悪役会計様に転生した俺は、生徒会長に媚び売って生き残る

桜城 寧

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第1部

29 家族同然

夕暮れの空は淡く紫がかり、石畳に長く影を落としていた。

リアムとの心地よい時間の余韻を抱えたまま、寮へ続く小道を歩いていた。

頭の中はまだふわふわしている。膝の上で安らかな表情を浮かべていたリアムを思い出すと、胸の奥が少しくすぐったい。

そうして、物思いにふけていたら、ウィランと偶然出会った。
「ちょうど良かった。カイルの好きな茶葉入ったから、俺の部屋に来ない?」

特に用事もなかった俺は、深く考えずに頷いたのだった。




---

部屋の扉を開けた瞬間、ふわりと甘い香りが漂う。

……ウィランの匂いだ。

花と紅茶を混ぜたような、柔らかくて優しい香り。
いつも整えられた室内は静かで、どこか落ち着く空気に満ちている。

「おかえり、カイル」

窓辺に立っていたウィランが微笑む。
赤い髪が夕陽に溶け、柔らかく光っていた。

「こっちにおいで」

手を差し出される。

その仕草に、さっきの膝枕の感触が蘇った。
太ももの温もり、指が髪を梳く感覚。心地よさが身体に残っている。

──もう一回、あれを。

ふらりと吸い寄せられそうになった、その瞬間。

はっとする。

ウィランはいつも用があるときは、勝手に俺の部屋の中に入ってくる。それはいつものことだから気にしないが、今日はなんでウィランの自室に俺を呼んだんだ?

(……待て)

リアムを膝枕していたところを、見られていないよな?

校舎裏からさらに奥の中庭。
わざわざ人目を避け、誰にも見られない場所のはずだ。

だが、ウィランは――なぜかいつも俺の行動を把握している。

「……そういえば、お茶以外でなにか俺に用事があったの?」

少し警戒を滲ませて尋ねると、ウィランは首を傾げた。

「そうだな~、俺にもしてくれないの?」

「なにが?」

「膝枕。カイルにされたら気持ちいいだろうね」

さらりと言われ、思考が止まる。

「……おい、なんで、俺が膝枕してたこと知ってる」

声が低くなる。

すると、ウィランは、くすりと笑う。

「だって、カイルのことはいつも見守ってるよ」

当然であるかのような答え方に、ぞわりと背筋が冷えた。

「誤魔化すなよ」

「誤魔化してないよ?」

柔らかな笑みのまま、それ以上は何も言わない。

その沈黙が、逆に怖い。
だが、少し視線を逸らしたとき、机の上に置いてあるものに気づいた。

「あれ……?」

透明なケースの中に、大事そうに収められた押し花のしおりとハンカチ。

「これ、俺が昔あげたやつ……」



***

今の家に拾われた頃。
知らない大人ばかりの息苦しいパーティ。
四方八方からの視線から逃げ出したくて、駆けていった先の庭のベンチ。

空いていなかったため、去ろうとした。
けれど、ふと視界の端に、小さな子どもの姿が映り、足が止まった。

庭のベンチの前で、きちんとした身なりの大人と向き合っている。
仕立ての良い服を着せられ、背筋をぴんと伸ばし、言葉遣いも態度も非の打ちどころがない。幼いのに、どこか完成された“立派な子ども”だった。

柔らかな笑みを浮かべ、堂々と受け答えをしている。
誰が見ても誇らしい、輝かしい姿。

――けれど。

その笑顔の奥に、ほんの一瞬だけ影が差した気がした。

作り物めいた完璧な微笑みの端に、言いようのない寂しさが滲んでいた。

胸の奥が、ちくりと痛む。

(……ああ)

それは、よく知っている顔だった。

大人の期待に応えるために貼りつける笑み。
本当の気持ちを押し込めたまま、何も感じていないふりをする表情。

自分と、重なった。

やがて話が終わり、大人は満足げに去っていく。
取り残された子どもは、ふっと力を抜くようにしてベンチへ腰を下ろした。

その瞬間、完璧だった背筋がわずかに緩む。
誰にも見せないはずの、小さな溜息。

気づけば、足が勝手に動いていた。

「……隣、いい?」

声をかけたのは、ほとんど衝動だった。

小さな体に大きな期待や願いを背負って欲しくなくて。
今だけでも、等身大の子どものままでいて欲しくて。

何も考えずに、持っていた飴を差し出した。
当然、差し出されたものに、驚いたように固まるウィラン。

その様子をみて、余計なことをしでかしてしまったと焦ってしまい、持っていたものを全部押しつけた。

作り物ではなく、本当の笑みを浮かべて欲しい。少しでも元気になってほしい。

だから、必死で励ました。

そしたら、ふっと――自然に、顔をほころばせて「ありがとう」って言ってくれた。

そのときからだ。
出会うたびに、ウィランが俺のそばにまとわりつくようになったのは。


***



黄色い押し花のしおりと、ハンカチもその中にあったはずだ。

「ちゃんと取ってあったの……?」

呆然と呟くと、背後から声が落ちる。

「もちろん」

いつの間にか近づいていたウィランが、すぐ後ろに立っていた。

「カイルから貰ったものは全部宝物だよ。思い出だからね」

「……重いんだけど」

そう言いながらも、胸の奥がじんわりと温かくなる。

(初めて会った時のこと、忘れてなかったんだ)

「お茶いれるね。君の好きな茶葉で」

ウィランがキッチンへ向かう。
その背を見送りながら、ふといたずら心が湧いた。

ウィランは自分のことをあまり喋りたがらない。だから、少しだけウィランのことを知りたいと思った。

誰にも見せることがないであろう、机の引き出しを開ける。

──そして、固まった。

「……なんだよこれ、いつ撮ったんだよ」

指先が、写真の端を震わせる。

光の加減からして、これは放課後の中庭だ。
本を読んでいる横顔。
窓際でうとうとしている瞬間。
ふと誰かに笑いかけた、無防備な表情。

どれも、撮られた覚えがない。

「それに……どう見ても、隠し撮りだろ」

喉がひくりと鳴る。

衝撃で、ぽかんと口が開いたまま閉じない。
頭の中が真っ白になる。

(こんな近くで? こんな枚数?)

一枚や二枚じゃない。
積み重なった時間そのものが、そこにある。

背後の空気が、ふっと揺れた。

「ばれちゃった?」

甘く、愉しげな声。

振り向くより早く、背中に体温が触れる。
ゆっくりと腕が回され、逃げ場を塞ぐように抱き込まれた。

「よく撮れてるでしょ?」

耳元に落ちる囁き。

「どのカイルも、かわいいからね。つい」

ぞくり、と背筋を冷たいものが走る。

衝撃で固まったまま、カイルはまだ口を閉じられずにいた。

「答えになってない」

「ただの成長記録だよ、カイルの身の回りの警備も兼ねてるけどね?」

あまりにも軽い口調でそう言われて、はっと息を呑んだ。

この写真が、成長記録――?

その言葉が、胸の奥にすとんと落ちる。

振り返ると、ウィランはいつもの軽薄な笑みを浮かべている。
悪びれた様子はない。むしろ、誇らしげですらある。

「だってさ、小さい頃からずっと一緒だったでしょ?」

腕の力がほんの少し強まる。

「背が伸びたとか、表情が変わったとか、声が低くなったとか。全部、俺は知ってる」

写真を一枚、指先で摘み上げる。

「ほら、これ。初めて剣術で褒められた日の顔。嬉しいの隠してたけど、耳まで赤くなってた」

「……そんなの、覚えてるわけないだろ」

「全部覚えてるよ。カイルのことだもん」

当たり前のように言われ、言葉が詰まる。

さっきまで感じていた恐怖が、じわりと形を変える。

(ずっと、見てた……?)

監視、という言葉が浮かぶ。
けれど同時に、別の感情も胸を締めつけた。

ずっと見守ってくれていた、という安堵。

「……成長記録って」

かすれた声で問い返す。

「俺、そんなの頼んでない」

「頼まれてないね」

くすり、と笑う。

「でも、俺が見たかったんだ。君がちゃんと大きくなるところ」

額に、そっと額が触れる。

「誰より近くで、誰より長く、些細なことでもね?」

その声音は、冗談でも、軽口でもなかった。

胸の奥が、どくんと強く鳴る。

どうしてこんなにも、逃げ場がなくなるような気持ちになるのか、カイルには分からなかった。

確かに、小さい頃からいつも隣にはウィランがいた。
家族のように、当たり前に。

素っ気なくしても、突き放しても、彼はいつも微笑んでいた。

「……俺、本当の家族なんていないって思ってた」

ぽつりと零れる。

「誰からも、愛されたことないって」

腕に力がこもる。

「馬鹿だなぁ」

耳元で囁く声が甘い。

「俺はずっと、君だけ見てたよ」

「……見守ってくれてたってこと?」

振り返ると、至近距離で目が合う。

「そうだよ」

柔らかな瞳。

けれど、その奥に宿る熱は静かで深い。

「だから、卒業してからも、いつでも俺のところに来ていい」

指が頬をなぞる。

「君がどんな立場になっても。追い出されても。全部、俺が引き受けるよ」

鼓動が跳ねた。

家を継ぐのは直系のイオ。
自分はいつか、悪役として切り捨てられるかもしれない。

でも。

(ウィランなら……)

この人なら、迎え入れてくれる。

「……そっか」

小さく呟くと、ウィランは満足そうに微笑んだ。

「うん。カイルの居場所は、ここにもある」

抱き締める腕は優しいのに、逃がす気はない。

その温もりに、安心と、ほんの少しの怖さを覚えながら。

それでもカイルは、抵抗しなかった。


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