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第2部
1 転校生
西陽が差し込む生徒会室は、いつもよりも静かに感じられた。
高い天井に吊るされた明かりはまだ灯っておらず、窓から入り込む橙色の光が長い影を床に落としている。重厚な机に広げられた書類の白さが、やけに眩しかった。
その知らせは、予測していたが、思ったよりも突然だった。
紙をめくる乾いた音に紛れるようにして、レイン会長が口を開く。
「明日、転校生が来る。カイル、案内はお前に任せる」
低く落ち着いた声。命令口調ではないのに、逆らえない響きを持つ声だった。
俺は顔を上げ、いつも通りの軽い調子を装う。
「へえ、この時期に転校してくるなんて珍しいね~?何か特殊な事情でもあるのかな~?」
わざとらしく肩をすくめる。胸の奥で小さく波立った不安を、誰にも悟られないように。
すると、隣で同じ書類に目を落としていたローレンスが、淡々とした声音で続けた。
「恐らく、魔力の発現が遅かったのでしょう。あるいは出自が特殊か。どちらにせよ、珍しいケースですね」
副会長らしい冷静な分析。予測に過ぎない発言だろうが、妙に現実味があった。
実際、この学園に通う者の多くは貴族だ。学力、武力、魔力――どれをとっても高水準が求められるこの場所で、幼少から教育を受けられる環境にある者が有利なのは当然だった。
平民である主人公は、入学後に高い魔力が判明し、「教育を受けるべきだ」として編入を許される。
……そう、ゲームの設定通りなら。
俺は胸の内で苦笑する。
それにしても、寄りにもよって案内役が俺とは。
「でも、案内なら俺じゃなくても良いよね?俺だと怖がらせちゃうかもしれないし、イオの方が適任じゃない?」
そう言って軽く尋ねると、レイン会長は視線も上げずに言った。
「お前、今日の分の仕事はすでに終わっているだろう。他はまだだ」
反論の余地もないことを指摘され、言葉が詰まる。
仕事を頼まれるのが面倒で、やっている“風”を装っていたのが、どうやら会長にはサボりが完全に見抜かれていたらしい。
観念して書類を受け取る。指先に伝わる紙の冷たさ。視線を落とし、顔写真を見た瞬間――心臓が、ひどく嫌な音を立てた。
やはり。
何度も夢で見た、あのBLゲームの主人公の顔だった。
雪のように白い髪。光を透かすような睫毛。小柄な体躯に、少女と見紛うほどの透明感あふれる愛らしい顔立ち。
守られるために生まれてきたみたいな容姿。
俺はどちらかといえば華奢だが、背は人並みに高い。顔つきも“綺麗”とは言われるが、可愛いとは無縁だ。庇護欲をそそる存在にはなれない。
この容姿こそが、彼が愛される理由の一つ。
そして俺が“悪役”である証のように思えた。
「……なんて可愛い顔してるんだろーな」
無意識に零れた呟きは、自分でも驚くほどしんみりとしていた。
「兄上」
耳元で声がして、びくりと肩が跳ねる。
振り返ると、イオがいつの間にかすぐ後ろに立っていた。至近距離から書類を覗き込み、紫の瞳を細めている。
「この方が、兄上のタイプなのですか?」
探るような声音。どこか拗ねた色が滲んでいる。
胸の奥に滲んだ感傷を誤魔化すように、俺は笑った。
「うーん、どうかな?それは秘密」
軽くはぐらかすと、イオの表情が目に見えて曇る。
「……僕は?僕じゃ、だめですか?」
縋るような問いに、一瞬だけ息が止まった。
彼の体温が、鼓動が、伝わりそうな距離。
「俺の義弟は一人だけだろ?代わりなんていないよ」
そう言って額を軽く小突くと、イオはほっとしたように目を細めた。
その様子に胸が温かくなる一方で、罪悪感のようなものも生まれる。
だって本当は、俺は知っている。
この物語の中心は、あの白髪の少年だ。
視線をそっと横に向ける。
レイン会長は、転校生の書類をじっと見つめていた。何かを思案するように、深く、静かに。
こちらを振り向くことはない。
いつもなら、俺とイオが近い距離で騒がしく話していれば、すぐに眉をひそめるはずなのに。
仕事をしろとか、そんな小言を、わざとらしく溜め息混じりに言ってくるのが常だった。
時にはわざと意地の悪い言い方で、俺をからかうこともある。俺が軽口を叩けば、必ず何かしら言い返してくる。
だが、今は紙をめくる音だけが、静かに響く。
その沈黙が、やけに重い。
レイン会長の横顔は、夕陽に照らされて陰影が濃く落ちていた。長い睫毛が影を作り、伏せられた瞳の奥までは見えない。けれど、普段の余裕や皮肉めいた光はなく、ただひたすらに思案に沈んでいるようだった。
……俺たちのことなんて、目にも入っていないみたいだ。
胸の奥が、ちくりと痛む。
別に、何か文句を言われたいわけじゃない。
でも。
反応がない、というのは。
存在を認識されていないみたいで。
イオが安心したように俺の袖を掴んでいる。その温もりは確かにここにあるのに、なぜか足元が不安定になる。
(そんなに気になるのか、転校生が)
自嘲するように、心の中で呟く。
ゲームの知識が脳裏をよぎる。白い髪の主人公で物語の中心。攻略対象たちが惹かれていく存在。
――レイン会長も、主人公の周りにいる攻略対象の一人だったはずだ。
もしかして、もう始まっているのだろうか。
まだ会ってもいないのに、書類一枚で、こんなにも真剣な顔をするなんて。
俺がどれだけ軽口を叩いても、どれだけ隣で馬鹿なことをしていても、こんな顔は向けられたことがあっただろうか。
夕陽が沈みきり、部屋の色が冷えていく。
「……兄上?どうかしました?」
不安そうなイオの声に、はっと我に返る。
俺は無理やり口角を上げた。
「大丈夫、なんてことないよ」
そう言いながら、視線はどうしても会長へと戻ってしまい、ちらっと窺うが、彼はやはり、こちらを見ない。
その事実が、思った以上に胸に刺さって――
俺は、気づかないふりをするしかなかった。
その横顔はいつもと変わらないはずなのに、なぜか遠く感じた。
やっぱり、誰もが主人公に惹かれていくんだろう。
そう考えた瞬間、胸の奥がきゅっと締め付けられ、自分でも理由がわからないまま、息が少しだけ苦しくなる。
西陽がさらに傾き、生徒会室はゆっくりと影に沈んでいく。
物語が、動き出そうとしていた。
高い天井に吊るされた明かりはまだ灯っておらず、窓から入り込む橙色の光が長い影を床に落としている。重厚な机に広げられた書類の白さが、やけに眩しかった。
その知らせは、予測していたが、思ったよりも突然だった。
紙をめくる乾いた音に紛れるようにして、レイン会長が口を開く。
「明日、転校生が来る。カイル、案内はお前に任せる」
低く落ち着いた声。命令口調ではないのに、逆らえない響きを持つ声だった。
俺は顔を上げ、いつも通りの軽い調子を装う。
「へえ、この時期に転校してくるなんて珍しいね~?何か特殊な事情でもあるのかな~?」
わざとらしく肩をすくめる。胸の奥で小さく波立った不安を、誰にも悟られないように。
すると、隣で同じ書類に目を落としていたローレンスが、淡々とした声音で続けた。
「恐らく、魔力の発現が遅かったのでしょう。あるいは出自が特殊か。どちらにせよ、珍しいケースですね」
副会長らしい冷静な分析。予測に過ぎない発言だろうが、妙に現実味があった。
実際、この学園に通う者の多くは貴族だ。学力、武力、魔力――どれをとっても高水準が求められるこの場所で、幼少から教育を受けられる環境にある者が有利なのは当然だった。
平民である主人公は、入学後に高い魔力が判明し、「教育を受けるべきだ」として編入を許される。
……そう、ゲームの設定通りなら。
俺は胸の内で苦笑する。
それにしても、寄りにもよって案内役が俺とは。
「でも、案内なら俺じゃなくても良いよね?俺だと怖がらせちゃうかもしれないし、イオの方が適任じゃない?」
そう言って軽く尋ねると、レイン会長は視線も上げずに言った。
「お前、今日の分の仕事はすでに終わっているだろう。他はまだだ」
反論の余地もないことを指摘され、言葉が詰まる。
仕事を頼まれるのが面倒で、やっている“風”を装っていたのが、どうやら会長にはサボりが完全に見抜かれていたらしい。
観念して書類を受け取る。指先に伝わる紙の冷たさ。視線を落とし、顔写真を見た瞬間――心臓が、ひどく嫌な音を立てた。
やはり。
何度も夢で見た、あのBLゲームの主人公の顔だった。
雪のように白い髪。光を透かすような睫毛。小柄な体躯に、少女と見紛うほどの透明感あふれる愛らしい顔立ち。
守られるために生まれてきたみたいな容姿。
俺はどちらかといえば華奢だが、背は人並みに高い。顔つきも“綺麗”とは言われるが、可愛いとは無縁だ。庇護欲をそそる存在にはなれない。
この容姿こそが、彼が愛される理由の一つ。
そして俺が“悪役”である証のように思えた。
「……なんて可愛い顔してるんだろーな」
無意識に零れた呟きは、自分でも驚くほどしんみりとしていた。
「兄上」
耳元で声がして、びくりと肩が跳ねる。
振り返ると、イオがいつの間にかすぐ後ろに立っていた。至近距離から書類を覗き込み、紫の瞳を細めている。
「この方が、兄上のタイプなのですか?」
探るような声音。どこか拗ねた色が滲んでいる。
胸の奥に滲んだ感傷を誤魔化すように、俺は笑った。
「うーん、どうかな?それは秘密」
軽くはぐらかすと、イオの表情が目に見えて曇る。
「……僕は?僕じゃ、だめですか?」
縋るような問いに、一瞬だけ息が止まった。
彼の体温が、鼓動が、伝わりそうな距離。
「俺の義弟は一人だけだろ?代わりなんていないよ」
そう言って額を軽く小突くと、イオはほっとしたように目を細めた。
その様子に胸が温かくなる一方で、罪悪感のようなものも生まれる。
だって本当は、俺は知っている。
この物語の中心は、あの白髪の少年だ。
視線をそっと横に向ける。
レイン会長は、転校生の書類をじっと見つめていた。何かを思案するように、深く、静かに。
こちらを振り向くことはない。
いつもなら、俺とイオが近い距離で騒がしく話していれば、すぐに眉をひそめるはずなのに。
仕事をしろとか、そんな小言を、わざとらしく溜め息混じりに言ってくるのが常だった。
時にはわざと意地の悪い言い方で、俺をからかうこともある。俺が軽口を叩けば、必ず何かしら言い返してくる。
だが、今は紙をめくる音だけが、静かに響く。
その沈黙が、やけに重い。
レイン会長の横顔は、夕陽に照らされて陰影が濃く落ちていた。長い睫毛が影を作り、伏せられた瞳の奥までは見えない。けれど、普段の余裕や皮肉めいた光はなく、ただひたすらに思案に沈んでいるようだった。
……俺たちのことなんて、目にも入っていないみたいだ。
胸の奥が、ちくりと痛む。
別に、何か文句を言われたいわけじゃない。
でも。
反応がない、というのは。
存在を認識されていないみたいで。
イオが安心したように俺の袖を掴んでいる。その温もりは確かにここにあるのに、なぜか足元が不安定になる。
(そんなに気になるのか、転校生が)
自嘲するように、心の中で呟く。
ゲームの知識が脳裏をよぎる。白い髪の主人公で物語の中心。攻略対象たちが惹かれていく存在。
――レイン会長も、主人公の周りにいる攻略対象の一人だったはずだ。
もしかして、もう始まっているのだろうか。
まだ会ってもいないのに、書類一枚で、こんなにも真剣な顔をするなんて。
俺がどれだけ軽口を叩いても、どれだけ隣で馬鹿なことをしていても、こんな顔は向けられたことがあっただろうか。
夕陽が沈みきり、部屋の色が冷えていく。
「……兄上?どうかしました?」
不安そうなイオの声に、はっと我に返る。
俺は無理やり口角を上げた。
「大丈夫、なんてことないよ」
そう言いながら、視線はどうしても会長へと戻ってしまい、ちらっと窺うが、彼はやはり、こちらを見ない。
その事実が、思った以上に胸に刺さって――
俺は、気づかないふりをするしかなかった。
その横顔はいつもと変わらないはずなのに、なぜか遠く感じた。
やっぱり、誰もが主人公に惹かれていくんだろう。
そう考えた瞬間、胸の奥がきゅっと締め付けられ、自分でも理由がわからないまま、息が少しだけ苦しくなる。
西陽がさらに傾き、生徒会室はゆっくりと影に沈んでいく。
物語が、動き出そうとしていた。
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