紅~いつもの街灯の下で

いっき

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沙也加&充編

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「あれ……ここはどこ?」
 アリの行列に夢中になっていた私は、いつの間にか知らない所にいた。いつもの公園から続いていたその行列を辿って引き返そうとしたけれど、それは途切れてしまっていて、そこから歩けば歩くほどに見知らぬ町の中に迷い込んで。不安で不安で、私はべそをかき始めた。
「ここはどこなの? お母さぁん……」
 だけれども、大人は誰も通らない。
 そう言えば、先生が言っていた。放課後は人さらいが出るかも知れないから、気をつけて真っ直ぐに帰りなさい、って。
 そんなことを思い出すと、さらに不安で怖くって。私の目からは大粒の涙が溢れ落ちそうになった。
 その時……不意に、脇道からサッカーボールが飛び出してきた。
「えっ……」
 思わず、そのボールに目を奪われる。すると、続いて見覚えのある顔がそれを追いかけて行くのが目に入った。
「あの子は……」
 それは確か、隣のクラスのガキ大将だった。乱暴そうで怖くって、声をかけたこともないけれど。その真っ黒に日焼けして眉毛のキリッとした、腕白な顔は知っていた。
 すると、ボールに追いついた彼もこちらに気付いて、ふとその顔をこちらに向けた。
「あれ、お前。何で、こんな所にいんの?」
「えっ?」
「二組の倉科だろ? お前の家って、この辺だったっけ?」
 そんな彼の言葉にドキッとした。
 この子、どうして私の名前を? 私は、この子が隣のクラスで「ミッツー」って呼ばれてることしか知らない。
 いや、それよりも……一度も話したこともない私に、こんなに普通に話しかけてくれる子っているんだ。
 そんなことを考えて、私はドキドキと恥ずかしさの混じった不思議な感情を覚えたのだった。



「おい、沙也加。沙也加!」
 その声に、沙也加はハッと目を開けた。
 一番に目に入ってきたのは、真っ黒に日焼けしていて眉毛のキリッとした、腕白な顔。
「ミッツー……」
 夢の続きで沙也加の口から思わず漏れると、その彼は不機嫌そうに顔をしかめた。
「はぁ? お前、それ……いつの頃のあだ名だよ」
 それは確かに、幼い頃から見知っている顔だった。しかし、普段は話すことも関わることも殆どない。
「……河田くん?」
「あぁ。気がついたようだな」
 充は心なしか、安堵した表情になる。
「ここは……?」
 沙也加は、自分が柔らかなベッドの上に寝かされているのに気がついた。
「あぁ、病院だよ。ちっぽけな町医者だけど……いてっ!」
「これ! 何がちっぽけな町医者じゃ。人様の娘さんに大怪我させおって」
 眉間に皺を刻み込んだ白衣の老人に突然に頭を小突かれて、充は口を尖らせた。
「いや、大怪我って。気を失ってただけじゃんよ」
「あぁ。本当に、何事もなくて良かったわい。……ったく、このドラ孫は! 木から落っこちてお嬢さんを下敷きにするとは、どういう了見じゃ」
 老人は腰に手を当て、呆れ顔でふぅーっと溜息を吐いた。
「えっ、下敷き……」
 そのキーワードを聞いて、沙也加は思い出した。
 そうだ。私……木のてっぺんで震えているキジトラを助けるよう、河田くんに頼んで。それで彼は、ちゃんと助けてくれて。だけれども木から滑り落ちて……私は咄嗟に、彼の下へ走って受け止めようとしたんだ。
 そこまで思い出して、彼女はあることに気付き息を飲み込んだ。
「そうだ! あの子は? あの、キジトラ……」
 すると、「ミャア!」という元気な鳴き声とともに、可愛らしいその顔が開いていたドアの向こうから覗いた。
「あ、キジトラ!」
「あぁ、これ、これ。病室には入って来てはならんって言っておるのに」
 足音を忍ばせて病室へ入って来るキジトラに老人は眉をひそめたが、そいつはそんなことを気にせずにピョンと沙也加のベッドに飛び乗った。
「良かったぁ。助かったんだぁ」
 沙也加はそいつを抱き上げて、ホッと安堵の息を吐いた。
「河田くん、ありがとう。本当に……」
 迷惑そうにもぞもぞと動くキジトラを抱き締める沙也加の瞳には涙が滲んでいて。充は思わず赤くなりながらも「フン!」とそっぽを向いたのだった。


 充の祖父が院長を務めている小さな病院から出る頃には、オレンジ色だった夕焼け空も紺色に染まり、すっかりと薄暗くなっていた。沙也加の抱える段ボール箱の中で、キジトラはすやすやと眠っている。
「それにしても……河田くんの家って、お医者さんだったんだね。何か、びっくり」
「じいちゃんが、ちっぽけな町医者の院長ってだけだよ。って言うか、びっくりって。ひどくね?」
 不満気に口を尖らせる彼に、沙也加は「ごめん、つい」と言って肩をすくめた。そんな彼女に、充は呆れ顔でぶうたれた。
「いや。『つい』そんなこと言うって、余計、失礼だし」
「だって。普段の河田くん見てると、お家がお医者さんって、全然、結びつかないんだもん」
「はい、はい。どうせ、俺は学年順位最下位のお馬鹿さんですよ」
 いじけて膨れ面になる充に、沙也加は吹き出した。
「別に、そういう意味じゃないよ。ただ、河田くんっていっつもヤンチャそうにしてるけど。おじいさんとも会って、こうやって話してみると、やっぱりちゃんと家族もいる同級生なんだって思って」
 彼女のそんな言葉に、充も「何だよ、それ」と呟いて苦笑いした。そんな彼に、沙也加はハッと思いついたように尋ねる。
「そうだ。おじいさんがお医者さんってことは……河田くんも、将来はお医者さんになるの?」
 すると、途端に充の顔は曇った。
「医者の家っつっても……俺は期待もされていない、落ちこぼれなんだよ」
「えっ?」
 不思議そうに首を傾げる沙也加に、彼はそのまま言葉を続ける。
「父さんはじいちゃんの跡を継がなかったしさ。昔っから、孫の俺は期待されてたんだ。でも、俺、馬鹿だし、医者とか無理なんだよ。変に期待すんなって言う」
 彼のそんな言葉が胸に突き刺さり、沙也加は思わず口を噤んだ。
 そう……今まで知ろうともしなかったし、知りたくもなかった。クラスのお調子者の胸中……いつも不良ぶっている彼も、親族や周囲の期待なんかを背負っていて。それに対する反抗心が、普段、目にするような彼の姿を形作っているのかも知れない。
 沙也加はそんなことを考えて押し黙り……暫し、微妙な沈黙が流れた。

 見上げた空はさらに紺色で覆われて、ぼんやりと月明かりも射してきた。
 沙也加を見送る場所……その公園の街灯が近付いてくると、充はふと思い出したようにキジトラの段ボール箱を指差した。
「ていうか……お前、どうすんだ? そいつのこと」
 何となく彼女にキジトラを渡したけれど、考えてみたら、そいつについては何も話し合っていなかった。すると、沙也加は段ボールをギュッと抱き締めた。
「飼い主さんが見つかったらいいんだけど……見つからなかったら、うちで飼う!」
「そっか。お前ん家、猫、飼えるんだ?」
 言ってみてから、充は若干の違和感を覚えて……沙也加もハッと目を見開いた。
「そうだ……私の家、マンションだったんだ!」
「んだよ。確か、そうだったよな? お前……それじゃあ、猫、飼えないじゃんか。何、やってんだよ」
「本当だ。どうしよう……」
 あまりに天然の彼女に、充もさらに呆れ顔になる。

 沙也加は段ボールを持ったまま暫し、途方に暮れて……だがしかし、ふと、ある違和感を覚えた。
「あれ? どうして、河田くんが……」
「しゃあない。俺ん家で、飼ってやるよ」
 疑問を言い終わらぬうちに充の口から出た言葉に、沙也加の顔はパァッと輝いた。
「え、ホント!?」
「あぁ。俺の家は一軒家だし、飼えないこともないからな」
「やった……良かった」
 沙也加は安堵して、その場にへたり込みそうになった。そんな彼女を見て、充はハァッと溜息を吐く。
「……ったく、ホント。昔っから世話の焼ける奴だな」
「えっ……」
 昔っから世話の焼ける……?
 その言葉はさらに、沙也加の中で引っ掛かった。私、昔、目の前の彼に世話になったことが?
「ねぇ、河田くん」
「ん?」
 彼女は思わず、先程、覚えた違和感について口にした。
「どうして、私の家がマンションだって、知ってたの?」
 すると、充は「はぁ?」と言って、眉を寄せて彼女を見た。
「だって、お前。小学生の時、迷子になってて。一緒に家、探してやったじゃんかよ」
「えっ、じゃあ……」
 沙也加は思い出す……小学生低学年の時、アリの行列を追いかけて、迷子になった。その時、隣のクラスで『ミッツー』と呼ばれている男子に会って。彼と一緒に家を探して……無事に我が家に辿り着いたんだ。
「河田くんが、あの時のミッツーなの!?」
「あぁ……って言うか、忘れてたのかよ。まぁ、そりゃあ、あれ以降は小学五年で一緒のクラスになるまでは関わりなかったけど」
「ごめん、五年で一緒のクラスになったけど……河田くん、雰囲気もあの時のミッツーとガラリと変わってたし、第一、ほとんど話さなかったし。あのミッツーだとは思わなかった」
 彼女のその天然っぷりに、充も一気に脱力した顔をした。
「何だよ。チェッ……」
 舌打ちをしていじける充を見て、沙也加はクスッと笑った。
「そうだ! ねぇ、ミッツー。明日からキジトラに会いに、お家に行っていい?」
「えっ……」
 彼女の突然の提案に、『ミッツー』と呼ばれたことへのツッコミも忘れて充は固まった。
「だって。そのキジトラ、すごく気になるんだもん。ミッツーと一緒に暮らしてて、無事かどうか」
「はぁ? 何だ、それ。どういう意味だよ」
 眉をひそめる充に、沙也加は「冗談よ」と言って、またも吹き出した。
「そういう訳だから。また、明日もよろしくね。キジトラ!」
 彼女はそう言って、充が受け取った段ボールの中のそいつににっこりと微笑んだ。
「あぁ、もう。ホント、世話の焼ける……」
 充はブツクサと文句を言いながら来た道を戻って行くけれど……沙也加は鼻唄混じり、上機嫌で自宅への道を歩いていた。
 それは今日、初めて知ったから。クラスのお調子者で、何処か悪そうで怖くて近寄り難かったあいつの、少しいいところ。そして、そのいいところは……実は、ずっとずっと昔から、自分は知っていたんだってこと。
 嫌われ者のそんな一面を知った彼女は何だか、得をしたような……とても幸せな気持ちになっていたのだった。
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