運命はいつもその手の中に

みこと

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「トイレ借りて良いですか?」

「あぁ、そのドアを出て真っ直ぐ行って右側…。」

親父のスマホが鳴った。仕事の話のようだ。長くなりそうなのでトイレに立った。親父は俺に向かってすまなそうに右手を挙げた。探せば分かるだろ。

リビングを出て廊下を歩く。トイレだから明かり窓が付いてるはずだ。右側の奥のドアを開けた。
広くシンプルな造り。ホテルのトイレみたいだな。
用を足して出ると奥の部屋から人が出てきた。

「あ…。」

この人が親父のオメガ。オメガはみんな年が分かりづらい。三十代くらいだろうか。線の細い綺麗な男だ。首筋にはくっきりと歯形が残っている。

「こ、こんにちは。」

そのオメガは小さな声で挨拶をした。

「お邪魔してます。」

頭を下げてリビングに戻ろうとするとそのオメガから声をかけられた。

「あの、すいません。お父様のこと…。本当に…。」

泣きそうな声だ。まぁそうだな。運命とはいえ人の家庭を壊したんだ。そして俺はその家の息子だ。

「ああ、もう良いです。俺がお願いしたことだけちゃんとやってくれれば。」

「…はい。あの、家を出るんですか?あ、ちょっと聞こえてしまって。」

「はい。でもあなたたちのせいじゃないですから。」

「あの、もし良ければ…。」



渡された鍵には猫のキーホルダーが付いていた。木で出来た古いキーホルダーだ。
親父のオメガは春樹はるきと名乗った。無名の画家らしいが以前住んでいたところをアトリエとして使っている。寝起きできるようになっているので、住むところが決まるまで使って欲しいと言われた。
親父の愛人の家に住むのか。何だか凄いことになったな。
ただ場所がすごく良い。拓実の学校から近いのだ。
遠慮なく使わせてもらうか。
アトリエの鍵をポケットにしまった。

親父に挨拶をしてマンションをあとにする。帰り際に黒いカードを渡された。これも遠慮なく受け取った。金はないよりあった方が良い。
呼んであったタクシーに乗り込んで満のアパートに戻った。
タクシーを降りるとアパートの入り口に拓実が座っていた。

「拓実!どうした?」

「心配で…。啓くんに亮平がつけられてるって聞いて。」

俺の顔を見てほっとした表情になった。
この暑さの中外で待ってたのか。

「拓実、熱中症になるよ。」

「うん。大丈夫。」

そう言って手に持った経口補水液を見せてくれた。

「ダメだ。早く入ろう。」

手を引いて満の部屋のインターホンを鳴らす。

「やっと帰ってきた。」

満がドアを開けた。
拓実を涼しい場所に座らせて経口補水液を飲ませる。

「もっとマメに連絡してやれよ。拓実が心配するだろ?」

「ああ、拓実、ごめんな。」

拓実は横に首を振った。
親父とのやり取りを話して満と平林に世話になったお礼を言った。

「本当に助かった。ありがとう。落ち着いたら改めて礼をする。」

「いいよ。とにかくまだ気を付けなよ。」

「ああ。」

平林は泊まっていけと言ってくれたけど昨夜のこともあるし拓実を連れて帰ることにした。
帰ると言っても春樹のアトリエだ。
明日から学校もある。制服や鞄を家に取りに行かないとならない。母親の予定を確認するか。夜中に忍び込んでも良い。
とりあえずタクシーを呼んで春樹のアトリエに向かった。
打ちっぱなしの古いマンションの三階にアトリエ兼住居があった。

玄関のドアを開けると微かに石油のような臭いがした。
入るとすぐにアトリエになっている。
画材道具やキャンバスやらが置いてある。壁一面に本棚があって本がびっしり詰まっていた。

「綺麗だね。」

拓実が描きかけの絵の前に立って見ていた。
紫陽花の絵だった。俺にはよく分からない。でも拓実は気に入ったようで絵を見ていた。
アトリエの奥のドアを開けると八畳ほどの部屋に小さなキッチンとダイニングテーブル、ベッドが置いてあった。
このベッドで寝るのか。親父の愛人のベッド。複雑だ…。
アトリエにはソファーもあったのでそっちで寝るか。
メインはアトリエのようだが風呂もトイレもキッチンもあって生活するには困らない。
しばらく世話になることにした。

アトリエのソファーに座って辺りを見渡した。
絵と画材道具でごちゃごちゃしている。
拓実は絵を一枚一枚丁寧に観ていた。

「拓実。」

両手を広げて拓実を呼んだ。持っていたキャンバスを置いて恥ずかしそうに近づいてきた。
そのまま抱きついて鳩尾に顔を埋める。ぐりぐりと顔を押し付けると擽ったいと言って笑った。

「ここに泊まるの?」

「うん。拓実の学校が近いだろ?すぐ会えるからな。」

「あのベッドで寝るの?」

「いや、それはさすがに…。このソファーで寝るよ。二週間くらいだから我慢できる。」

拓実は心配そうだ。『大丈夫』と言ってそのまま俺の膝に向かい合わせて座らせた。

「拓実…。」
 
ちゅっちゅっと可愛い唇にキスをする。そのまま顔中にキスをして首筋に顔を埋めた。甘くて優しい拓実の匂いがする。

「拓実、発情期は?」

「まだなんだ。まだ来てない。」

「そっか。発情期が来たら噛んでも良い?」

スルッと頸を撫でた。拓実がピクっと反応する。

「うん。」

番い…。拓実と番いになる。嬉しくて身体がじんわり暖かくなった。抱きしめて頸を甘噛みする。

「亮平、擽ったい。」

「練習。」

「練習?」

「噛む練習。」

舐めたり甘噛みしたりを繰り返しているとピロン、と拓実のスマホが鳴った。

「あ、弘海ひろみ兄ちゃんだ。今日は帰って来いって。」

「誰?」

「従兄弟だよ。大学生。」

「下宿先の?」

「うん。俺と同じオメガなんだ。でももう番う相手は決まってる。向こうの親が反対してるんだって。同じ大学のアルファでほとんどこっちに居るんだ。」

「え?アルファが同居してるのか?」

それはあぶないだろ。拓実だってオメガだ。発情期は来てないけど何があるか分からない。

「うん。良い人だよ。実家は政治家で宝来ほうらいって聞いた事あるだろ?」

宝来…。大臣も務めたあの家か。

「あっ、亮平も会ったことあるよ。ほら、あの、デパートの前で…。」

あのアルファ。

「ああ、覚えてる。二人で出掛けたりするのか?」

「ううん。あの日は弘海兄ちゃんと待ち合わせしてたんだ。」

アルファと同居…。ダメだろ。どうしようか。
ほら、と言って無邪気に二人の写真を見せる拓実を見つめた。












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