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第2部
3 計画
朝靄の残る寮の窓辺に、淡い光が差し込んでいた。室内は夜の冷えをまだ抱えたままで、壁に指先が触れるとひやりとする。規則正しく並んだ机と本棚、整えられた寝台。どこまでも無機質で、どこまでも“安全”な空間。
ゆったりとした椅子に腰掛けながら、俺はゆっくりと息を吐いた。
——ここから、すべてが始まる。
この世界は、今まで何度も夢で見たBLゲームそのままだ。主人公エスが全寮制の学園で出会うのは、選び抜かれた五人の美男たち。
俺様気質で強引な生徒会長。
甘い笑みの裏に策を隠す腹黒副会長。
誰にでも分け隔てなく優しい書記。
規律を何より重んじる風紀委員長。
軽薄そうでいて本心を見せない先輩。
そして隠しキャラとして、悪の組織に属する生意気な少年。
エスは彼らと出会い、距離を縮め、恋を育てていく。その傍らで、嫉妬に狂った“カイル”は悪役へと堕ち、断罪される。
——同じ道は、歩まない。
拳を握る。爪が食い込む感触が、現実だと教える。
俺はゲームのように、誰かの恋に嫉妬して狂う存在にはならない。
ならばやるべきことは一つ。
“出会い”を潰すこと。
恋は偶然の出来事から始まり、深まっていく。
ならば、その芽を摘めばいい。
最初のイベントは、エスと俺の義弟イオの邂逅。
階段から足を踏み外したエスが落ちかけ、偶然下にいたイオの胸へ飛び込む。抱き止められ、至近距離で見つめ合う。赤く染まる頬、困ったように笑うイオ。
——あれが、始まりだ。
あれさえなければ、物語は狂うはずだ。
だが、イベントの正確な日時までは分からない。ゲームでは、確か転校してすぐだった。
だから俺は決めた。
イベントが起こるまでエスに付き添う。慣れない学園生活を自然にエスコートするように。
---
翌朝。
寮の扉が軋む音とともに、柔らかな足音が聞こえてくる。俺は壁にもたれ、わざとらしくない笑みを浮かべて声をかけた。
「おはよう、エスくん」
ぱっと振り向いた彼の表情が、花のように開く。
「わっ、カイ!おはよう!
もしかして待っててくれたの?うれしいっ、ありがとう!」
その無邪気さに、一瞬息が詰まる。
朝の光を受けて揺れる白色の髪。まだ学園に慣れきっていない、不安と期待の混ざった瞳。その視線が真っ直ぐ俺を映す。
——こんな目で、ゲームの俺も見られていたのか。
学園までの石畳の道を並んで歩く。肩が触れそうで触れない距離をなんとなく意識する。
「カイはどんなことが好き?」
いきなりの質問に、足が一瞬止まりそうになる。
「僕はね、お菓子を作るのが好きなんだ。中でもクッキーが1番好きでね、ココアを入れたり、紅茶を入れたりするとおいしいの~!
そうだっ、今度カイに作ってあげるよ!」
輝かしい目から一転、一方的に喋りすぎたと思ったのか、少し慌てふためく。
「あ、ごめん、自分の話ばっかり!カイの好きなことも教えて!」
犬みたいだ、と思った。
期待に満ちた瞳。褒められたいわけでも、利用したいわけでもない、ただ知りたいという純粋な欲求。
好きなこと。
その言葉が、胸の奥で空虚に響く。
俺は、生き延びることだけを考えてきた。
養子として侯爵家に入ってからは、役割を演じることに必死だった。
好かれる言葉。嫌われない態度。
打算と計算で塗り固めた“カイル”という人物。
好き、なんて。
「俺は……趣味はないかな」
思ったよりも低い声が出た。軽さを装えない。
神妙な声色の返答が出たことに、自分でも驚く。
エスは少し目を丸くして、それからふわりと笑った。
「そっか。じゃあさ、これから僕といっしょに楽しいこと、たくさんしよ?」
その言葉が、胸の奥に静かに触れる。
凍っていた場所に、ひびが入るような感覚。
じんわりと、痛みを伴う温かさが広がる。
——だめだ。
俺は悪役にならないために動いている。
感情を揺らしている場合じゃない。
話題を変えるように、軽い調子を取り戻す。
「今は侯爵家の養子だけどさ、実は俺も元は平民なんだ~。エスくんと同じでうれしいな~」
事実を、少しだけ飾って投げる。
親近感を抱かせるための打算的な言葉。
周囲は貴族ばかり。転校で不安を抱える心につけ込む。
——これも必要な戦略だ。
だが、言葉を吐き出すたびに、胸の奥がざらつく。
そんな計算に気づくこともなく、エスはぱっと顔を輝かせた。
「そうなんだ!こんなに綺麗な顔をしてて、優雅な所作をしてるから、貴族にしか見えなかったよ」
屈託のない笑み。
打算を含まない賞賛。
「僕もカイみたいにかっこよくなりたいなー!」
まっすぐすぎる言葉に、息が止まる。
違う。
俺は、かっこよくなんてない。
利用しようとしている。
物語を歪めて、自分だけ助かろうとしている。
それでも。
胸が、痛いほど締めつけられるのはなぜだ。
罪悪感か。
それとも——。
朝日が校舎の塔を照らす。
階段が、目の前に現れる。
——ここだ。
あの出会いのイベントが起きる可能性がある場所。
俺は無意識にエスの腕へと手を伸ばしかけて引っ込める。
細い手首。驚いたように揺れる瞳。
「……足元、気をつけてね」
自分でも驚くほど、優しい声だった。
これは計算なのか本心なのか。まだ分からない。
ただ一つ確かなのは——
自分の運命を変えるために行動していたはずが、
気が付けば目の前の存在に、大きく心が揺れ動かされているということだった。
ゆったりとした椅子に腰掛けながら、俺はゆっくりと息を吐いた。
——ここから、すべてが始まる。
この世界は、今まで何度も夢で見たBLゲームそのままだ。主人公エスが全寮制の学園で出会うのは、選び抜かれた五人の美男たち。
俺様気質で強引な生徒会長。
甘い笑みの裏に策を隠す腹黒副会長。
誰にでも分け隔てなく優しい書記。
規律を何より重んじる風紀委員長。
軽薄そうでいて本心を見せない先輩。
そして隠しキャラとして、悪の組織に属する生意気な少年。
エスは彼らと出会い、距離を縮め、恋を育てていく。その傍らで、嫉妬に狂った“カイル”は悪役へと堕ち、断罪される。
——同じ道は、歩まない。
拳を握る。爪が食い込む感触が、現実だと教える。
俺はゲームのように、誰かの恋に嫉妬して狂う存在にはならない。
ならばやるべきことは一つ。
“出会い”を潰すこと。
恋は偶然の出来事から始まり、深まっていく。
ならば、その芽を摘めばいい。
最初のイベントは、エスと俺の義弟イオの邂逅。
階段から足を踏み外したエスが落ちかけ、偶然下にいたイオの胸へ飛び込む。抱き止められ、至近距離で見つめ合う。赤く染まる頬、困ったように笑うイオ。
——あれが、始まりだ。
あれさえなければ、物語は狂うはずだ。
だが、イベントの正確な日時までは分からない。ゲームでは、確か転校してすぐだった。
だから俺は決めた。
イベントが起こるまでエスに付き添う。慣れない学園生活を自然にエスコートするように。
---
翌朝。
寮の扉が軋む音とともに、柔らかな足音が聞こえてくる。俺は壁にもたれ、わざとらしくない笑みを浮かべて声をかけた。
「おはよう、エスくん」
ぱっと振り向いた彼の表情が、花のように開く。
「わっ、カイ!おはよう!
もしかして待っててくれたの?うれしいっ、ありがとう!」
その無邪気さに、一瞬息が詰まる。
朝の光を受けて揺れる白色の髪。まだ学園に慣れきっていない、不安と期待の混ざった瞳。その視線が真っ直ぐ俺を映す。
——こんな目で、ゲームの俺も見られていたのか。
学園までの石畳の道を並んで歩く。肩が触れそうで触れない距離をなんとなく意識する。
「カイはどんなことが好き?」
いきなりの質問に、足が一瞬止まりそうになる。
「僕はね、お菓子を作るのが好きなんだ。中でもクッキーが1番好きでね、ココアを入れたり、紅茶を入れたりするとおいしいの~!
そうだっ、今度カイに作ってあげるよ!」
輝かしい目から一転、一方的に喋りすぎたと思ったのか、少し慌てふためく。
「あ、ごめん、自分の話ばっかり!カイの好きなことも教えて!」
犬みたいだ、と思った。
期待に満ちた瞳。褒められたいわけでも、利用したいわけでもない、ただ知りたいという純粋な欲求。
好きなこと。
その言葉が、胸の奥で空虚に響く。
俺は、生き延びることだけを考えてきた。
養子として侯爵家に入ってからは、役割を演じることに必死だった。
好かれる言葉。嫌われない態度。
打算と計算で塗り固めた“カイル”という人物。
好き、なんて。
「俺は……趣味はないかな」
思ったよりも低い声が出た。軽さを装えない。
神妙な声色の返答が出たことに、自分でも驚く。
エスは少し目を丸くして、それからふわりと笑った。
「そっか。じゃあさ、これから僕といっしょに楽しいこと、たくさんしよ?」
その言葉が、胸の奥に静かに触れる。
凍っていた場所に、ひびが入るような感覚。
じんわりと、痛みを伴う温かさが広がる。
——だめだ。
俺は悪役にならないために動いている。
感情を揺らしている場合じゃない。
話題を変えるように、軽い調子を取り戻す。
「今は侯爵家の養子だけどさ、実は俺も元は平民なんだ~。エスくんと同じでうれしいな~」
事実を、少しだけ飾って投げる。
親近感を抱かせるための打算的な言葉。
周囲は貴族ばかり。転校で不安を抱える心につけ込む。
——これも必要な戦略だ。
だが、言葉を吐き出すたびに、胸の奥がざらつく。
そんな計算に気づくこともなく、エスはぱっと顔を輝かせた。
「そうなんだ!こんなに綺麗な顔をしてて、優雅な所作をしてるから、貴族にしか見えなかったよ」
屈託のない笑み。
打算を含まない賞賛。
「僕もカイみたいにかっこよくなりたいなー!」
まっすぐすぎる言葉に、息が止まる。
違う。
俺は、かっこよくなんてない。
利用しようとしている。
物語を歪めて、自分だけ助かろうとしている。
それでも。
胸が、痛いほど締めつけられるのはなぜだ。
罪悪感か。
それとも——。
朝日が校舎の塔を照らす。
階段が、目の前に現れる。
——ここだ。
あの出会いのイベントが起きる可能性がある場所。
俺は無意識にエスの腕へと手を伸ばしかけて引っ込める。
細い手首。驚いたように揺れる瞳。
「……足元、気をつけてね」
自分でも驚くほど、優しい声だった。
これは計算なのか本心なのか。まだ分からない。
ただ一つ確かなのは——
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気が付けば目の前の存在に、大きく心が揺れ動かされているということだった。
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