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第10話 この婚約、費用対効果が合いませんわ
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第10話 この婚約、費用対効果が合いませんわ
その日の朝、ルナ・ルクスは、いつもより少し早く目を覚ましていた。
目覚めが悪かったわけではない。むしろ、頭は冴えている。
昨夜のうちに、考えが一つの形を取ってしまったからだ。
――整理しましょう。
彼女は寝台を出て、窓辺の椅子に腰を下ろした。
朝の光は穏やかで、公爵邸は変わらず静かだ。
だが、心の中では、帳簿が一冊、はっきりと開かれていた。
婚約者。
王太子ユピテル・アストラ。
勤勉。誠実。努力家。
国を思い、倹約を重んじ、模範であろうとする姿勢。
非難する理由は、どこにもない。
問題は、その努力が、どこへ向いているかだ。
ルナは、頭の中で項目を並べる。
・舞踏会への出席
・観劇、鑑賞、式典
・王太子妃としての立ち居振る舞い
・価値観のすり合わせ
・「自覚」を求められる無言の圧力
どれも、今後減ることはない。
むしろ、王太子妃になれば、倍増する。
一方で、得られるものは何か。
・感謝は、ほぼない
・成果は、可視化されない
・失敗は、即座に表に出る
・倹約政策に異論を挟めば「怠慢」と見なされる
――これは。
ルナは、静かに結論を出した。
費用対効果が、まったく合いませんわ。
朝茶を運んできた侍女に礼を言い、ルナは書斎へ向かう。
机の上には、公爵領と王都、両方の帳簿が並べられていた。
数字を比べる。
改めて見ても、結果は明白だ。
王都:
支出削減、催し中止、補助金停止。
→ 税収、微減。
ルクス公爵領:
適度な支出、継続的な発注、道路整備。
→ 税収、微増。
派手な差ではない。
だが、方向が正反対だ。
昼前、執事が訪れ、王宮からの通知を伝えた。
王太子殿下が、近く再び面会を望んでいるという。
ルナは、少しだけ目を伏せた。
そして、静かに尋ねる。
「執事。
この婚約は、私にとって、何をもたらすのでしょうか」
執事は、即答しなかった。
それが、答えだった。
権威。
名誉。
立場。
だが、ルナが欲しいのは、そこではない。
――私はもう、
“正しさに追い立てられる立場”に戻りたくありませんの。
午後、庭園を歩きながら、彼女は前世のことを思い出していた。
「やりがい」という言葉で残業を正当化され、
「期待」という名の圧力で休みを削られ、
最後には、体と心だけが残った日々。
あのとき、誰も悪意はなかった。
ただ、構造が悪かった。
そして今。
この世界で、まったく同じ匂いがしている。
王太子ユピテル・アストラは、きっと悪人ではない。
だが、彼の理想の隣に立てば、
ルナは再び、「評価されない労働」を背負うことになる。
夕方、紅茶を飲みながら、ルナは心の中で言葉を整えた。
――政略結婚も、労働ですわ。
契約であり、役割であり、責任の塊。
ならば当然、割に合うかどうかを検討する権利がある。
そして、今の結論は――
「効率が、悪すぎますわね」
声に出してみると、不思議なほど落ち着いた。
夜、日記に短く記す。
『本日の結論:
この婚約は、
精神的コストが高すぎ、
得られる成果が少なすぎる』
ペンを置き、ルナは深く息を吐いた。
まだ、破棄するとは決めていない。
だが、続ける理由は、ほぼ失われた。
それだけで、十分だった。
――前世では、
こういう判断を、いつも後回しにして失敗しました。
同じ過ちは、繰り返さない。
ルナ・ルクスは、静かな夜の中で、
はっきりと理解していた。
この婚約は、
愛の問題ではない。
労働契約として、成立していない。
そしてこの認識が、
やがて王都を揺らす
“婚約破棄”という決断へと、
確実につながっていくことになる。
だがその瞬間は、まだ少し先だ。
今はただ、
紅茶の温度が冷めていくのを眺めながら、
ルナ・ルクスは、穏やかに微笑んでいた。
――冷静に考えられるうちは、
まだ余裕がありますもの。
その日の朝、ルナ・ルクスは、いつもより少し早く目を覚ましていた。
目覚めが悪かったわけではない。むしろ、頭は冴えている。
昨夜のうちに、考えが一つの形を取ってしまったからだ。
――整理しましょう。
彼女は寝台を出て、窓辺の椅子に腰を下ろした。
朝の光は穏やかで、公爵邸は変わらず静かだ。
だが、心の中では、帳簿が一冊、はっきりと開かれていた。
婚約者。
王太子ユピテル・アストラ。
勤勉。誠実。努力家。
国を思い、倹約を重んじ、模範であろうとする姿勢。
非難する理由は、どこにもない。
問題は、その努力が、どこへ向いているかだ。
ルナは、頭の中で項目を並べる。
・舞踏会への出席
・観劇、鑑賞、式典
・王太子妃としての立ち居振る舞い
・価値観のすり合わせ
・「自覚」を求められる無言の圧力
どれも、今後減ることはない。
むしろ、王太子妃になれば、倍増する。
一方で、得られるものは何か。
・感謝は、ほぼない
・成果は、可視化されない
・失敗は、即座に表に出る
・倹約政策に異論を挟めば「怠慢」と見なされる
――これは。
ルナは、静かに結論を出した。
費用対効果が、まったく合いませんわ。
朝茶を運んできた侍女に礼を言い、ルナは書斎へ向かう。
机の上には、公爵領と王都、両方の帳簿が並べられていた。
数字を比べる。
改めて見ても、結果は明白だ。
王都:
支出削減、催し中止、補助金停止。
→ 税収、微減。
ルクス公爵領:
適度な支出、継続的な発注、道路整備。
→ 税収、微増。
派手な差ではない。
だが、方向が正反対だ。
昼前、執事が訪れ、王宮からの通知を伝えた。
王太子殿下が、近く再び面会を望んでいるという。
ルナは、少しだけ目を伏せた。
そして、静かに尋ねる。
「執事。
この婚約は、私にとって、何をもたらすのでしょうか」
執事は、即答しなかった。
それが、答えだった。
権威。
名誉。
立場。
だが、ルナが欲しいのは、そこではない。
――私はもう、
“正しさに追い立てられる立場”に戻りたくありませんの。
午後、庭園を歩きながら、彼女は前世のことを思い出していた。
「やりがい」という言葉で残業を正当化され、
「期待」という名の圧力で休みを削られ、
最後には、体と心だけが残った日々。
あのとき、誰も悪意はなかった。
ただ、構造が悪かった。
そして今。
この世界で、まったく同じ匂いがしている。
王太子ユピテル・アストラは、きっと悪人ではない。
だが、彼の理想の隣に立てば、
ルナは再び、「評価されない労働」を背負うことになる。
夕方、紅茶を飲みながら、ルナは心の中で言葉を整えた。
――政略結婚も、労働ですわ。
契約であり、役割であり、責任の塊。
ならば当然、割に合うかどうかを検討する権利がある。
そして、今の結論は――
「効率が、悪すぎますわね」
声に出してみると、不思議なほど落ち着いた。
夜、日記に短く記す。
『本日の結論:
この婚約は、
精神的コストが高すぎ、
得られる成果が少なすぎる』
ペンを置き、ルナは深く息を吐いた。
まだ、破棄するとは決めていない。
だが、続ける理由は、ほぼ失われた。
それだけで、十分だった。
――前世では、
こういう判断を、いつも後回しにして失敗しました。
同じ過ちは、繰り返さない。
ルナ・ルクスは、静かな夜の中で、
はっきりと理解していた。
この婚約は、
愛の問題ではない。
労働契約として、成立していない。
そしてこの認識が、
やがて王都を揺らす
“婚約破棄”という決断へと、
確実につながっていくことになる。
だがその瞬間は、まだ少し先だ。
今はただ、
紅茶の温度が冷めていくのを眺めながら、
ルナ・ルクスは、穏やかに微笑んでいた。
――冷静に考えられるうちは、
まだ余裕がありますもの。
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