侯爵令嬢ローゼリアは、甘く溺愛されながら自分の道を歩く』

ふわふわ

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1-4 静かな決意

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第1章 婚約破棄と静かな解放

1-4 静かな決意

朝――。

鳥のさえずりが、冬の柔らかな陽光に混じって聞こえる。
侯爵家の庭園の木々は霜をまとい、白く輝いていた。
屋敷の中では、すでに使用人たちが動き出している。
廊下を行き交う足音、磨かれる床、香る紅茶。

ただ一室だけ、そこだけ時間が止まったように静まり返っていた。

ローゼリアの寝室。

分厚いカーテンが閉められ、部屋は薄暗い。
真綿の毛布に包まれ、ローゼリアはすやすやと眠っていた。
黄金色の髪が枕に広がり、白い頬はほのかに紅潮している。

「……お嬢様、朝でございます」

ノックの音と共に、マリアの控えめな声が聞こえた。

「やめて……起こさないで。今、寝たばかりなの……」

布団の中から、くぐもった声が返る。
マリアは呆れたようにため息をつきながら、カーテンを少し開いた。

「お嬢様、もう朝どころか十時を過ぎております」

「十時……? まだ“朝”のうちじゃない」

「夜明けから五時間も経っています」

「ふふ、それでも“午前中”ですもの。問題なし」

マリアは眉を押さえた。
「お父様に知られたら叱られますよ」

「構わないわ。“好きにしろ”と許可をいただいたもの」

「……それをそう解釈されますか」

「ええ。お父様の言葉は、私にとって“自由宣言”でしたもの」

ローゼリアはゆっくりと毛布をめくり、伸びをした。
「はぁ……こんなに気持ちよく眠ったの、いつ以来かしら」

寝ぼけまなこのまま、天蓋を見上げる。
金糸で刺繍された花模様が、朝日を受けて淡く光る。
それを見ていると、まるで夢の続きにいるような気分だった。


---

昼前になってようやく起き上がったローゼリアは、
寝間着姿のままバルコニーに出た。

ひんやりとした空気が頬を撫でる。
庭園の噴水が凍りかけており、冬の匂いがした。

「今日からは“侯爵令嬢”ではなく、“普通の私”として過ごすのよ」

小さく宣言し、腕を広げる。
背筋を伸ばして深呼吸。
空の青さが眩しい。

「さて、まずはお昼まで寝坊したご褒美に……甘いものを作りましょうか」

マリアが慌てて追いかけてきた。
「お嬢様! 寝間着のままで厨房に行かないでください!」

「大丈夫よ。今日は私が厨房を支配する日ですもの!」

「支配って……お嬢様ぁ!」

ローゼリアは軽やかに笑いながら階段を下りた。
長年、料理場は「貴族令嬢が立ち入る場所ではない」と言われてきたが、
彼女にとってはそこが一番落ち着く空間だった。


---

厨房の扉を開けると、料理長が驚きの声を上げた。
「お、お嬢様!? まさか……また、焼き菓子を?」

「“また”とは失礼ね。ええ、そうですわ」

「だ、大旦那様に知られたら……」

「大丈夫。お父様は“好きにしろ”とおっしゃいましたのよ」

「……解釈が広いですな」

「自由とは、解釈の幅のことですわ」

料理長は頭を抱えたが、最後には諦めたように笑った。
「では、材料はこちらに。今日も手際がよろしいことで」

ローゼリアは袖をまくり、器を並べる。
粉を量り、卵を割り、バターを溶かす。
手首の細やかな動きに、長年の慣れがにじむ。

「この音、好きなの」

泡立て器がボウルを叩く音、
オーブンの扉が閉まる音、
火のパチパチという呼吸の音――。

どれも、ローゼリアの心を落ち着かせた。

「焦がしバターを少し多めに……うん、これでいい」

「お嬢様、以前もそれで焦げましたよ」

「人生、苦味がないと美味しくないの」

マリアは苦笑した。
「お嬢様、まるで詩人のようです」

「ええ、今日の私は哲学者でもありますの」


---

やがて香ばしい匂いが漂い始めた。
屋敷中の使用人たちがそわそわし出し、
「お嬢様の焼き菓子ができた!」と囁きが広がる。

ローゼリアは満足げにオーブンを開けた。
黄金色のフィナンシェがずらりと並んでいる。

「ふふ、完璧!」

皿に盛りつけ、一口かじる。
外はサクッと香ばしく、中はふんわり。
バターの香りが舌の上でとろけた。

「うん、前よりずっと上手にできたわ」

「……またお一人で全部召し上がるおつもりですか?」

「当然よ。努力の結晶ですもの」

「努力の結晶は、お腹に収まりきらないのでは?」

「ならば残りはあなたに譲ってあげる」

「ありがたく……いただきます」

マリアは微笑み、ローゼリアの隣に並んだ。
二人で温かいお菓子を食べながら、静かな時間が流れた。


---

昼を過ぎると、母が様子を見に現れた。
廊下の香ばしい匂いに誘われて来たのだろう。

「まあ、ローゼリア……あなた、まさか……」

「お母様も召し上がります?」

ローゼリアは笑顔で皿を差し出した。
母は驚きながらも、小さくフィナンシェを取る。

「……美味しい。あなた、こんなに上手だったのね」

「“王妃教育”の中で唯一楽しかったのが、茶会のお菓子作りでしたの。
今は、それを思いきり楽しめます」

母は微笑んだ。
「あなた、変わったわね」

「ええ。婚約を失った代わりに、“私”を見つけましたの」

母の目に、うっすら涙がにじんだ。
「……本当に、あなたの人生を生きてちょうだい」

「もちろんです、お母様。
でも、安心してください。私はもう二度と、誰かの影に隠れたりしません」

母は娘を抱きしめ、そっと背を撫でた。


---

午後、庭園のベンチに腰掛けたローゼリアは、
手帳を開いて新しいページに書き始めた。

> “明日からやることリスト”
・お菓子のレシピを増やす
・お昼まで寝る(最重要)
・庭園で読書
・マリアにティーカップの新調を頼む
・自分の人生を楽しむ



書き終えて、満足げにうなずく。

「完璧ね。何よりも『お昼まで寝る』を忘れないのがポイント」

マリアが紅茶を運んできた。
「お嬢様、今日は一段とお元気そうですね」

「当然です。自由と睡眠と焼き菓子、三拍子そろえば人は幸せになれるのよ」

「……哲学者ではなく、幸福論者でいらっしゃる」

「うふふ、それも悪くないわね」

紅茶の香りが風に乗って広がる。
太陽が傾き、冬の空が茜色に染まっていく。

ローゼリアはカップを傾けながら、ふと呟いた。

「そういえば、王都では私の噂が広まっているそうね」

「“王太子を言い負かした令嬢”として話題になっております」

「まぁ。そんなつもりはなかったのに」

「“真実の愛が腐らないといいですわね”という台詞が痛快だとか」

「……あれは皮肉ではなく、祈りでしたのに」

ローゼリアは紅茶を啜りながら微笑む。
「でも、いいわ。どんな噂でも構わない。
私の名前が、私自身のものである限り」

マリアは深くうなずいた。
「お嬢様、本当に変わられました」

「変わったというより、ようやく“戻った”のよ。
十年前の、焼き菓子を夢中で作っていた私に」

ローゼリアは目を細め、冬の空を見上げた。
太陽が沈みかけ、空の端に一番星が瞬く。

「見て、マリア。あの星……まるで“おめでとう”って言ってくれてるみたい」

「お嬢様への祝福の星ですね」

「ええ。今日を、私の“再誕生日”にしましょう」

マリアは優しく微笑んだ。
「お嬢様、お誕生日おめでとうございます」

二人の笑い声が、夕暮れの庭園に溶けていく。


---

夜。
ローゼリアはベッドに横たわりながら、小さく独り言をつぶやいた。

「明日は、お昼まで寝坊してやるわ。
そして起きたら、新しい菓子を作る。
誰のためでもなく、私のために」

彼女は布団を抱きしめ、微笑んだ。
その姿は、もはや“王太子に捨てられた令嬢”ではない。
自由を手にした、一人の女性だった。

外では風が静かに吹き、月が屋敷の屋根を照らす。
その光が、まるでローゼリアに祝福の花冠を授けるように、
やわらかく彼女を包み込んでいた。

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