婚約を捨てたのはあなたですのに、今さら愛を乞われても困ります

ふわふわ

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27 公の場での追及

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27 公の場での追及

王宮の会議室は、夜会の華やかさとはまるで別の冷たさを持っていた。

広さは十分にある。
天井も高い。
壁には王家の紋章と、代々の治世を記した大きな織物。
だがその立派さは、人をくつろがせるためではなく、ここで交わされる言葉が国の形を決めるのだと思い出させるためのものだった。

今日、この場には王妃、主要な大臣たち、王家に近い高位貴族、そしてフォルティス公爵が呼ばれていた。
王太子ユリヴェールもまた、当然のように席にいる。

王が不在なのは体調を理由にしていたが、実際には王妃が先に盤面を整理したいのだろうと、アリアベルにはわかっていた。
王が直接出れば、話はもっと大きく、もっと取り返しのつかない形で転ぶ。だからこそ、まずは王妃が“どこまでを事実として固定するか”を見極めようとしているのだ。

アリアベルは今日、この場では発言の中心ではなかった。
王妃の判断で、彼女は一段下がった位置に座っている。
それは軽視ではない。むしろ、“婚約破棄された令嬢の感情論”に矮小化させないための配置だとわかった。

ここで前に出るのは、公爵家だ。
そして王家だ。
個人の傷ではなく、家と統治の話へ持ち込むための席順だった。

王妃が静かに口を開く。

「本日の議題は明確です」

その声が会議室へ落ちると、空気がすっと締まった。

「先日の卒業舞踏会において、第一王太子ユリヴェールがフォルティス公爵家嫡女アリアベルとの婚約破棄を公の場で宣言した件。および、その後に明らかになった王太子側の実務混乱、社交上の不備、対外的信用の揺らぎについて」

言葉が淡々としているぶん、ひとつひとつが重い。

ユリヴェールは正面を向いたままだ。
だが、その横顔は明らかに硬い。

王妃は続ける。

「まず確認します。舞踏会における婚約破棄は、事前に私の承認を得ていない独断でした」

数名の大臣が、ごく小さく目を伏せる。

知っていた者もいれば、知っていたが口にできなかった者もいるのだろう。
だが今、その“知らぬふり”は王妃の一言で切られた。

「そして、その独断によって、フォルティス公爵家との間で構築されていた非公式支援が同時に断たれた。その結果、王太子周辺の実務に複数の綻びが生じている」

ここで王妃が視線を向けたのは、財務卿だった。

年配の男が立ち上がる。
元々は王太子派へ近いが、数字を扱う者らしく、感情より帳簿を優先する顔をしていた。

「財務面から申し上げます」

彼は手元の書面を開いた。

「婚約破棄後、王太子側からの急な贈答変更、夜会調整、外遊準備に関し、従来なら事前調整で吸収されていたはずの費用が表面化しております。いずれも単独では大きな額ではありませんが、問題は“急場を整えるための追加費用”が連続している点にございます」

ユリヴェールが眉を寄せる。

「その程度のことで、ここまで大げさに扱うのか」

会議室の空気が一瞬止まる。

財務卿は表情を崩さずに答えた。

「その程度、ではございません」

静かな返答だった。
だが、ぴしゃりと切る音がした気がした。

「統治は、ひとつの大金より、日々の小さな追加出費で弱ります。しかも今回のそれは、偶発ではなく、調整不足による連続的発生です」

「調整不足だと?」

「はい。従来、事前に吸収されていたものが吸収されなくなった結果かと」

つまり、あなたが当然だと思っていた便利さが消えた結果です、と。
財務卿はそこまで露骨には言わない。
だが誰にでもわかる形で、そう言っていた。

次に立ち上がったのは外務卿だった。

「対外面では、南方公国使節との応対における不適切な話題選定が報告されております」

ユリヴェールの表情が強張る。

夜会の件だ。

外務卿は淡々と続ける。

「礼を欠くほどではない。だが、相手国の状況を踏まえぬ軽さが見えた、とのことです。対外関係においては、こうした“わずかな軽さ”こそ長く尾を引く」

「大げさだ」

ユリヴェールが吐き捨てるように言う。

「その場で笑って済んだ話ではないか」

外務卿はそこで初めて、はっきり王太子を見た。

「王太子殿下。笑って済んだように見えたのは、相手が礼を崩さなかったからにすぎません」

会議室が静まり返る。

「外交とは、相手が不快を面に出さぬことを前提に組まれております。出さなかったから問題がない、ではございません」

言葉は静かだ。
だが、逃げ場はない。

アリアベルはそこで、王妃の狙いをはっきり理解した。

今日は断罪の日ではない。
だが、王太子本人へ“お前が起こしたのは感情の失敗ではなく、統治上の失点だ”と骨まで染み込ませる日なのだ。

「さらに」

今度は、王妃宮に近い老侯爵が立った。

「社交上の失策も看過できませぬ」

この人は、夜会と人脈の流れを誰よりよく知る男だ。

「先日の夜会において、王太子側の席配置に複数の不備があった。年長の夫人方の間で微妙な火種が生じ、王妃宮側の修正が必要となった。これが一度なら若さゆえとも申せましょう。だが、婚約破棄以降の一連の流れを見るに、“本来なら防げた小さな綻び”が増えすぎております」

彼は言葉を切り、会議室を見回した。

「社交とは飾りではない。情報と信頼の流通路です。その流通路を、王太子ご自身が傷つけているのは看過できませぬ」

ユリヴェールは椅子の肘掛けを握りしめる。

言い返したいのだろう。
だが、何を言っても“ではなぜ防げなかった”へ戻るとわかっているのか、口が重い。

やがて彼は、少しだけ声を荒くした。

「皆、揃いも揃って細かなことばかりだ」

その一言に、会議室の温度が一段下がる。

まずかった、とアリアベルは思った。
でももう遅い。

最初に反応したのは老侯爵だった。

「細かなこと、ですか」

「そうだ。席順だの返書だの贈答だの、そんなものは周囲が整えれば済む話ではないか」

そこまで言った瞬間、アリアベルは父公爵の横顔を見た。

ほんのわずかに、口元が冷えた。
来る、とわかる。

「その通りですな」

フォルティス公爵が、ゆっくり立ち上がった。

あまりに穏やかな声だったので、逆に会議室の空気が張り詰める。

「まさしく、その通りです。席順、返書、贈答、話題選定。いずれも“周囲が整えれば済む話”でございました」

ユリヴェールの顔色が変わる。

「しかし殿下は、その“周囲”を自ら切り捨てられた」

声は静かなままだ。
なのに、一言ごとに重みが増していく。

「そして今になって、それらを“細かなこと”と仰る。王太子ともあろうお立場の方が、“統治は細部の積み重ねで成る”ことをご理解なさらぬのであれば、我が娘のみならず、この国全体が不安でなりませんな」

会議室のあちこちで、誰かが息を呑む気配がした。

王太子へ向かって、ここまで真正面から言う。
だが誰も、それを不敬だとは切れない。
言っていることがあまりに正しいからだ。

ユリヴェールが立ち上がりかける。

「公爵、それは――」

「さらに申し上げましょうか」

公爵がかぶせた。

「殿下は、婚約を破棄されれば、その婚約が支えていたものまで同時に失われるとはお考えにならなかった。そこがまず、致命的です」

「私は!」

ユリヴェールの声が上ずる。

「私はリネットを守ろうとしただけだ!」

そこへ来たか、とアリアベルは思う。

感情の正当化。
自分はただ可哀想な少女を救ったのだと。
だが、もうその物語では逃げ切れない。

王妃が低く言った。

「その“守ろうとした”判断が、何に基づいていたのかが問題なのです」

会議室が再び静まる。

王妃は机上の薄い紙を指先で押さえた。
昨日見せた、手紙の下書きの写しだ。

「あなたは、感情で動いたつもりでしょう。ですが、その感情自体が、長い時間をかけて誘導されていた可能性が高い」

ユリヴェールの顔が、みるみるうちに険しくなる。

「まさか、まだそんな話を――」

「まさか、ではありません」

王妃の声は冷えていた。

「こちらには材料があります」

アリアベルは黙って王妃を見つめる。

全部はまだ出していない。
けれど、“こちらにはまだある”という牽制だけで十分に効いているのがわかる。

ユリヴェールは一瞬、アリアベルのほうを見た。

その目には怒りもあった。
だが同時に、ひどく醜い動揺も見える。

自分が騙されていたかもしれない。
その可能性を、完全にはもう否定できないのだ。

「殿下」

今度は財務卿が静かに言った。

「仮に感情の起点が誘導されたものであったとしても、それでもなお、最終判断は殿下ご自身です」

その一言は、逃げ道をふたつ同時に塞いだ。

騙されたから無罪ではない。
自分で決めた以上、責任は残る。

ユリヴェールは言葉を失う。

しばらくして、ようやく低く吐き出した。

「……では、どうしろと言うのだ」

それは反論ではなく、初めて漏れた弱さだった。

会議室の誰もすぐには答えない。

王妃が答えるまでの数秒が、やけに長く感じられる。

「まず」

王妃は静かに言う。

「自分が何を理解せぬまま切り捨てたかを、正確に知ることです」

「……」

「次に、感情ではなく、事実で向き合うこと。誰が何を支え、何が今失われているか、正面から見ることです」

ユリヴェールは唇を引き結ぶ。

王妃はさらに続けた。

「そして、リネット・ブランを“ただ守るべきか弱い存在”として扱うのをやめなさい」

その言葉に、会議室の空気がぴんと張る。

王妃が、ついにそこまで踏み込んだ。

「彼女がどこまで意図していたかは、まだ整理が必要です。ですが少なくとも、あなたの認識は歪められていた。その可能性を無視したまま、なお“可哀想な彼女を守る”などと口にするなら、それは王太子として無責任です」

ユリヴェールの顔色が、一瞬だけ青くなる。

今までのように“守る”で済む話ではない。
そう王妃が正面から言ったのだ。

アリアベルはそこで、ようやくこの場の意味を完全に理解した。

これは公爵家の反撃であると同時に、王妃による息子への切り分けでもある。

ユリヴェールをすぐ切るわけではない。
だが、もう守って甘やかす段階は終わった。
自分の愚かさと、周囲の仕掛けと、その結果生じた失点を全部、自分で背負って立てと。

「本日のところは以上です」

王妃が最後に言った。

「各々、必要な整理を進めてください。王太子殿下は王妃宮へ。個別に話があります」

会議は終わった。
だが、誰もすぐには立たなかった。
今ここで交わされた言葉が、この先の流れを確実に変えるとわかっていたからだ。

やがて人々が動き出し、椅子が引かれ、紙が整えられる。

アリアベルが立ち上がると、ユリヴェールが一歩だけこちらへ動いた。
何か言いたげだった。
けれど、王妃宮の侍従がすぐに彼の前へ出て、進路を遮るように一礼する。

「殿下、こちらへ」

結局、ユリヴェールは何も言えなかった。

その様子を見て、アリアベルの胸には不思議と何の揺れも起きなかった。
気の毒とも、すっとしたとも、はっきりは言えない。
ただ、ようやくここまで来たのだという静かな実感だけがある。

会議室を出たあと、マルセルが低く言う。

「お見事でございました」

「誰が?」

「公爵閣下も、王妃殿下も」

アリアベルは少しだけ笑った。

「ええ。本当に」

感情で斬りつけるのではなく。
大義名分だけでもなく。
事実を積み上げ、逃げ道を細くし、相手に自分の足元を見せる。

それがフォルティス公爵家の反撃だった。

そして今、その反撃は、ようやく王宮の真ん中にまで届いたのだ。
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