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第9話 倹約が正義になるとき、経済は息を止めます
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第9話 倹約が正義になるとき、経済は息を止めます
朝の空気が、どこか重たかった。
ルナ・ルクスは窓辺に立ち、王都の方角を眺めながら、そんな感覚を覚えていた。
曇り空ではない。
霧もない。
それなのに、街全体が息をひそめているように見える。
――気のせい、ではありませんわね。
侍女が持ってきた朝刊代わりの報告書に、ルナは静かに目を通す。
王都の催しの中止。
補助金の打ち切り。
工房の稼働時間短縮。
露店の営業許可の見直し。
どれも、単体で見れば「正しい」。
無駄を削り、支出を抑え、規律を保つ。
一つひとつは、非難されるものではない。
だが、積み重なると話は変わる。
「王都の仕立屋が、二軒ほど店を畳んだそうです」
侍女の声は低く、感情を含まない。
報告として淡々としているが、内容は重い。
「理由は?」
「注文の減少です。
貴族の新調が減り、一般客も控え始めている、と」
ルナは小さくうなずいた。
想定通りだ。
倹約が“美徳”として広まると、
まず削られるのは、生活に必須ではないもの。
だが、その「必須ではないもの」で、
多くの人が生きている。
仕立屋。
装飾職人。
楽団。
劇場。
催しを支える裏方。
彼らが止まれば、
次は運送が止まり、
次は食事が減り、
やがて税が減る。
帳簿に現れる頃には、
すでに遅い。
昼前、執事が別の報告を持ってきた。
「王都では、さらなる倹約策が検討されているとのことです」
ルナは、思わず苦笑した。
――減ったから、もっと締める。
典型的な負の循環ですわね。
前世でも、何度も見た光景だ。
売上が落ちる。
人件費を削る。
サービスが落ちる。
さらに売上が落ちる。
それを「努力不足」で片づける管理職。
構造を見ない経営。
この世界でも、同じことが起きているだけだ。
午後、ルナは馬車で公爵領内の街へ出た。
視察、という名目だが、実際には確認である。
通りは賑やかだった。
露店の呼び声。
子どもたちの笑い声。
仕立屋の窓には、新作のドレス。
王都とは、空気が違う。
商人が言う。
「最近は、注文が増えましてね。
王都では控える方が多いそうで」
仕立屋も、同じことを言った。
「贅沢は悪い、という空気が強くて。
でも、こちらでは違うので助かります」
ルナは、静かにうなずいた。
――そう。
贅沢は、悪ではありません。
お金を使うことは、仕事を生む。
仕事は、人を生かす。
それを止めるのは、
節約ではなく、窒息だ。
夕方、邸に戻り、ルナは帳簿を再び開いた。
公爵領の税収は、緩やかだが確実に伸びている。
派手な事業はない。
だが、止めていない。
舞踏会。
演奏会。
仕立て。
道路の補修。
どれも、「今すぐ必要ではない」と切られやすいものだ。
だが、それがあるから、経済は回る。
ルナは、ペンを置き、深く息を吐いた。
「倹約が正義になるとき……」
独り言のように、続ける。
「経済は、息を止めますわ」
それは、誰かを非難する言葉ではない。
事実の確認だ。
王太子ユピテル・アストラは、間違っていない。
彼は勤勉で、誠実で、努力している。
ただ、方向が一つしかない。
締める。
削る。
耐える。
それが永遠に続くと思っている。
ルナは、紅茶を飲み干し、静かに結論づけた。
――私は、もう知っています。
倹約だけでは、
国は豊かにならない。
そして、
この認識の違いこそが――
決定的な断絶なのだと。
その溝は、
いつか必ず、
婚約という名の契約を、
破ることになる。
ルナ・ルクスは、まだ何も言わない。
だが、静かに確信していた。
正しさだけでは、
人は生きられませんわ。
朝の空気が、どこか重たかった。
ルナ・ルクスは窓辺に立ち、王都の方角を眺めながら、そんな感覚を覚えていた。
曇り空ではない。
霧もない。
それなのに、街全体が息をひそめているように見える。
――気のせい、ではありませんわね。
侍女が持ってきた朝刊代わりの報告書に、ルナは静かに目を通す。
王都の催しの中止。
補助金の打ち切り。
工房の稼働時間短縮。
露店の営業許可の見直し。
どれも、単体で見れば「正しい」。
無駄を削り、支出を抑え、規律を保つ。
一つひとつは、非難されるものではない。
だが、積み重なると話は変わる。
「王都の仕立屋が、二軒ほど店を畳んだそうです」
侍女の声は低く、感情を含まない。
報告として淡々としているが、内容は重い。
「理由は?」
「注文の減少です。
貴族の新調が減り、一般客も控え始めている、と」
ルナは小さくうなずいた。
想定通りだ。
倹約が“美徳”として広まると、
まず削られるのは、生活に必須ではないもの。
だが、その「必須ではないもの」で、
多くの人が生きている。
仕立屋。
装飾職人。
楽団。
劇場。
催しを支える裏方。
彼らが止まれば、
次は運送が止まり、
次は食事が減り、
やがて税が減る。
帳簿に現れる頃には、
すでに遅い。
昼前、執事が別の報告を持ってきた。
「王都では、さらなる倹約策が検討されているとのことです」
ルナは、思わず苦笑した。
――減ったから、もっと締める。
典型的な負の循環ですわね。
前世でも、何度も見た光景だ。
売上が落ちる。
人件費を削る。
サービスが落ちる。
さらに売上が落ちる。
それを「努力不足」で片づける管理職。
構造を見ない経営。
この世界でも、同じことが起きているだけだ。
午後、ルナは馬車で公爵領内の街へ出た。
視察、という名目だが、実際には確認である。
通りは賑やかだった。
露店の呼び声。
子どもたちの笑い声。
仕立屋の窓には、新作のドレス。
王都とは、空気が違う。
商人が言う。
「最近は、注文が増えましてね。
王都では控える方が多いそうで」
仕立屋も、同じことを言った。
「贅沢は悪い、という空気が強くて。
でも、こちらでは違うので助かります」
ルナは、静かにうなずいた。
――そう。
贅沢は、悪ではありません。
お金を使うことは、仕事を生む。
仕事は、人を生かす。
それを止めるのは、
節約ではなく、窒息だ。
夕方、邸に戻り、ルナは帳簿を再び開いた。
公爵領の税収は、緩やかだが確実に伸びている。
派手な事業はない。
だが、止めていない。
舞踏会。
演奏会。
仕立て。
道路の補修。
どれも、「今すぐ必要ではない」と切られやすいものだ。
だが、それがあるから、経済は回る。
ルナは、ペンを置き、深く息を吐いた。
「倹約が正義になるとき……」
独り言のように、続ける。
「経済は、息を止めますわ」
それは、誰かを非難する言葉ではない。
事実の確認だ。
王太子ユピテル・アストラは、間違っていない。
彼は勤勉で、誠実で、努力している。
ただ、方向が一つしかない。
締める。
削る。
耐える。
それが永遠に続くと思っている。
ルナは、紅茶を飲み干し、静かに結論づけた。
――私は、もう知っています。
倹約だけでは、
国は豊かにならない。
そして、
この認識の違いこそが――
決定的な断絶なのだと。
その溝は、
いつか必ず、
婚約という名の契約を、
破ることになる。
ルナ・ルクスは、まだ何も言わない。
だが、静かに確信していた。
正しさだけでは、
人は生きられませんわ。
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