侯爵令嬢ローゼリアは、甘く溺愛されながら自分の道を歩く』

ふわふわ

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2−2 小さな訪問者

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第2章 お菓子作りという救い

2-2 小さな訪問者

その日も、空は静かに晴れていた。
冬の寒気はまだ厳しいものの、太陽は柔らかく、光が屋敷の白い壁に反射してきらめいている。

ローゼリアは厨房で卵を割っていた。
最近はもっぱらこの場所が“彼女の居場所”だった。
侯爵令嬢としてのサロンや舞踏会ではなく、
粉と砂糖の香りが漂うこの空間で、彼女は生きている実感を得ていた。

「今日はね、マリア。ちょっと冒険的なレシピを試してみようと思うの」

「冒険的、でございますか? お嬢様がそうおっしゃると、少し不安になりますが……」

「聞き捨てなりませんわね。ちゃんと理論はあるのよ」

ローゼリアはにこりと笑いながら、
机の上に置かれたレシピノートを指で叩いた。
そこには、彼女が自作した“試作リスト”がびっしりと並んでいる。

> ・焼きリンゴのパイ包み(改良版)
・蜂蜜のクッキー(苦味対策)
・ミルクティーのタルト(冷やし時間短縮法を試す)
・外に持ち出せるお菓子(まだ構想中)



「ほら、ここ。“外に持ち出せるお菓子”。これを考えてたの」

「外に……持ち出す?」

「ええ。今度、庭園に小さなベンチを置くの。
紅茶とお菓子を持って、外の風に当たりながら味わうの。きっと美味しいと思うのよ」

マリアは微笑んだ。
「お嬢様、本当に楽しそうです」

「ええ。王都からの“政治的活動禁止”なんて命令、私にとっては願ってもない自由ですもの。
どうせなら、美味しい香りでこの屋敷を満たしてやりますわ」

二人は笑い合いながら作業を進めた。
卵の黄身が白いボウルの中で光り、
バターが溶けて甘い香りが立ちのぼる。

「人生には、砂糖と少しの塩分が必要なのよ」

「哲学的ですね、お嬢様」

「ええ、昨日寝る前に思いついたの。名言集を出せるかもしれませんわね」


---

そのとき、厨房の扉が控えめにノックされた。

「お嬢様……失礼いたします」

顔を出したのは、使用人の少年だった。
年の頃は十二、三歳ほど。
小柄な体に大きめのエプロンを着け、手には封筒を持っている。

「どうしたの?」

「お嬢様あてに、村の子どもが手紙を……」

「村の子ども?」

ローゼリアは眉を上げた。
侯爵家の屋敷は、広い森を挟んで小さな村に隣接している。
村人たちは侯爵家の領民であり、普段はめったに屋敷まで来ることはない。

「はい。門番に預けて行ったそうで……お嬢様に、どうしても渡したいと」

ローゼリアは封筒を受け取った。
封筒の端が少し汚れている。
宛名の文字は拙い筆跡だった。

> 『こうしゃくれいじょうさまへ
 おいしいにおいのおひめさまへ』



ローゼリアは思わず笑みを漏らした。
「おいしい匂いのお姫さま……まぁ、なんて可愛い宛名なの」

マリアが覗き込みながら呟く。
「……間違いなくお嬢様のことですね」

中には、小さな紙切れが入っていた。
そこには不器用な文字でこう書かれていた。

> 『おひめさまへ
 このまえ、風でけむりがきたけど
 いいにおいでした。ぼくのいえのまえまで
 おかしやさんができたみたいです。
 たべてみたいです。ぼく、エミルっていいます。』



ローゼリアはその文面を何度も読み返した。
文字は幼く、綴りもところどころ間違っている。
けれど、その素直な言葉が、
胸の奥の何かを優しく叩いた。

「……お菓子の香り、村まで届いていたのね」

マリアが驚いたように目を見開いた。
「ええっ、そんなに遠くまで?」

「たぶん風のいたずらね。
でも……それを“いい匂い”だと思ってくれたなんて、嬉しいわ」

彼女は手紙を胸に当て、ゆっくり微笑んだ。
「ねえ、マリア。――この子にお返事を出したいの」

「お返事、ですか?」

「ええ。そして……お菓子も届けたいわ」

マリアは少し戸惑った。
「ですが、旦那様の許可が……」

「“好きにしろ”とおっしゃいましたわ」

「……また、その解釈ですか」

ローゼリアはふふっと笑いながら、机の上にペンと紙を用意した。


---

“親愛なるエミルへ”

そう書き出して、ペン先を止める。
十年間、公式文書ばかりを書いてきた彼女にとって、
心のままに書く手紙は久しぶりだった。

> 『お手紙ありがとう。
 お菓子の匂いが届いたなんて、とても嬉しいです。
 今度、あなたのために特別なクッキーを焼きますね。
 風がまた運んでくれますように。
 ――おいしい匂いのお姫さまより。』



書き終えてから、自分で笑ってしまった。
「まるで童話の一節ね」

マリアがくすっと笑う。
「ですが、お嬢様らしくて素敵です」

「ありがとう。じゃあ……さっそく焼きましょう」


---

ローゼリアは“エミルくん専用クッキー”の制作に取りかかった。
テーマは“風に乗る香り”。
レモンピールとバニラを混ぜ込み、
焼き上げたときに甘酸っぱい香りが広がるように工夫した。

「お嬢様、顔が真剣すぎます」

「当然よ。初めての“お客様”ですもの」

「……あの、相手は子どもですよ?」

「子どもこそ最も正直な批評家なのよ。
気に入らなければ、“もういらない”って言うでしょう?」

マリアは苦笑するしかなかった。

やがて、オーブンのベルが鳴る。
扉を開けると、黄金色に焼き上がったクッキーが並んでいた。
ほんのり焦げ目がつき、香りがふわりと立ちのぼる。

ローゼリアはクッキーをひとつ取り上げ、
そっと割ってみた。
中から漂うレモンとバターの香りに、思わず笑顔がこぼれる。

「……成功、ね」

彼女は手紙を添えて、丁寧に箱に詰めた。
リボンを結び、封をして、
玄関ホールで執事ハロルドに渡す。

「これを、村のエミルという少年に。
手紙と一緒に届けてくださいな」

「……お嬢様、それは……」

「私の“初めての仕事”ですわ」

執事は少しの沈黙のあと、静かに頷いた。
「かしこまりました」


---

翌日――。

午後の光が差し込む庭園で、ローゼリアはお茶を楽しんでいた。
そのとき、門番が小走りでやってきた。

「お嬢様! 村の少年が!」

「まぁ、まさか……?」

門の前には、小柄な少年が立っていた。
青い目を輝かせ、両手で大事そうに箱を抱えている。

「おひめさま……!」

ローゼリアは思わず笑った。
「あなたが、エミルくんね?」

「うんっ! これ……おかし、すごくおいしかった!
おかえしに、おばあちゃんが焼いたパンを持ってきたんだ!」

彼は照れくさそうに箱を差し出した。
ローゼリアは受け取り、目を細める。

「ありがとう、エミルくん。とても嬉しいわ」

エミルは少し緊張しながら言った。
「また、あのにおい、かがせてね」

「ええ。今度は、一緒に食べましょう」

少年の顔がぱっと明るくなった。
その瞬間、マリアが小声で呟いた。
「……お嬢様。これが“最初のファン”ですね」

「ふふ、かもしれないわね」


---

その夜、ローゼリアは机に向かって手帳を開いた。
そこに新しい一文を書き加える。

> “お菓子は、人の心をつなぐ魔法。
焼き上げるたびに、誰かの笑顔が生まれる。”



ペンを置き、微笑む。

「ありがとう、エミルくん。あなたのおかげで、
私はまた“誰かのために”作りたいと思えたの」

月光が机を照らし、
ローゼリアの横顔が淡く輝いていた。


---

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