３４歳独身女が異界で愛妾で宰相で

第六章 正体

34歳と皇帝の運命の邂逅

「ナオよ。貴様はマルゴ王女なのか？」

「ど、どうしてそのことを・・・？」

　突然の皇帝の言葉にナオは驚く。
皇帝に黒衣の騎士マルクが話す機会などないだろうし、ましてやブラハが話すはずもない。
　ナオは皇帝がマルゴ王女の事を知っているはずがなかった。

「武術大会の表彰台であれだけの真剣な表情で会話していたのだ。なにかあったことは容易に想像がつく。
　全てわかったわけではないが、隠密のものに読唇術で口を読ませた。
優勝した騎士の素性も調べればすぐわかること。」

　どうやら皇帝は離れた所で大会を見ていたらしい。そうなると、ほとんど全ての事を知っているはずだ。

「・・・・隠しようもありません。
その通りだと思います。
　私はアルマニャック王国のマルゴ王女らしいです。しかし、過去の記憶はありません。
　信じられないかもしれませんが、次元の狭間で長く眠っていたそうです。」

　ナオが転生したことまで読まれているかわからないが、とりあえずそのことは伏せて探ってみる。

「ふん。やはり、そうなのだな。
記憶を失っているか・・・。なるほど。」

　皇帝は妙に納得している。黒衣の騎士マルクとの最初の方の会話は読まれなかったようだ。

「そうでなければ、余は今、殺されているであろうからな。」

　ナオはハッとした。皇帝の言う通り、もし全てを理解していたならば、この瞬間が皇帝を討つ最大のチャンスであったに違いない。

「殺されるかもしれないのに、今夜私の下に来たのですか？どうして・・・。」

「やはり貴様はそこに重きを置くのだな。」

　暗殺のチャンス云々よりも、皇帝の気持ちを考えるナオ。
　目の前のナオが皇帝の見知ったナオである事に、皇帝は少しの安心を覚えて口の端で笑う。

「遠い昔の話だ。
余は同い年の隣国の王女に惚れていた。
　聡明で美しい。そんな簡単な言葉では足りん。彼女への賛辞は言葉では表現できぬ。」

　突然皇帝は窓の外を眺め、昔話を始めた。

　「余はその王女を娶りたいと思っていた。父皇も賛成していた。
　だが王女の父親、その国の国王は余との婚姻を認めなかった。
　他の国の王子に娶らせるつもりだったのだ。
　王女の国には王子がおらず、もしその王女と他国の王子が婚姻すれば、その王女の王国は王子の国の領土に実質併合される。
　その事に怒った余の父皇は計略を用いて王女の王国の国王、王妃を毒殺した。
　その王女も行方が知れなくなり、死んだと噂された。」

「それがアルマニャック王国のマルゴ王女とスタインベルグ王国のブラハ殿下という事ですか・・・。」

　皇帝とマルゴ王女は遠い昔に出会っていた。そして儚く散った恋心。皇帝の事を思うととてもいたたまれないが、顔には出さずナオはあくまで冷静に話しを聞く。

「そうだ。
だから皇都で貴様を見たとき、最期に会ったマルゴ王女と瓜二つであった貴様を愛妾にした。」

　皇帝は静かにナオの目を見た。

「余はマルゴ王女を失った時、途方もない悲しみに暮れた。
　そしてそれはマルゴ王女を死に追いやり、アルマニャック王国を滅ぼした父皇への怒りだった。
　その怒りの炎は父皇が死ぬまで収まらなかった。」

　話の先を想像して、ナオの目の瞳孔が開く。

「想像の通りだ。
　憎悪に駆られた余は父皇を暗殺した。そしてフィリップの力を借りて戦争を全て終わらせた。」

「だが・・・だがしかし・・・マルゴ王女を喪った哀しみは癒えることはなかった・・・。」

　親を殺した後悔と愛する人を失った哀しみ。あの時の感情を思い出しているのだろう。
皇帝の肩が小刻みに震えている。

「だからもし貴様がマルゴ王女で、余を恨んで殺そうとするのなら、望むままにしてやろうと思った。」

『これは・・・今皇帝が私に過去の真実を話してくれているのは・・・・
これは皇帝が長きに渡って自身を蝕んでいた咎に対して、自分を許すための告解なんだ・・・
　皇帝の今を救えるのは当事者の姿を持つ私しかいない・・・』

　ナオは皇帝の真意をすべて理解した。あれだけ傲慢で全てを支配してきたのに、自分の中の過去の悔いによってずっと縛られ、責め続けられてきた。
　誰にもこのことは話せなかったのであろう。哀れでならない。

『どうか・・・どうか祖国の再興を・・・・』

　ナオがもとの世界で事故にあった時に、消えゆく意識の片隅に聞こえた言葉。
あの声の主はマルゴ王女だった。今だからこそ、それがわかる。
　山田直としては直接関わりがなくても、この身体の持ち主マルゴ王女の悲願、そして黒衣の騎士マルク。
　さらにはまだ知らぬ、恨みを持つアルマニャック王国の人々がいる。
　その人たちの心を無視していたずらに赦していいのだろうか。

　ナオは真剣に考え込んだ。
椅子に座っている皇帝は目を閉じて黙っている。全ての裁きを待っているかのようだ。
　考え込んでいる最中にふと、ナオは皇帝のその顔を見た。
その瞬間にクスッと自然に笑みが漏れてしまった。

『ああ、悩む必要なんてなかった。この人はずっと自分を責めて、罰を受け続けて来たんだった。』

　心にそう受け止め、ナオは寝台から降りて皇帝の前に立った。

「陛下・・・。
私には過去の記憶がありません。当然、帝国に対する憎悪もない。
アルマニャック王国滅亡の首謀者の前皇帝陛下も逝去されている。広がった戦火も収めた。
　だけど、だけど今を生きているアルマニャック王国の被害者の気持ちを捨て置くわけにはいきません。」

「せめて貴様の手で逝きたい。」

　裁きは下された、そう思って皇帝は腰に持っていた短剣をナオに渡そうと差し出す。
　ナオはその短剣を取って、おもむろに寝台に放り投げた。

「違います、陛下。
私は陛下を赦しません。死ぬことも、許しません。自暴自棄も、許しません。」

　ナオはまっすぐな瞳で皇帝の目を見つめる。

「私が、アルマニャック王国の人々が幸せだと思える世界を、陛下が作るまでずっと赦しません。
　憎しみも悲しみの過去も今も全て受け止めて、全ての人々が笑顔で前を向いていける世界を作ることが陛下への罰、そして業です。」

　皇帝は素の表情で呆気に取られた。
そして憑き物が落ちたような、飾らない純真な笑顔をナオに向けた。

「フハハハハ。貴様は死ぬことさえも赦してくれんのだな。死んで楽にはさせないなどとは、とんだスパルタだな。とことん貴様らしい。」

　つられてナオも笑顔になる。

「はい。スパルタです。この道の半ばで死ぬことは許しません。」

「だったら、余がその世界を作るまで・・・傍で、隣でずっと見張っていろ・・・。」

　皇帝は椅子に座ったまま、立ったままのナオを引き寄せて抱きしめた。

　ナオは胸元の皇帝の頭を静かに抱いた。