レオン殿下がいなくなった今、セイラン殿下が王になるのは妥当」と受け止め、わたくしに対しても好意的な声が目立つ。
――以前は「捨てられ令嬢」「かわいそうな子」などと思われていたのが嘘のようだ。
庭園の一角、バラが咲き誇るアーチの下で、わたくしはセイラン殿下と並んで歩く。
「フランボワーズ、顔が緩んでいるぞ」
「……あら、失礼いたしました。婚約破棄されて悲しむかと思ったら、こんな幸運に恵まれるなんて、まだ夢を見ているようですわ」
恥ずかしげに言うと、殿下は声を立てて笑う。
「最初からお前は“王太子妃としての本分”なんて気にしていなかったじゃないか。むしろ、らっきーすとらいくのおかげで、周囲のほうが振り回された感じだな」
「ま、まあ……否定はできませんわ」
最初は“ざまぁ”展開を期待されていたとしても、結果的にわたくしは何も大きな努力をしていない。勝手に運が良い方向へ転がっていっただけの話なのだ。
一方、レオン元殿下とカレン様のその後は、公にはほとんど姿を見せていない。噂では、田舎の療養地で静かに暮らしているという。
カレン様の容体は改善したり悪化したりを繰り返しているようだが、レオン元殿下が懸命に看病しているという話を耳にした。
「不思議なものだよな。兄上があれほどまでに一途になれるとは、昔の俺には想像もできなかった」
セイラン殿下がしみじみとそう言う。
「……きっとカレン様にはカレン様の役割があって、レオン殿下にもまた違う幸せがあるんでしょう。おそらく、わたくしの“らっきーすとらいく”とは別のベクトルでね」
そう思えば、この世界は案外、上手くできているのかもしれない。誰もがそれぞれの場所で、模索しながら生きている。
わたくしも、錬金術研究所の開設に向けて忙しい日々が始まるが、何だかとても前向きな気持ちでいっぱいだ。今度は“婚約破棄令嬢”ではなく、“幸運の王太子妃候補”として、新たな道を堂々と歩めるのだから。
「セイラン殿下、今度、研究所の完成披露をしたら、皆でお茶会を開きませんか? 最新の錬金術で作ったお菓子や香りを披露したら、きっと楽しんでいただけると思うのです」
「いいな、それ。お前の研究の集大成を見せてくれ。――いや、その頃には“王妃”としてのお前と、共に祝杯を上げるのも悪くない」
殿下のまっすぐな視線を受け止めながら、わたくしは笑顔を返す。
かつて“婚約破棄”をされたときは、心のどこかで落ち込むかと思っていた。けれど、それがスタートだった。身も心も縛られず、自然体で好きなことを追いかけた結果、いまの幸運がやってきたのだ。
――こうして、婚約破棄から始まったわたくしの物語は、思いもよらぬかたちで“本当の幸せ”を掴んで幕を下ろす。
レオン殿下とカレン様は“聖女伝説”の終焉と共に、世間から姿を消していくかもしれない。しかし、それぞれに新しい人生を選んだのは事実だ。
そして、わたくしはこの国の新たな王太子妃として、錬金術研究と“らっきーすとらいく”な日常を楽しむ。恋も、研究も、わたくしの“自由”にしてみせる。
婚約破棄による一時のスキャンダルが、こんな結末をもたらそうとは――人生、何が起こるかわからない。だからこそ、面白い。
その日、庭園を吹き抜けるそよ風が心地よく、満開の花々が出迎えてくれた。わたくしは心の底から微笑みながら、セイラン殿下と隣り合って歩く。
今なら胸を張って言える。婚約破棄すら、わたくしにとっては“ラッキー”に転がる最高の出来事だったのだ、と。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢は死んで生き返ってついでに中身も入れ替えました
蒼黒せい
恋愛
侯爵令嬢ミリアはその性格の悪さと家の権威散らし、散財から学園内では大層嫌われていた。しかし、突如不治の病にかかった彼女は5年という長い年月苦しみ続け、そして治療の甲斐もなく亡くなってしまう。しかし、直後に彼女は息を吹き返す。病を克服して。
だが、その中身は全くの別人であった。かつて『日本人』として生きていた女性は、異世界という新たな世界で二度目の生を謳歌する… ※同名アカウントでなろう・カクヨムにも投稿しています
前世の記憶しかない元侯爵令嬢は、訳あり大公殿下のお気に入り。(注:期間限定)
miy
恋愛
(※長編なため、少しネタバレを含みます)
ある日目覚めたら、そこは見たことも聞いたこともない…異国でした。
ここは、どうやら転生後の人生。
私は大貴族の令嬢レティシア17歳…らしいのですが…全く記憶にございません。
有り難いことに言葉は理解できるし、読み書きも問題なし。
でも、見知らぬ世界で貴族生活?いやいや…私は平凡な日本人のようですよ?…無理です。
“前世の記憶”として目覚めた私は、現世の“レティシアの身体”で…静かな庶民生活を始める。
そんな私の前に、一人の貴族男性が現れた。
ちょっと?訳ありな彼が、私を…自分の『唯一の女性』であると誤解してしまったことから、庶民生活が一変してしまう。
高い身分の彼に関わってしまった私は、元いた国を飛び出して魔法の国で暮らすことになるのです。
大公殿下、大魔術師、聖女や神獣…等など…いろんな人との出会いを経て『レティシア』が自分らしく生きていく。
という、少々…長いお話です。
鈍感なレティシアが、大公殿下からの熱い眼差しに気付くのはいつなのでしょうか…?
※安定のご都合主義、独自の世界観です。お許し下さい。
※ストーリーの進度は遅めかと思われます。
※現在、不定期にて公開中です。よろしくお願い致します。
公開予定日を最新話に記載しておりますが、長期休載の場合はこちらでもお知らせをさせて頂きます。
※ド素人の書いた3作目です。まだまだ優しい目で見て頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。
※初公開から2年が過ぎました。少しでも良い作品に、読みやすく…と、時間があれば順次手直し(改稿)をしていく予定でおります。(現在、146話辺りまで手直し作業中)
※章の区切りを変更致しました。(9/22更新)
捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。
蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。
これで、貴方も私も自由です。
……だから、もういいですよね?
私も、自由にして……。
5年後。
私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、
親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、
今日も幸せに子育てをしています。
だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。
私のことは忘れて……。
これは、すれ違いの末に離れ離れになった夫婦の物語。
再会したとき、二人が選ぶのは「離婚」か、それとも「再構築」か。
妻を一途に想い続ける夫と、
その想いを一ミリも知らない妻。
――攻防戦の幕が、いま上がる。
幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。
灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。
曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。
婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。
前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。
「薬草まみれの地味な女」と婚約破棄された宮廷薬師ですが、辺境でのんびり暮らしていたら元婚約者が全てを失っていました
メトト
恋愛
宮廷薬師エルザは、夜会の場で婚約者の侯爵家嫡男レオンに公開婚約破棄される。
「薬草にまみれた地味な女」——そう蔑まれたエルザだが、その胸にあったのは悲しみではなく安堵だった。
七年間、浪費家の婚約者を支え続けた日々はもう終わり。
エルザは宮廷薬師を辞し、薬草の宝庫と名高い辺境の街ヴェルデンで小さな薬屋を開く。
そこで出会ったのは、不器用だけどまっすぐな領主代行の青年騎士ノエル。
薬屋は大繁盛、流行病を退け、新薬の開発にも成功——エルザの薬師としての才能が、辺境の地で花開いていく。
一方、エルザを失った王都では。
宮廷薬師の後任は見つからず、新しい婚約者の浪費で侯爵家の財政は火の車。
全てを失ったレオンがエルザの元に現れた時、彼女が返した言葉とは——。
復讐なんてしない。ただ自分らしく生きるだけ。
それが最大の「ざまぁ」になる、爽快異世界恋愛物語。
完結保証 全12話になります。
「貴女じゃ彼に不釣りあいだから別れて」と言われたので別れたのですが、呪われた上に子供まで出来てて一大事です!?
綾織季蝶
恋愛
「貴女じゃ彼に不釣りあいだから別れて」そう告げられたのは孤児から魔法省の自然管理科の大臣にまで上り詰めたカナリア・スタインベック。
相手はとある貴族のご令嬢。
確かに公爵の彼とは釣り合うだろう、そう諦めきった心で承諾してしまう。
別れる際に大臣も辞め、実家の誰も寄り付かない禁断の森に身を潜めたが…。
何故か呪われた上に子供まで出来てしまった事が発覚して…!?
婚約者の幼馴染?それが何か?
仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた
「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」
目の前にいる私の事はガン無視である
「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」
リカルドにそう言われたマリサは
「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」
ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・
「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」
「そんな!リカルド酷い!」
マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している
この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ
タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」
「まってくれタバサ!誤解なんだ」
リカルドを置いて、タバサは席を立った
【王国内屈指の公爵家の令嬢ですが、婚約破棄される前に婚約破棄しました。元婚約者は没落したそうですが、そんなの知りません】
はくら(仮名)
恋愛
更新はマイペースです。
本作は別名義で『小説家になろう』にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる