婚約破棄されましたが、私はもう必要ありませんので

ふわふわ

文字の大きさ
20 / 40

第二十話 揺るがぬ現在

しおりを挟む
第二十話 揺るがぬ現在

 辺境公爵領に、穏やかな雨上がりの朝が訪れていた。

 石畳はまだ湿っているが、空気は澄み、城下町にはいつもどおりの喧騒が戻っている。
 市場では商人が荷を広げ、街道から戻った馬車が次々と門をくぐった。

 マルグリット・フォン・ルーヴェンは、城のテラスからその様子を眺めていた。

「……動いていますね」

 それは感想であり、確認でもある。
 この領は、今日も滞りなく機能している。

 執務室に戻ると、すでに数件の報告が届いていた。
 物流拠点の稼働率、税収の速報値、街道沿いの治安状況。
 どれも想定の範囲内で、極端な偏りはない。

「問題なし……ではありませんが、対処可能ですね」

 小さく呟き、必要な指示を走り書きする。

 完璧な日など存在しない。
 重要なのは、問題が「見える」ことと、「手を打てる」ことだ。

 午前の会議では、若い文官が一つの提案を出した。

「物流拠点の管理についてですが、将来的に自治的な運営組織を設けてはどうかと」

 一瞬、場が静まる。

 新しい試みだ。
 管理を手放すことへの不安もある。

 だが、マルグリットはすぐに口を開いた。

「段階的に、なら検討する価値はあります」

 文官が、驚いたように顔を上げる。

「ただし、責任の所在と監査の仕組みは必須です。
 丸投げではなく、“任せる準備”をすることが前提です」

「……はい」

「試験的に、小規模な区域から始めましょう。
 失敗しても、取り返せる範囲で」

 フェリクス・フォン・グランツは、腕を組んだまま頷いた。

「良い判断だ。
 この領は、次の段階に入っている」

 誰も反対しなかった。
 それは信頼の結果であり、同時に、彼女一人に依存していない証でもある。

 昼過ぎ、マルグリットは短い休憩を取った。

 用意された紅茶を口に含み、窓の外を眺める。
 王宮で過ごしていた頃と、同じ時間帯。
 だが、感じる重さはまるで違う。

「……今は、重くありませんね」

 忙しい。
 責任もある。
 だが、息が詰まることはない。

 それが、“揺るがぬ現在”なのだと、彼女は思う。

 一方、王宮では。

 ロイド・ヴァルシュタインが、新設された実務調整官の報告を受けていた。

「……運用は、どうだ」

「正直に申し上げますと……まだ、機能しきれておりません」

 側近の言葉は慎重だ。

「権限分担に慣れていない者が多く、判断が滞る場面も見られます」

「……そうか」

 ロイドは、ゆっくりと息を吐いた。

 仕組みを作れば、すぐに回ると思っていた。
 だが、それは幻想だった。

 人が育たなければ、仕組みは形骸化する。
 そして、人を育てるには、時間が必要だ。

「辺境公爵領は、どうだ」

「……安定しています。
 むしろ、次の段階を見据えているようです」

 ロイドは、目を閉じた。

 追いつけない。
 だが、追い戻すこともできない。

 それが、現実だった。

 夕方、辺境公爵領の城では、簡単な報告会が終わったところだった。

「今日は、ここまでにしましょう」

 マルグリットの言葉で、皆が立ち上がる。

「明日は、自治組織案の詳細を詰めます。
 無理はしませんが、準備は進めます」

「了解しました」

 人々の返事には、余裕があった。

 仕事が終わり、マルグリットは城の外に出る。
 雨上がりの空に、夕焼けが滲んでいる。

「……ここは、今日も揺れていません」

 王宮のことを考えないわけではない。
 だが、それに引きずられることもない。

 過去は、すでに整理された。
 未来は、誰かが選んでくれるものではない。

 今、この場所で、
 自分が選び、積み上げているもの。

 それこそが、彼女の現在だ。

 マルグリット・フォン・ルーヴェンは、歩き出す。

 次の判断へ。
 次の積み上げへ。

 揺るがぬ現在は、
 奇跡のように突然訪れたものではない。

 選び続けた結果として、
 静かに、確かに、ここにある。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

処理中です...