13 / 37
第1部
12 ゲームと現実
少しふわふわとした、足場の定まらない心地で、俺の意識は夢の中を揺蕩っていた。
まぶたの裏には、何度も何度も見てきたはずの光景が、まるで昨日の出来事のように鮮明に広がっている。
俺は――BLゲームの内容を、また夢に見ていた。
転生前の記憶は、何ひとつ残っていない。名前も、顔も、どんな人生を送っていたのかさえ思い出せない。
それなのに、なぜかこのゲームの内容だけは、夢のたびに細部まで思い出す。
選択肢の言葉も、BGMの旋律も、攻略対象たちの声色まで、脳裏に焼きついて離れない。
そのBLゲームでは、白髪の主人公が中心だった。
平民出身で、最初は貴族たちから遠巻きにされ、冷たい視線を浴びせられる。
それでも彼は俯かない。
健気で、どこまでも素直で、心が驚くほど澄んでいて――笑顔ひとつで、周囲の空気を柔らかく変えてしまう。
凍りついた心を持つ攻略対象者たちが、一人、また一人と、彼に惹かれていく。
彼の言葉に救われ、彼の存在に癒やされ、やがて深く、強く、愛していく。
その様子を、物陰からじっと見つめている男がいた。
悪役――カイル。
彼はいつも、唇を噛みしめるようにして、主人公から目を逸らす。
悔しさと羨望と、どうしようもない感情を胸に押し込めて、背を向けて去っていく。
――どうして、俺じゃだめなんだ。
誰にも届かない声で、彼は一人ごちる。
同じ平民出身でありながら、片や愛されるために仮面をかぶり、周囲の顔色を窺って生きてきた自分。
それなのに主人公は、何も隠さず、何も飾らず、素のままで人の心を掴んでいく。
まるで、存在そのものが祝福されているかのように。
主人公が笑うたび、誰かと距離を縮めるたび、カイルの世界から何かが奪われていく気がした。
友達も、居場所も、希望も――全部。
心が、限界だった。
そして、嫉妬に歪んだカイルは、悪の組織に加担し、暴走する。
それが、ゲームで定められた彼の役割だった。
……でも。
同じ「カイル」として、この世界で生きている今なら、分かってしまう。
スラムで、腹を空かせながらゴミを漁る日々。
生き延びるために能力を限界まで使い、路地裏で倒れ込む夜。
頼れる家族もいない。手を差し伸べてくれる誰かもいない。
どれだけ必死に生きても、誰からも愛されない。
それが、カイルの日常だった。
だから俺は決めた。
BLゲームと同じ、悲劇の未来は辿らない。
誰かに愛されることを期待しない。
裏切られないように、周囲とは程よく、仲良さげに接する。
主人公が現れても、嫉妬しない。
悪の道には加担せず、芽があれば先に潰す。
――それでも、ゲームの強制力とやらが、俺を引きずり戻すかもしれない。
そんな不安が、胸の奥に澱のように溜まっていく。
そして、ふと、思ってしまうのだ。
そんな未来なら。
もう、生きるのを諦めてもいいんじゃないかって。
夢の最後は、いつも同じだった。
あの、断罪のシーン。
無数の視線に囲まれ、罪を告げられ、逃げ場もなく追い詰められる。
息ができない。胸が締めつけられて、はぁ、はぁと、必死に空気を求める。
そのときだった。
頭と額に、そっと触れる、暖かいぬくもりを感じた気がした。
優しく撫でるような、包み込むような感触。
……でも、そのぬくもりはすぐに消えてしまう。
次の瞬間、意識が浮上し、暗い水底から引き上げられるように現実へと戻された。
「……カイ? カイ……?」
何度も、確かめるように名前を呼ばれる。
その声はひどく近く、逃げ場のない距離で、耳の奥に直接流れ込んでくる。
重たいまぶたを押し上げると、視界いっぱいにイオの顔があった。
覗き込むというより、じっと見下ろしている――そんな言い方のほうが近い距離感だ。
焦点の合わない俺の瞳を、逃がさないように見つめている。
「……ここ……」
喉がひりつき、声が掠れる。
「生徒会室の休憩室です。兄上が仕事中に眠ってしまって……そのままだと風邪をひきそうだったので」
そう説明しながらも、イオは離れようとしなかった。
ソファの脇に膝をつき、俺の顔を覗き込む姿勢のまま、まるで俺がまた消えてしまうのを警戒しているみたいだった。
「兄上、うなされてました。ずっと……苦しそうで」
そう言って、イオはそっと俺の額に手を伸ばした。
指先が、熱を確かめるように、必要以上に長く触れる。
――ああ、さっき夢の中で感じたぬくもりは、これだったのか。
そう思った瞬間、胸の奥がわずかにざわついた。
けれど、それを気に留める前に、いつもの癖で笑顔を作る。
「大丈夫だって。ちょっと嫌な夢見ただけ」
軽く言いながら上体を起こすと、その拍子にイオの手が名残惜しそうに離れた。
その一瞬のためらいを、俺は見ないふりをした。
「ほら、仕事途中だったし。続きやらないと」
明るく言って、ソファから立ち上がろうとする。
その動きを、イオは一瞬、引き止めるような視線で追った。
「……無理しなくていいんですよ」
静かな声だった。
穏やかで、弟らしい、気遣いの言葉。
でもその奥に、俺が気付かないふりをしてきた何かが、確かに滲んでいる。
「兄上は、昔からそうです。全部、一人で抱え込んで」
責めるわけでもなく、諭すようでもなく。
ただ事実を並べるように言われて、少しだけ居心地が悪くなる。
「はは、兄だからね」
冗談めかして返すと、イオは一瞬、言葉を失ったように口を閉ざした。
その視線が、俺の顔から逸れない。
「……兄だから、ですか」
ぽつりと零れた声は、ひどく低かった。
感情を押し殺すように、ゆっくりと。
俺はそれを深く考えなかった。
弟が兄を心配するのは当然だし、侯爵家に拾われてから、イオはずっと俺の後を追って生きてきたのだから。
「大丈夫だって。ほら、元気」
そう言って、わざと明るく肩を叩く。
その瞬間、イオの腕が伸びてきて、俺を抱きしめた。
強くはない。
けれど、逃がさないように、ぴたりと隙間のない抱擁だった。
「……僕の前では、取り繕わないでください」
囁くような声が、耳元に落ちる。
吐息が触れて、背筋がわずかに粟立った。
侯爵家に拾われてから、ずっと一緒に過ごしてきた。
それでも俺は、この家の中でも仮面を被ることを覚えた。その微妙な違和感を、イオはずっと見逃さなかったのだろう。
……だけど。
「ありがとう」
そう言って、兄として、自然な仕草のつもりで背中に手を回す。
「お兄ちゃん、もう元気になったよ」
明るく、軽く。
そう告げると、イオはしばらく何も言わなかった。
離れ際、ほんの一瞬だけ、名残惜しそうに指が服を掴んだ気がしたけれど――
俺はそれを、見なかったことにした。
まぶたの裏には、何度も何度も見てきたはずの光景が、まるで昨日の出来事のように鮮明に広がっている。
俺は――BLゲームの内容を、また夢に見ていた。
転生前の記憶は、何ひとつ残っていない。名前も、顔も、どんな人生を送っていたのかさえ思い出せない。
それなのに、なぜかこのゲームの内容だけは、夢のたびに細部まで思い出す。
選択肢の言葉も、BGMの旋律も、攻略対象たちの声色まで、脳裏に焼きついて離れない。
そのBLゲームでは、白髪の主人公が中心だった。
平民出身で、最初は貴族たちから遠巻きにされ、冷たい視線を浴びせられる。
それでも彼は俯かない。
健気で、どこまでも素直で、心が驚くほど澄んでいて――笑顔ひとつで、周囲の空気を柔らかく変えてしまう。
凍りついた心を持つ攻略対象者たちが、一人、また一人と、彼に惹かれていく。
彼の言葉に救われ、彼の存在に癒やされ、やがて深く、強く、愛していく。
その様子を、物陰からじっと見つめている男がいた。
悪役――カイル。
彼はいつも、唇を噛みしめるようにして、主人公から目を逸らす。
悔しさと羨望と、どうしようもない感情を胸に押し込めて、背を向けて去っていく。
――どうして、俺じゃだめなんだ。
誰にも届かない声で、彼は一人ごちる。
同じ平民出身でありながら、片や愛されるために仮面をかぶり、周囲の顔色を窺って生きてきた自分。
それなのに主人公は、何も隠さず、何も飾らず、素のままで人の心を掴んでいく。
まるで、存在そのものが祝福されているかのように。
主人公が笑うたび、誰かと距離を縮めるたび、カイルの世界から何かが奪われていく気がした。
友達も、居場所も、希望も――全部。
心が、限界だった。
そして、嫉妬に歪んだカイルは、悪の組織に加担し、暴走する。
それが、ゲームで定められた彼の役割だった。
……でも。
同じ「カイル」として、この世界で生きている今なら、分かってしまう。
スラムで、腹を空かせながらゴミを漁る日々。
生き延びるために能力を限界まで使い、路地裏で倒れ込む夜。
頼れる家族もいない。手を差し伸べてくれる誰かもいない。
どれだけ必死に生きても、誰からも愛されない。
それが、カイルの日常だった。
だから俺は決めた。
BLゲームと同じ、悲劇の未来は辿らない。
誰かに愛されることを期待しない。
裏切られないように、周囲とは程よく、仲良さげに接する。
主人公が現れても、嫉妬しない。
悪の道には加担せず、芽があれば先に潰す。
――それでも、ゲームの強制力とやらが、俺を引きずり戻すかもしれない。
そんな不安が、胸の奥に澱のように溜まっていく。
そして、ふと、思ってしまうのだ。
そんな未来なら。
もう、生きるのを諦めてもいいんじゃないかって。
夢の最後は、いつも同じだった。
あの、断罪のシーン。
無数の視線に囲まれ、罪を告げられ、逃げ場もなく追い詰められる。
息ができない。胸が締めつけられて、はぁ、はぁと、必死に空気を求める。
そのときだった。
頭と額に、そっと触れる、暖かいぬくもりを感じた気がした。
優しく撫でるような、包み込むような感触。
……でも、そのぬくもりはすぐに消えてしまう。
次の瞬間、意識が浮上し、暗い水底から引き上げられるように現実へと戻された。
「……カイ? カイ……?」
何度も、確かめるように名前を呼ばれる。
その声はひどく近く、逃げ場のない距離で、耳の奥に直接流れ込んでくる。
重たいまぶたを押し上げると、視界いっぱいにイオの顔があった。
覗き込むというより、じっと見下ろしている――そんな言い方のほうが近い距離感だ。
焦点の合わない俺の瞳を、逃がさないように見つめている。
「……ここ……」
喉がひりつき、声が掠れる。
「生徒会室の休憩室です。兄上が仕事中に眠ってしまって……そのままだと風邪をひきそうだったので」
そう説明しながらも、イオは離れようとしなかった。
ソファの脇に膝をつき、俺の顔を覗き込む姿勢のまま、まるで俺がまた消えてしまうのを警戒しているみたいだった。
「兄上、うなされてました。ずっと……苦しそうで」
そう言って、イオはそっと俺の額に手を伸ばした。
指先が、熱を確かめるように、必要以上に長く触れる。
――ああ、さっき夢の中で感じたぬくもりは、これだったのか。
そう思った瞬間、胸の奥がわずかにざわついた。
けれど、それを気に留める前に、いつもの癖で笑顔を作る。
「大丈夫だって。ちょっと嫌な夢見ただけ」
軽く言いながら上体を起こすと、その拍子にイオの手が名残惜しそうに離れた。
その一瞬のためらいを、俺は見ないふりをした。
「ほら、仕事途中だったし。続きやらないと」
明るく言って、ソファから立ち上がろうとする。
その動きを、イオは一瞬、引き止めるような視線で追った。
「……無理しなくていいんですよ」
静かな声だった。
穏やかで、弟らしい、気遣いの言葉。
でもその奥に、俺が気付かないふりをしてきた何かが、確かに滲んでいる。
「兄上は、昔からそうです。全部、一人で抱え込んで」
責めるわけでもなく、諭すようでもなく。
ただ事実を並べるように言われて、少しだけ居心地が悪くなる。
「はは、兄だからね」
冗談めかして返すと、イオは一瞬、言葉を失ったように口を閉ざした。
その視線が、俺の顔から逸れない。
「……兄だから、ですか」
ぽつりと零れた声は、ひどく低かった。
感情を押し殺すように、ゆっくりと。
俺はそれを深く考えなかった。
弟が兄を心配するのは当然だし、侯爵家に拾われてから、イオはずっと俺の後を追って生きてきたのだから。
「大丈夫だって。ほら、元気」
そう言って、わざと明るく肩を叩く。
その瞬間、イオの腕が伸びてきて、俺を抱きしめた。
強くはない。
けれど、逃がさないように、ぴたりと隙間のない抱擁だった。
「……僕の前では、取り繕わないでください」
囁くような声が、耳元に落ちる。
吐息が触れて、背筋がわずかに粟立った。
侯爵家に拾われてから、ずっと一緒に過ごしてきた。
それでも俺は、この家の中でも仮面を被ることを覚えた。その微妙な違和感を、イオはずっと見逃さなかったのだろう。
……だけど。
「ありがとう」
そう言って、兄として、自然な仕草のつもりで背中に手を回す。
「お兄ちゃん、もう元気になったよ」
明るく、軽く。
そう告げると、イオはしばらく何も言わなかった。
離れ際、ほんの一瞬だけ、名残惜しそうに指が服を掴んだ気がしたけれど――
俺はそれを、見なかったことにした。
あなたにおすすめの小説
生まれ変わりは嫌われ者
青ムギ
BL
無数の矢が俺の体に突き刺さる。
「ケイラ…っ!!」
王子(グレン)の悲痛な声に胸が痛む。口から大量の血が噴きその場に倒れ込む。意識が朦朧とする中、王子に最後の別れを告げる。
「グレン……。愛してる。」
「あぁ。俺も愛してるケイラ。」
壊れ物を大切に包み込むような動作のキス。
━━━━━━━━━━━━━━━
あの時のグレン王子はとても優しく、名前を持たなかった俺にかっこいい名前をつけてくれた。いっぱい話しをしてくれた。一緒に寝たりもした。
なのにー、
運命というのは時に残酷なものだ。
俺は王子を……グレンを愛しているのに、貴方は俺を嫌い他の人を見ている。
一途に慕い続けてきたこの気持ちは諦めきれない。
★表紙のイラストは、Picrew様の[見上げる男子]ぐんま様からお借りしました。ありがとうございます!
悪役令息の兄って需要ありますか?
焦げたせんべい
BL
今をときめく悪役による逆転劇、ザマァやらエトセトラ。
その悪役に歳の離れた兄がいても、気が強くなければ豆電球すら光らない。
これは物語の終盤にチラッと出てくる、折衷案を出す兄の話である。
処刑される悪役令息に転生したらなぜか推しの騎士団長がグイグイ近づいてくる
猫に小判
BL
交通事故で死んだはずの会社員・田中悠人は、気がつくとBL小説『恋と陰謀~はじまりは夜に~』の世界に転生していた。
しかも転生先は、原作で処刑される悪役令息エリオット。
当然そんな未来は回避したい。
原作知識を頼りに慎重に立ち回るつもりだったのに、気づけば王宮を揺るがす事件に巻き込まれていき――。
さらに困ったことに、原作で一番の推しだった騎士団長ガイウスがやたらと距離を詰めてきて……?
平穏に生きたい元悪役令息と、過保護な騎士団長がじれじれ距離を縮める話。
ガイウス(騎士団長)×エリオット(元悪役令息)
チートなしの無能令息ですが、5人の攻略対象に逃してもらえません!
村瀬四季
BL
異世界に転移したと思ったら、俺だけまさかのチートなし!?
前途多難ですが自由気ままに生きていこうと思います!
って思ったのに周りの人達が俺を離してくれない!?
※たまに更新が遅れると思います。
※変更する可能性もあります
※blです ざまぁもあると思う…!
※文章力は大目に見てください
【8話完結】強制力に負けて死に戻ったら、幼馴染の様子がおかしいのですが、バグですか?
キノア9g
BL
目が覚めたら、大好きだったRPGの世界に転生していた。
知識チートでなんとか死亡フラグを回避した……はずだったのに、あっさり死んで、気づけば一年前に逆戻り。
今度こそ生き残ってみせる。そう思っていたんだけど——
「お前、ちょっと俺に執着しすぎじゃない……?」
幼馴染が、なんかおかしい。妙に優しいし、距離が近いし、俺の行動にやたら詳しい。
しかも、その笑顔の奥に見える“何か”が、最近ちょっと怖い。
これは、運命を変えようと足掻く俺と、俺だけを見つめ続ける幼馴染の、ちょっと(だいぶ?)危険な異世界BL。
全8話。
死ぬだけの悪役令息に転生したら、待っていたのは攻略対象達からの溺愛でした。
きうい
BL
病でで死んでしまった優は、気が付いたら読んでいた小説の悪役令息として転生していた。
それもどのルートでも十五歳という歳になると、死ぬ運命にある悪役———フィオレン・オーレリウス。
前世で家族に恵まれず、家族愛とは程遠い世界で生きてきた優は、愛されたいという願望を捨て、ひとりで生きることを決意する。
しかし、家族に対して表情と感情を隠し、言葉も発さず、一人で生きて行く術を身につけようと家族から距離をとるフィオレンとは裏腹に、家族や攻略対象達は異常なほどの愛を注ぐ。
フィオレンの知らない所で、小説のシナリオとは正反対の道を辿ることになるも、愛に無頓着で無自覚なフィオレンは溺愛されていき………?
攻略キャラを虐げる悪役モブに転生したようですが…
キサラビ
BL
気づけばスイランと言う神官超絶美人になっていた!?どうやらBLゲームの世界に転生していて攻略キャラにきつくあたっていた…
でも、このゲーム知らない
勇者×ヒーラー
人気アイドルの俺、なぜかメンバー全員に好かれてます
七瀬
BL
デビュー4年目の人気アイドルグループ「ECLIPSE(エクリプス)」に所属する芹沢 美澄(せりざわみすみ)は、昔からどこか抜けていてマイペースな性格。
歌もダンスも決して一番ではないはずなのに、なぜかファンからもメンバーからも目を離されない存在だった。
世話焼きな幼なじみ、明るく距離の近い同い年、しっかり者で面倒見のいい年上、掴みどころのない自由人、そして無言で隣にいるリーダー——。
気づけば、美澄の周りにはいつも誰かがいて、当たり前のように甘やかされていく。