40 / 40
第四十話 選ばないことで、生きている
しおりを挟む
第四十話 選ばないことで、生きている
朝、私はいつもより少し長く、目を閉じたままでいた。
目覚めている。眠ってはいない。けれど、起き上がる理由が、どこにも見当たらなかった。
――起きなくても、始まっている。
その事実を、身体が先に理解していた。
静かに起き上がり、窓を開ける。
春にはまだ早いが、空気の底に、確かな変化があった。冷たいままではあるが、拒む感じがない。外の世界が、こちらを急かしていない。
私は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
今日も、何かを選ぶ予定はない。
けれど、それは「何もしない」という意味ではなかった。
書斎に入る。
机の上は、最初の日から何一つ変わっていない。
書類も、命令も、期待もない。
だが私は、初めてこの机を「空白」とは思わなかった。
――ここには、私が生きてきた痕跡がある。
選ばなかった判断。
戻らなかった場所。
引き受けなかった役割。
それらが、何もない空間に、確かな厚みを与えている。
午前中、補佐官が最後の報告を持ってきた。
「お嬢様、王都からの連絡は……今後、定例から外されることになりました」
「そうですか」
「“判断の前提に含めない”という扱いです」
私は頷いた。
「それで、完成ですね」
補佐官は、一瞬言葉を探し、そして静かに微笑んだ。
「……お疲れさまでした」
「いいえ」
私は首を横に振る。
「終わったわけではありません。
ただ、私の場所が、ようやく定まっただけです」
補佐官は深く一礼し、何も言わずに下がった。
それが、最も正しい別れ方だった。
昼前、私は屋敷を出た。
今日は、どこかへ向かうつもりがあった。
だが目的地は、やはり決めない。
歩きながら、決まるものに任せる。
道は静かだった。
人々はそれぞれの場所へ向かい、それぞれの役割を背負って歩いている。
私は、その流れから少しだけ外れている。
それでも、孤独ではない。
――選ばないことで、私は世界と並んで立っている。
丘の上に出ると、視界が開けた。
王都が遠くに見える。
あの場所で、私はかつて選ばれ、選ばされ、選び続けていた。
今は、選ばない。
けれど、逃げてもいない。
私は、その景色を長く眺め、そして静かに背を向けた。
午後、屋敷に戻り、書斎に入る。
白紙を前に、私は久しぶりに長く座った。
もう、言葉を書き残す必要はない。
誰かに伝えるためでも、未来に備えるためでもない。
ただ、ここに座り、確かめる。
私は、何かを達成したわけではない。
勝ち取った称号も、完成させた制度もない。
それでも、私は生きている。
選ばないことで。
戻らないことで。
引き受けないことで。
夜、灯りを点ける。
部屋は静かで、外の音も遠い。
私は立ち上がり、窓を開けた。
夜風が、穏やかに流れ込む。
星は少ない。
だが、空は広い。
私は思う。
――人生は、選択の連続だと言われてきた。
――だが、本当は、選ばない時間の連続でもある。
その時間の中で、人は呼吸し、立ち止まり、方向を失い、そして自分を取り戻す。
私は、選ばないことで、生きている。
それは、誰かのためではない。
何かの役に立つためでもない。
ただ、私であるための、生き方だ。
灯りを落とし、私は深く息を吐いた。
明日も、私は選ばないかもしれない。
だが、それでいい。
選ばないという選択が、
ここまで私を連れてきたのだから。
静かな夜の中で、
私は確かに、生きていた。
――完。
朝、私はいつもより少し長く、目を閉じたままでいた。
目覚めている。眠ってはいない。けれど、起き上がる理由が、どこにも見当たらなかった。
――起きなくても、始まっている。
その事実を、身体が先に理解していた。
静かに起き上がり、窓を開ける。
春にはまだ早いが、空気の底に、確かな変化があった。冷たいままではあるが、拒む感じがない。外の世界が、こちらを急かしていない。
私は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
今日も、何かを選ぶ予定はない。
けれど、それは「何もしない」という意味ではなかった。
書斎に入る。
机の上は、最初の日から何一つ変わっていない。
書類も、命令も、期待もない。
だが私は、初めてこの机を「空白」とは思わなかった。
――ここには、私が生きてきた痕跡がある。
選ばなかった判断。
戻らなかった場所。
引き受けなかった役割。
それらが、何もない空間に、確かな厚みを与えている。
午前中、補佐官が最後の報告を持ってきた。
「お嬢様、王都からの連絡は……今後、定例から外されることになりました」
「そうですか」
「“判断の前提に含めない”という扱いです」
私は頷いた。
「それで、完成ですね」
補佐官は、一瞬言葉を探し、そして静かに微笑んだ。
「……お疲れさまでした」
「いいえ」
私は首を横に振る。
「終わったわけではありません。
ただ、私の場所が、ようやく定まっただけです」
補佐官は深く一礼し、何も言わずに下がった。
それが、最も正しい別れ方だった。
昼前、私は屋敷を出た。
今日は、どこかへ向かうつもりがあった。
だが目的地は、やはり決めない。
歩きながら、決まるものに任せる。
道は静かだった。
人々はそれぞれの場所へ向かい、それぞれの役割を背負って歩いている。
私は、その流れから少しだけ外れている。
それでも、孤独ではない。
――選ばないことで、私は世界と並んで立っている。
丘の上に出ると、視界が開けた。
王都が遠くに見える。
あの場所で、私はかつて選ばれ、選ばされ、選び続けていた。
今は、選ばない。
けれど、逃げてもいない。
私は、その景色を長く眺め、そして静かに背を向けた。
午後、屋敷に戻り、書斎に入る。
白紙を前に、私は久しぶりに長く座った。
もう、言葉を書き残す必要はない。
誰かに伝えるためでも、未来に備えるためでもない。
ただ、ここに座り、確かめる。
私は、何かを達成したわけではない。
勝ち取った称号も、完成させた制度もない。
それでも、私は生きている。
選ばないことで。
戻らないことで。
引き受けないことで。
夜、灯りを点ける。
部屋は静かで、外の音も遠い。
私は立ち上がり、窓を開けた。
夜風が、穏やかに流れ込む。
星は少ない。
だが、空は広い。
私は思う。
――人生は、選択の連続だと言われてきた。
――だが、本当は、選ばない時間の連続でもある。
その時間の中で、人は呼吸し、立ち止まり、方向を失い、そして自分を取り戻す。
私は、選ばないことで、生きている。
それは、誰かのためではない。
何かの役に立つためでもない。
ただ、私であるための、生き方だ。
灯りを落とし、私は深く息を吐いた。
明日も、私は選ばないかもしれない。
だが、それでいい。
選ばないという選択が、
ここまで私を連れてきたのだから。
静かな夜の中で、
私は確かに、生きていた。
――完。
13
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」
公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。
死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」
目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。
「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」
隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。
そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……?
「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」
資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。
さようなら、私を「枯れた花」と呼んだ貴方。~辺境で英雄を救って聖女と呼ばれたので、没落した元婚約者の謝罪は受け付けません~
有賀冬馬
恋愛
「お前のような見栄えの悪い女は、俺の隣にふさわしくない」
婚約者アレクに捨てられ、辺境へ追いやられたセレナ。
けれど、彼女が森で拾ったのは、アレクなど足元にも及ばないほど強くて優しい、呪われた英雄ライアンだった。
セレナの薬草が奇跡を起こし、王都を救う特効薬となったとき、かつて自分を捨てた男との再会が訪れる。
「やり直そう」と縋り付くアレクに、セレナは最愛の人と寄り添いながら静かに微笑む。
――あなたが捨てたのは、ただの影ではなく、あなたの未来そのものだったのですよ。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
夫と愛し合った翌朝、一方的に離縁されました【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
美しい公爵夫人マルグリートは、冷徹な夫ディートリヒと共に、王国の裏で密かに任務をこなす“悪女”。
だがある日、突然夫から離婚を言い渡される。しかもその裏には、平民の愛人の存在が──。
失意の中、王命で新たな婚約者・エルンストと結ばれることに。
どうやら今回の離婚再婚は、王家の陰謀があるよう。
「悪女に、遠慮はいらない」
そう決意した彼女は、華やかな舞踏会で王に真っ向から言い放つ。
「わたくし、人の家庭を壊しておきながら悪びれない方に、下げる頭は持っていませんの。
王族であられる前に、人におなりくださいませ。……失礼」
愛も、誇りも奪われたなら──
今度はこの手で、すべてを取り戻すだけ。
裏切りに燃える、痛快リベンジ・ロマンス!
⚠️本作は AI の生成した文章を一部に使っています。タイトル変えました。コメディーです。主人公は悪女です。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
婚約破棄は了承済みですので、慰謝料だけ置いていってください
鍛高譚
恋愛
公爵令嬢アナスタシア・オルステッドは、第三王子アレンの婚約者だった。
しかし、アレンは没落貴族の令嬢カリーナと密かに関係を持っていたことが発覚し、彼女を愛していると宣言。アナスタシアとの婚約破棄を告げるが──
「わかりました。でも、それには及びません。すでに婚約は破棄されております」
なんとアナスタシアは、事前に国王へ婚約破棄を申し出ており、すでに了承されていたのだ。
さらに、慰謝料もしっかりと請求済み。
「どうぞご自由に、カリーナ様とご婚約なさってください。でも、慰謝料のお支払いはお忘れなく」
驚愕するアレンを後にし、悠々と去るアナスタシア。
ところが数カ月後、生活に困窮したアレンが、再び彼女のもとへ婚約のやり直しを申し出る。
「呆れたお方ですね。そんな都合のいい話、お受けするわけがないでしょう?」
かつての婚約者の末路に興味もなく、アナスタシアは公爵家の跡取りとして堂々と日々を過ごす。
しかし、王国には彼女を取り巻く新たな陰謀の影が忍び寄っていた。
暗躍する謎の勢力、消える手紙、そして不審な襲撃──。
そんな中、王国軍の若きエリート将校ガブリエルと出会い、アナスタシアは自らの運命に立ち向かう決意を固める。
「私はもう、誰かに振り回されるつもりはありません。この王国の未来も、私自身の未来も、私の手で切り拓きます」
婚約破棄を経て、さらに強く、賢くなった公爵令嬢の痛快ざまぁストーリー!
自らの誇りを貫き、王国を揺るがす陰謀を暴く彼女の華麗なる活躍をお楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる