婚約破棄されました(効率の悪い労働でした) ― 働いてない? 舞踏会は、充分重労働ですわ! ―

ふわふわ

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第8話 数字が語らないことも、確かにあります

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第8話 数字が語らないことも、確かにあります

 その日、ルナ・ルクスは珍しく書斎に長く留まっていた。
 理由は単純だ。数字を、じっくりと見たかったからである。

 分厚い帳簿が机の上に並ぶ。
 税収、支出、補修費、仕立屋への発注量、食料の流通量。
 どれも、彼女が直接命じたものではない。だが、彼女が「止めなかった」結果だ。

 ――数字は嘘をつきません。
 ただし、全部は語らない。

 前世で何度も学んだことだ。
 数値は現象を示すが、原因までは映さない。
 まして、人の感情や疲労、萎縮など、帳簿に載るはずもない。

 ルナはペンを取り、余白に小さく印をつけていく。
 去年と比べて、仕立屋の発注が微増している。
 道路の補修費は横ばいだが、回数は増えている。
 食料の取引量も、わずかに上向き。

 ――派手ではありませんわね。

 だが、止まっていない。
 それが、彼女にとって何より重要だった。

 午後、執事が書斎を訪れた。
「王都より、倹約政策の追加通達が届いております」

 差し出された書簡に、ルナは目を通す。
 公共事業の縮小。
 催し物への補助金削減。
 貴族の支出抑制の要請。

 文面は丁寧で、理屈も整っている。
 無駄を省き、将来に備える。
 間違ってはいない。

 ――短期的には。

「王都の税収は、どうなっておりますの?」

 ルナの問いに、執事は一瞬だけ言葉を探した。
「……横ばい、いえ、微減傾向です」

 やはり、と思う。

 ルナは、帳簿を一冊閉じ、静かに言った。
「倹約は、悪いことではありませんわ」

 執事は黙って聞いている。
 この先を、彼女がどう続けるかを知っているからだ。

「けれど、使うべきところまで止めてしまえば……
 お金は、動かなくなります」

 お金は、水と同じだ。
 流れてこそ、澱まない。

 夜、再び王太子ユピテル・アストラの名が、会話に上った。
 王都では、彼の勤勉さが称賛されているという。

 数字を詰め、支出を抑え、規律を示す。
 理想的な王太子像。

 だが、ルナは知っている。
 数字を良くすることと、
 人が息をすることは、必ずしも一致しない。

 窓の外では、街の灯りが静かに揺れている。
 仕立屋の店はまだ明かりを落としていない。
 飲食店からは、かすかな笑い声が聞こえる。

 ――この灯りが消えたら。

 帳簿には、まだ反映されない。
 だが、確実に何かが壊れ始める。

 ルナは紅茶を一口含み、ゆっくりと息を吐いた。

「数字が語らないことも……確かにありますわね」

 それは、誰かを批判する言葉ではない。
 事実を、事実として受け止めた結果だ。

 彼女はまだ、声を上げない。
 意見を述べない。
 反論もしない。

 ただ、知っている。

 倹約が行き過ぎれば、
 やがて帳簿そのものが、
 沈黙を始めることを。

 そしてその沈黙は、
 拍手も、称賛もなく、
 ただ静かに、国を冷やす。

 ルナ・ルクスは、その未来を思い浮かべながら、
 静かに帳簿を閉じた。

 ――私は、数字だけを信じるほど、
 もう若くありませんの。

 その言葉は、
 やがて彼女自身の立場をも、
 決定的に変えていくことになる。
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