僕は遠野っ子

いっき

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一.白鹿

一.白鹿

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車の窓から見える緑色の森が風になびいて、まるで海のように波を作っていた。
「ほぉら、颯(はやて)。いい所だろう。空気もきれいだし、きっとすぐにぜんそくも良くなるぞ」
 お父さんが助手席の僕に、にっこりと笑いかけた。

 今日はお引越し。僕たち家族はお父さんの生まれ故郷の『遠野』で、おじいちゃんと一緒に住むことになる。
 お引越しをする理由は、僕のぜんそく。僕の住んでいた町は車が多くて、排気ガスで空気が汚れていて……物心がついた時には、僕はぜんそくになっていた。
 ぜんそくの発作って、めちゃくちゃ苦しいんだ。それに、いつおそって来るのか分からない。息をする度にヒューヒューとのどの奥が鳴って、空気を吸ったり吐いたりできなくなっていく。まるで、怖い怖い悪魔が僕をどこか遠く……お父さんにもお母さんにも会えないような所へ連れて行こうとしているみたいだった。

 だから、お父さんとお母さんは僕をそんな悪魔から助けるために、遠野のおじいちゃんの家への引越しを決めてくれて……僕は二人のそんな想いがとっても嬉しかったんだ。

 僕がしみじみと窓の外、青々とした山の風景を見ていた時だった。
「危ない!」
 お父さんが急にブレーキを踏んで、つんのめった。
「え、どうしたの?」
「あなた、何があったの?」
 僕とお母さんは、ほとんど同時に声を出した。すると、お父さんが車のフロントガラスの向こうを指差した。
「白い鹿……」
 そう……お父さんの指差す先には、白くて流れるような毛をした鹿が、道路の真ん中で僕達の車を見てじっとたたずんでいたんだ。
 こんな綺麗な鹿……僕は動物園でも見たことがなかった。だから僕は、その鹿に見とれてしまった。

「……動かないな」
 お父さんがそっとつぶやいた声で、僕ははっと我に返った。
 そう言えば、そうだ。その鹿はどれだけ待っても、動く気配がなかった。
「ってことは、やっぱり……」
 お父さんは車を降りて、その鹿にそっと近付いて行った。
「お父さん?」
 僕とお母さんは不思議に思って、お父さんの後ろを付いて行った。
 すると……
「え、うそ……」
「石……?」
 その鹿は……鹿のような形をした、真っ白な石だったのだ。
「え、でも……絶対に、鹿だったよね」
 僕が尋ねると、お父さんはこくりとうなずいた。
「あぁ……これはきっと、神様の使いの白鹿のいたずらだよ」

白鹿の石をよけて、おじいちゃんの家へ向かって運転しながら、お父さんは話した。
「遠野はな、神様に守られているんだ」
「守られてる?」
 僕が聞き返すと、お父さんはうなずいた。
「さっきのはきっと、神様が白い鹿の使いを送って、僕たちを遠野に入れて良いかどうか、確かめたんだ。でないと、悪さをする人……遠野の豊かな山をこわす人が入るといけないからね」
「そう……なんだ」
「僕も……」
 お父さんは、何かを思い出すような遠い目をした。
「子供の頃には、何度も会ったよ」
「え、本当に?」
 すると、お父さんは苦笑いをした。
「まぁ、大体はウサギとか、小さい動物をつかまえていじめようとする、悪いお友達とつるんでいた時だけどね。それで、今日みたいに急に現れて、そんなことをしようとする僕達をじっとにらんで……怖くなった僕達が動物を逃がしてあげたら、今日みたいに白い石になっていたんだ」
「そう……何だか、怖いね」
 その話を聞いて少しゾワっとした僕に、お父さんはにっこりと笑った。
「でも。逆に言うと、やっぱり、遠野は守られているってことじゃないかな。だって、神様が守り続ける遠野はやっぱり空気も綺麗で……颯のこともぜんそくから守ってくれる。そう思ったから、生まれ故郷への引越しを決めたんだ」
「そうなんだ……」

僕は知っていた。
お父さんは前の町で、仕事がすごく順調にいっていて、課長さんにまでなっていた。なのに……その仕事をやめてまで、僕を守るためにこの遠野に引っ越してくれるんだ。
「お父さん。本当に、ありがとう」
 この遠野の山は……動物は、神様は、きっと優しい。だって、こんなに優しいお父さんを育てた山だから。
お父さんが照れくさそうに頭をかきながら運転する車は、無事におじいちゃんの家に着いた。
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