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第14話 働いていない?ええ、成果主義ですわ
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第14話 働いていない?ええ、成果主義ですわ
朝の光がカーテン越しに差し込むころ、ルナ・ルクスはすでに目を覚ましていた。
だが、起き上がらない。
――今日は、何もしない日ですわ。
予定表は空白。
舞踏会もない。
鑑賞会もない。
王宮からの呼び出しも、今のところない。
完璧だ。
ゆっくりと天井を見つめながら、ルナは思う。
この「何もしない時間」こそが、もっとも贅沢で、もっとも価値のある資源だということを。
前世では、それを理解できなかった。
理解していても、許されなかった。
だが今は違う。
午前、侍女が恐る恐る声をかけてくる。
「本日は……ご予定を入れなくても、よろしいのでしょうか?」
その言い方が、すでに答えを含んでいる。
何もしていない=怠けている、という価値観。
ルナは、寝台から起き上がり、落ち着いた声で答えた。
「ええ。
本日は、成果を出す予定がありませんの」
侍女は一瞬、理解できない顔をした。
それも無理はない。
ルナは、ゆっくりと紅茶を受け取りながら続ける。
「“常に動いていること”と、
“価値を生んでいること”は、
同義ではありませんわ」
侍女は口を閉ざし、深くうなずいた。
この屋敷で働く者たちは、ルナが無為に時間を過ごす人間ではないと、すでに知っている。
昼前、執事が報告を持ってきた。
公爵領の税収に関するものだ。
「今期も、想定より上振れしております。
特に、服飾と工芸関連が好調です」
ルナは、満足そうに頷いた。
「そうでしょうね」
理由は明白だ。
領内の職人たちに、安定した発注を出している。
安物をまとめて買うのではなく、
質の良いものを、適正価格で、継続的に。
結果、
職人は育ち、
雇用は増え、
税収は上がる。
ルナは、帳簿を閉じながら言った。
「贅沢とは、浪費ではありませんわ。
循環です」
午後、久しぶりに王都から貴族夫人が訪ねてきた。
名目は、お茶会。
だが、話題はすぐに核心に触れる。
「最近、ルナ様はとてもお忙しそうですけれど……
いえ、逆かしら。
あまりお姿をお見かけしませんわね?」
探るような視線。
評価するような沈黙。
――働いていないのでは?
その疑問は、言葉にされなくても、十分に伝わってくる。
ルナは、微笑みを崩さず、ゆっくりと答えた。
「ええ。
最近は、かなり“休んで”おりますの」
夫人たちが、わずかにざわめく。
「ですが……」
ルナは、紅茶のカップを置き、続けた。
「公爵領の税収は安定しておりますし、
失業者も増えておりません。
孤児院からの就職率も、上がっておりますわ」
一つずつ、淡々と。
「結果が出ておりますので、
今は動く必要がない、という判断ですの」
沈黙が落ちた。
それは、貴族社会において、
あまりにも異質な考え方だった。
忙しさ=価値。
露出=貢献。
その前提を、
ルナは正面から否定したのだから。
「……それは、
ずいぶん合理的なお考えですわね」
褒め言葉とも、皮肉とも取れる一言。
ルナは、にこやかに返す。
「ええ。
私は、成果主義ですの」
働いている“ように見える”ことより、
実際に回っているかどうか。
夕方、来客が去ったあと、ルナは庭園を歩いた。
風は穏やかで、噴水の音が静かに響く。
――やはり、貴族とは奇妙な世界ですわ。
忙しくしていなければ、不安になる。
休んでいる人間を、怠け者と決めつける。
だが実際には、
最も危険なのは、
「動いていること自体が目的になる」状態だ。
前世で、彼女はそれを痛いほど知った。
夜、書斎で一人、ルナはノートを開く。
そこには、簡潔なメモだけが並んでいる。
・無理に動かない
・成果が出ているなら維持
・疲弊を前提にしない
どれも、当たり前のことだ。
だが、この世界では、
それを貫くだけで、
「異端」になる。
ルナは、静かに笑った。
「働いていない?
いいえ……」
ペンを置き、はっきりと呟く。
「必要な仕事だけを、
必要な分だけ、
やっておりますの」
それが理解されなくても、構わない。
評価されなくても、構わない。
彼女はもう、
“忙しさ”という幻想に、
命を差し出すつもりはなかった。
そしてこの姿勢は、
やがて王太子ユピテル・アストラとの間に、
決定的な溝を生むことになる。
だが、まだその時ではない。
今はただ、
静かで、優雅で、
何もしない一日を守ること。
それこそが、
ルナ・ルクスにとっての、
最も重要な“仕事”だった。
朝の光がカーテン越しに差し込むころ、ルナ・ルクスはすでに目を覚ましていた。
だが、起き上がらない。
――今日は、何もしない日ですわ。
予定表は空白。
舞踏会もない。
鑑賞会もない。
王宮からの呼び出しも、今のところない。
完璧だ。
ゆっくりと天井を見つめながら、ルナは思う。
この「何もしない時間」こそが、もっとも贅沢で、もっとも価値のある資源だということを。
前世では、それを理解できなかった。
理解していても、許されなかった。
だが今は違う。
午前、侍女が恐る恐る声をかけてくる。
「本日は……ご予定を入れなくても、よろしいのでしょうか?」
その言い方が、すでに答えを含んでいる。
何もしていない=怠けている、という価値観。
ルナは、寝台から起き上がり、落ち着いた声で答えた。
「ええ。
本日は、成果を出す予定がありませんの」
侍女は一瞬、理解できない顔をした。
それも無理はない。
ルナは、ゆっくりと紅茶を受け取りながら続ける。
「“常に動いていること”と、
“価値を生んでいること”は、
同義ではありませんわ」
侍女は口を閉ざし、深くうなずいた。
この屋敷で働く者たちは、ルナが無為に時間を過ごす人間ではないと、すでに知っている。
昼前、執事が報告を持ってきた。
公爵領の税収に関するものだ。
「今期も、想定より上振れしております。
特に、服飾と工芸関連が好調です」
ルナは、満足そうに頷いた。
「そうでしょうね」
理由は明白だ。
領内の職人たちに、安定した発注を出している。
安物をまとめて買うのではなく、
質の良いものを、適正価格で、継続的に。
結果、
職人は育ち、
雇用は増え、
税収は上がる。
ルナは、帳簿を閉じながら言った。
「贅沢とは、浪費ではありませんわ。
循環です」
午後、久しぶりに王都から貴族夫人が訪ねてきた。
名目は、お茶会。
だが、話題はすぐに核心に触れる。
「最近、ルナ様はとてもお忙しそうですけれど……
いえ、逆かしら。
あまりお姿をお見かけしませんわね?」
探るような視線。
評価するような沈黙。
――働いていないのでは?
その疑問は、言葉にされなくても、十分に伝わってくる。
ルナは、微笑みを崩さず、ゆっくりと答えた。
「ええ。
最近は、かなり“休んで”おりますの」
夫人たちが、わずかにざわめく。
「ですが……」
ルナは、紅茶のカップを置き、続けた。
「公爵領の税収は安定しておりますし、
失業者も増えておりません。
孤児院からの就職率も、上がっておりますわ」
一つずつ、淡々と。
「結果が出ておりますので、
今は動く必要がない、という判断ですの」
沈黙が落ちた。
それは、貴族社会において、
あまりにも異質な考え方だった。
忙しさ=価値。
露出=貢献。
その前提を、
ルナは正面から否定したのだから。
「……それは、
ずいぶん合理的なお考えですわね」
褒め言葉とも、皮肉とも取れる一言。
ルナは、にこやかに返す。
「ええ。
私は、成果主義ですの」
働いている“ように見える”ことより、
実際に回っているかどうか。
夕方、来客が去ったあと、ルナは庭園を歩いた。
風は穏やかで、噴水の音が静かに響く。
――やはり、貴族とは奇妙な世界ですわ。
忙しくしていなければ、不安になる。
休んでいる人間を、怠け者と決めつける。
だが実際には、
最も危険なのは、
「動いていること自体が目的になる」状態だ。
前世で、彼女はそれを痛いほど知った。
夜、書斎で一人、ルナはノートを開く。
そこには、簡潔なメモだけが並んでいる。
・無理に動かない
・成果が出ているなら維持
・疲弊を前提にしない
どれも、当たり前のことだ。
だが、この世界では、
それを貫くだけで、
「異端」になる。
ルナは、静かに笑った。
「働いていない?
いいえ……」
ペンを置き、はっきりと呟く。
「必要な仕事だけを、
必要な分だけ、
やっておりますの」
それが理解されなくても、構わない。
評価されなくても、構わない。
彼女はもう、
“忙しさ”という幻想に、
命を差し出すつもりはなかった。
そしてこの姿勢は、
やがて王太子ユピテル・アストラとの間に、
決定的な溝を生むことになる。
だが、まだその時ではない。
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静かで、優雅で、
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