選ばれなかった令嬢は、何も選ばずにすべてを手に入れる

ふわふわ

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第四十話 選ばないことで、生きている

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第四十話 選ばないことで、生きている

 朝、私はいつもより少し長く、目を閉じたままでいた。
 目覚めている。眠ってはいない。けれど、起き上がる理由が、どこにも見当たらなかった。

 ――起きなくても、始まっている。

 その事実を、身体が先に理解していた。

 静かに起き上がり、窓を開ける。
 春にはまだ早いが、空気の底に、確かな変化があった。冷たいままではあるが、拒む感じがない。外の世界が、こちらを急かしていない。

 私は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。

 今日も、何かを選ぶ予定はない。
 けれど、それは「何もしない」という意味ではなかった。

 書斎に入る。
 机の上は、最初の日から何一つ変わっていない。
 書類も、命令も、期待もない。

 だが私は、初めてこの机を「空白」とは思わなかった。

 ――ここには、私が生きてきた痕跡がある。

 選ばなかった判断。
 戻らなかった場所。
 引き受けなかった役割。

 それらが、何もない空間に、確かな厚みを与えている。

 午前中、補佐官が最後の報告を持ってきた。

「お嬢様、王都からの連絡は……今後、定例から外されることになりました」

「そうですか」

「“判断の前提に含めない”という扱いです」

 私は頷いた。

「それで、完成ですね」

 補佐官は、一瞬言葉を探し、そして静かに微笑んだ。

「……お疲れさまでした」

「いいえ」

 私は首を横に振る。

「終わったわけではありません。
 ただ、私の場所が、ようやく定まっただけです」

 補佐官は深く一礼し、何も言わずに下がった。
 それが、最も正しい別れ方だった。

 昼前、私は屋敷を出た。
 今日は、どこかへ向かうつもりがあった。

 だが目的地は、やはり決めない。
 歩きながら、決まるものに任せる。

 道は静かだった。
 人々はそれぞれの場所へ向かい、それぞれの役割を背負って歩いている。
 私は、その流れから少しだけ外れている。

 それでも、孤独ではない。

 ――選ばないことで、私は世界と並んで立っている。

 丘の上に出ると、視界が開けた。
 王都が遠くに見える。
 あの場所で、私はかつて選ばれ、選ばされ、選び続けていた。

 今は、選ばない。

 けれど、逃げてもいない。

 私は、その景色を長く眺め、そして静かに背を向けた。

 午後、屋敷に戻り、書斎に入る。
 白紙を前に、私は久しぶりに長く座った。

 もう、言葉を書き残す必要はない。
 誰かに伝えるためでも、未来に備えるためでもない。

 ただ、ここに座り、確かめる。

 私は、何かを達成したわけではない。
 勝ち取った称号も、完成させた制度もない。

 それでも、私は生きている。

 選ばないことで。
 戻らないことで。
 引き受けないことで。

 夜、灯りを点ける。
 部屋は静かで、外の音も遠い。

 私は立ち上がり、窓を開けた。
 夜風が、穏やかに流れ込む。

 星は少ない。
 だが、空は広い。

 私は思う。

 ――人生は、選択の連続だと言われてきた。
 ――だが、本当は、選ばない時間の連続でもある。

 その時間の中で、人は呼吸し、立ち止まり、方向を失い、そして自分を取り戻す。

 私は、選ばないことで、生きている。

 それは、誰かのためではない。
 何かの役に立つためでもない。

 ただ、私であるための、生き方だ。

 灯りを落とし、私は深く息を吐いた。

 明日も、私は選ばないかもしれない。
 だが、それでいい。

 選ばないという選択が、
 ここまで私を連れてきたのだから。

 静かな夜の中で、
 私は確かに、生きていた。

 ――完。
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