公爵令嬢の異世界旅行記 ―婚約破棄されたので旅に出ます。何があっても呼び戻さないでください

ふわふわ

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第四話 旅立ちの準備

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第四話 旅立ちの準備

旅に出ると決めてから、屋敷の空気は微妙に変わった。

決して騒がしくなったわけではない。声が大きくなったわけでも、慌ただしく人が走り回ったわけでもない。ただ、静かな緊張が、ゆっくりと満ちていくのを、彼女は感じていた。

「領内視察」と伝えた途端、動きは早かった。

騎士団からは護衛の選定が始まり、侍従たちは行程表を作り、補給や連絡の段取りが次々と整えられていく。馬車は複数台、騎士は十名以上、予備の従者、医師、書記官――話を聞いているうちに、それは視察というよりも、小さな行軍のようになっていた。

「……ずいぶん、大げさですわね」

思わず漏れた一言に、周囲が一瞬、言葉を失う。

「ですが、安全を考えますと――」 「前例に倣えば、この程度は必要かと」

誰も間違ったことは言っていない。彼女の身に何かあれば、それは一大事だ。責任を負う者たちの立場を考えれば、万全を期すのは当然だった。

けれど。

「それでは、旅ではなくなってしまいますわ」

静かな声だったが、その場の空気をはっきりと切った。

彼女は、用意されかけていた行程表に目を落とす。時間、距離、休憩、すべてが細かく管理されている。その通りに進めば、何も起きないだろう。だが、何も見えない旅になる。

「わたくしは、見に行きたいのです」 「守られに行くのではなく」

誰かが反論しようと口を開きかけ、結局、何も言えずに閉じた。

しばらくの沈黙のあと、彼女は続ける。

「お付きの者は、一人で結構です」 「それと、護衛の騎士を一人」

ざわめきが起きる。
少なすぎる、と誰もが思っただろう。

「それ以上はいりませんわ」

断定だった。
揺るがない、穏やかな声。

「人数が増えれば、目立ちます」 「目立てば、見えるものが減ります」

彼女は、敷地内で感じた風のことを思い出していた。
静けさの中でこそ、気づけたこと。
人の声が少なかったからこそ、届いた音。

「大丈夫です」 「必要なときは、わたくしが戻ります」

その言葉に、誰も即座に反論できなかった。

最終的に決まった同行者は二人だけだった。

長く仕えてきた、口数の少ないメイドが一人。
そして、護衛として選ばれた騎士が一人。

どちらも、必要以上に前に出ない人物だった。

準備は、驚くほど簡素だった。
着替えと、最低限の持ち物。
贅沢な装飾品は置いていく。

部屋に戻り、荷をまとめながら、彼女はふと笑みを浮かべる。

こんなに身軽になるのは、初めてかもしれない。

窓の外では、風が木々を揺らしている。
その向こうには、地図の外側が広がっている。

旅立ちは、明日だ。

まだ一歩も外へ出ていないのに、
心はすでに、屋敷の外にあった。

これは逃げではない。
役目を放棄することでもない。

ただ、自分の足で世界を見るための、
小さく、確かな準備だった。
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