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第3話 鑑賞という名の耐久勤務
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第3話 鑑賞という名の耐久勤務
その日の予定表を見た瞬間、ルナ・ルクスは小さく息を吐いた。
表情は崩さない。けれど、内心でははっきりと言葉が浮かんでいる。
――連勤ですわね。
午前はクラシック音楽鑑賞。
午後は美術鑑賞。
夜はオペラ観劇。
どれも「趣味」や「嗜み」と呼ばれる類いのものだ。
だが、前世で過労死した元会社員として、ルナはもう騙されない。
これは完全に――
精神耐久型の業務である。
午前。
貴族専用の小ホールに用意された席に座り、ルナは背筋を伸ばした。姿勢を崩すのは論外。眠気などもってのほかだ。
演奏が始まると、空気が変わる。
音楽そのものは美しい。
だが問題は、その後だ。
曲が終わるごとに、周囲の貴族たちがさりげなく視線を交わす。
――今の演奏、どう評価する?
――感想、準備できてる?
言葉にされない圧が、確かに存在する。
拍手の長さ、強さ、終わらせるタイミング。
少しでも早ければ「理解が浅い」。
遅ければ「迎合しすぎ」。
演奏が終わったあと、案の定、話題は振られた。
「ルナ様は、第二楽章をどうお感じに?」
即答が求められる。
だが、出しゃばってはいけない。
深すぎてもいけない。
無難すぎても評価が落ちる。
ルナは一拍置いてから、柔らかく微笑んだ。
「主旋律の静けさが、後半の盛り上がりを引き立てていましたわね」
周囲が小さくうなずく。
正解だ。
だが内心、彼女は思う。
――これ、感想会という名の面接ですわ。
昼を挟み、午後は美術鑑賞。
並べられた絵画の前を、ゆっくりと歩く。
語りすぎてはいけない。
黙りすぎてもいけない。
知識があることは示す。
だが主役になってはいけない。
「分かっているが、語らない」
この高度な技術が、ここでは求められる。
ある絵の前で、年配の貴族が言った。
「この作品は、やや難解でしょう?」
これは罠だ。
否定すれば無礼。
同調しすぎれば浅薄。
ルナは静かに答える。
「だからこそ、長く眺める価値があるのだと思いますわ」
相手は満足そうにうなずいた。
また正解。
だが、頭の奥がじわじわと重くなる。
前世で言うところの、集中力を削られる疲労だ。
そして夜。
最後の山場、オペラ観劇。
物語、歌手の格、スポンサー、派閥。
すべてを把握したうえで、正しい場面で感動し、正しい場面で涙を見せる。
泣きすぎれば演技。
泣かなければ冷淡。
――どれだけ感情管理を要求する職場なのですか。
終演後、拍手が鳴り響く中、ルナは完璧な微笑みを保っていた。
誰から見ても、優雅な公爵令嬢。
非の打ちどころはない。
だが、馬車に揺られて邸に戻った瞬間、彼女は深く背もたれに沈んだ。
「……」
言葉すら出ない。
体は元気だ。
だが、思考が動かない。
部屋に戻り、ドレスを脱ぎ、ようやく一人になる。
そこで、ぽつりと本音が落ちた。
「これは……趣味ではありませんわね」
鏡の中の自分は、変わらず完璧な貴族令嬢だ。
だが、その裏側を知ってしまった。
――鑑賞とは、労働。
――しかも、長時間の無償残業。
ルナ・ルクスは、その夜、はっきりと理解した。
貴族の「優雅な生活」とは、
耐久勤務の連続なのだ、と。
そして心の奥で、次の問いが静かに芽生え始めていた。
――この仕事、本当に割に合っていますの?
その日の予定表を見た瞬間、ルナ・ルクスは小さく息を吐いた。
表情は崩さない。けれど、内心でははっきりと言葉が浮かんでいる。
――連勤ですわね。
午前はクラシック音楽鑑賞。
午後は美術鑑賞。
夜はオペラ観劇。
どれも「趣味」や「嗜み」と呼ばれる類いのものだ。
だが、前世で過労死した元会社員として、ルナはもう騙されない。
これは完全に――
精神耐久型の業務である。
午前。
貴族専用の小ホールに用意された席に座り、ルナは背筋を伸ばした。姿勢を崩すのは論外。眠気などもってのほかだ。
演奏が始まると、空気が変わる。
音楽そのものは美しい。
だが問題は、その後だ。
曲が終わるごとに、周囲の貴族たちがさりげなく視線を交わす。
――今の演奏、どう評価する?
――感想、準備できてる?
言葉にされない圧が、確かに存在する。
拍手の長さ、強さ、終わらせるタイミング。
少しでも早ければ「理解が浅い」。
遅ければ「迎合しすぎ」。
演奏が終わったあと、案の定、話題は振られた。
「ルナ様は、第二楽章をどうお感じに?」
即答が求められる。
だが、出しゃばってはいけない。
深すぎてもいけない。
無難すぎても評価が落ちる。
ルナは一拍置いてから、柔らかく微笑んだ。
「主旋律の静けさが、後半の盛り上がりを引き立てていましたわね」
周囲が小さくうなずく。
正解だ。
だが内心、彼女は思う。
――これ、感想会という名の面接ですわ。
昼を挟み、午後は美術鑑賞。
並べられた絵画の前を、ゆっくりと歩く。
語りすぎてはいけない。
黙りすぎてもいけない。
知識があることは示す。
だが主役になってはいけない。
「分かっているが、語らない」
この高度な技術が、ここでは求められる。
ある絵の前で、年配の貴族が言った。
「この作品は、やや難解でしょう?」
これは罠だ。
否定すれば無礼。
同調しすぎれば浅薄。
ルナは静かに答える。
「だからこそ、長く眺める価値があるのだと思いますわ」
相手は満足そうにうなずいた。
また正解。
だが、頭の奥がじわじわと重くなる。
前世で言うところの、集中力を削られる疲労だ。
そして夜。
最後の山場、オペラ観劇。
物語、歌手の格、スポンサー、派閥。
すべてを把握したうえで、正しい場面で感動し、正しい場面で涙を見せる。
泣きすぎれば演技。
泣かなければ冷淡。
――どれだけ感情管理を要求する職場なのですか。
終演後、拍手が鳴り響く中、ルナは完璧な微笑みを保っていた。
誰から見ても、優雅な公爵令嬢。
非の打ちどころはない。
だが、馬車に揺られて邸に戻った瞬間、彼女は深く背もたれに沈んだ。
「……」
言葉すら出ない。
体は元気だ。
だが、思考が動かない。
部屋に戻り、ドレスを脱ぎ、ようやく一人になる。
そこで、ぽつりと本音が落ちた。
「これは……趣味ではありませんわね」
鏡の中の自分は、変わらず完璧な貴族令嬢だ。
だが、その裏側を知ってしまった。
――鑑賞とは、労働。
――しかも、長時間の無償残業。
ルナ・ルクスは、その夜、はっきりと理解した。
貴族の「優雅な生活」とは、
耐久勤務の連続なのだ、と。
そして心の奥で、次の問いが静かに芽生え始めていた。
――この仕事、本当に割に合っていますの?
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