選ばれなかった令嬢は、何も選ばずにすべてを手に入れる

ふわふわ

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第三十九話 選ばなかった私が、私を選ぶ

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第三十九話 選ばなかった私が、私を選ぶ

 朝、目を覚ました瞬間、私ははっきりと分かった。
 今日は、これまでとは少し違う日になる。

 空気が違うわけではない。
 音が増えたわけでもない。
 ただ、自分の内側にあった沈黙の質が、わずかに変わっていた。

 ――選ばなかった私が、今、私を選ぼうとしている。

 それは使命感でも、決意表明でもない。
 ごく自然な、呼吸の延長のような感覚だった。

 窓を開ける。
 朝の光が、部屋の奥まで届く。これまでよりも少しだけ、角度が高い。季節が進んだ証だ。私はその光を遮らず、ただ立って受け止めた。

 書斎に入る。
 机の上は、これまでと同じく何も置かれていない。
 だが今日は、その空白が「待っている」ように感じられた。

 ――待っているのは、役割ではない。
 ――判断でも、責任でもない。

 私自身だ。

 午前中、補佐官がいつものように控えめに入室した。

「お嬢様、本日も……特段の連絡はありません」

「はい」

 私は頷き、それから一拍置いた。

「ですが、今日は少し外に出ます」

 補佐官は驚かなかった。
 ただ、静かに問い返す。

「目的地は?」

「決めていません」

「承知しました。では、最小限で」

 このやり取りが、もう説明を必要としないことに、私は小さく微笑んだ。

 屋敷を出ると、空気は冷たく、しかし硬くはなかった。
 私は足の向くままに歩き始める。

 これまで、私は「選ばない」ことで道を作ってきた。
 戻らないことで、余白を残してきた。
 動かないことで、流れを整えてきた。

 だが今日は、少し違う。
 何かを選ぶために歩いているのではない。
 自分の輪郭を、確かめるために歩いている。

 街の端に差しかかると、小さな広場があった。
 人は少なく、中央には古い木が一本立っている。ベンチに腰掛ける人もいない。

 私はその木の下で立ち止まった。

 ――もし、あのとき選んでいたら。

 思考は自然とそこへ向かう。
 王宮に戻っていたら。
 役割を引き受けていたら。
 期待に応え続けていたら。

 だが、そこに後悔はなかった。

 選ばなかった私が、今ここにいる。
 それだけで、十分だった。

 昼前、私は広場の端にある小さな店に入った。
 古本と雑貨を扱う、静かな店だ。

 店主は、私が誰かを気にしない。
 ただ、「いらっしゃい」と言い、必要以上に話しかけない。

 棚を眺めていると、一冊の薄い本が目に留まった。
 表紙には、簡素な文字でこう書かれている。

 ――「選択の外側で、生きる」。

 私はその本を手に取った。
 迷わず、買った。

 それは衝動ではない。
 選択でもない。

 確認だった。

 午後、屋敷に戻ると、机の前に座った。
 白紙を前に、今日は珍しく、ペンを取る。

 だが、長くは書かない。
 一文でいい。

 ――「私は、私を選ぶ」。

 それだけを書き、ペンを置いた。

 選ぶ、という行為は、誰かの期待に応えることではない。
 未来を縛ることでもない。

 自分を、置き去りにしないという宣言だ。

 夕刻、補佐官が報告に来た。

「外出先で、何かございましたか」

「いいえ」

 私は首を振った。

「ただ、確認しました」

「何を、でしょう」

「私が、ここにいる理由を」

 補佐官は、それ以上何も聞かなかった。
 聞く必要がなかったのだ。

 夜、書斎で灯りを点ける。
 白紙は、まだ残っている。
 だが、もはや空白ではない。

 そこには、私が立っている。

 選ばなかった私。
 戻らなかった私。
 動かなかった私。

 そのすべてが、今の私を支えている。

 私は静かに思う。

 ――選ばなかった私が、
 ――今、私を選んでいる。

 それは始まりでも、終わりでもない。
 ただ、肯定だ。

 誰かに選ばれなくてもいい。
 何かに選ばれなくてもいい。

 私は、私を選ぶ。

 窓を開けると、夜風が穏やかに入ってきた。
 星は少なく、空は静かだ。

 だが、その静けさの中で、
 私は確かに前を向いていた。

 明日、何が起きるかは分からない。
 だが、私はもう迷わない。

 選ばなかった私が、
 今この瞬間、
 確かに、私を選んでいるのだから。

 その感覚を胸に、
 私は静かに灯りを落とした。
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