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第一章
十七話
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忍の自室で部屋着に着替えた瞬がじっと俯いていた。隣に座った忍が辛抱強く彼が語り始めるのを待つ。何度も口を開きかけているのに、瞬の目には涙が溜まるばかりで言葉にならない。記憶を辿るだけで恐怖に囚われているのだ。忍がそっと涙を指先で拭ってやる。
「無理をしなくていい。整理して話そうなんて思わなくていいよ。どれだけ時間がかかってもいいから」
その言葉に瞬が掠れた声で呟いた。
「塩……」
注意深く耳を傾けて、忍が続く言葉を待つ。
「塗られるんだ……火傷させられた時は……かならず……」
耳を疑う。ただでさえ瞬の負わされていた火傷は痛みのひどいものだと痕を見れば分かる。神経までもが焼けないように温度調節をされたものだ。そこに塩を塗っていた?
「俺の頭に……水入れたコップ乗せて……少しでも動いて零したら……っ……、あ、油……とか、熱湯とか……煙草……っ」
涙が溢れた。全身から冷や汗が滲んでいる。焦点が結ばれていない。
「お、俺が……泣くと……、お……怒るんだ……少しでも声を上げたら……ま、また……だから、でも、抑えられないくらい痛くてっ……痛くて……っ」
ゔっと口元を抑えた瞬の手から吐瀉物が零れ落ちる。
「ご、ごめんなさ……」
焼けた喉で懸命に謝る瞬を忍が抱きしめた。
「いいんだ。謝らなくていい。大丈夫だよ。もう無理に話さなくてもいい。思い出させてごめんね」
「ず、ずるいだろ……こんな……最後まで聞いてくれよっ……もう思い出しちまったんだから……怖くてこのままじゃおかしくなるっ……」
瞬の手が忍のシャツを握りしめる。抱きしめたまま忍が覚悟を決めた。
「そうだね。全部話してごらん。僕が全部聞いてあげる。吐き出してしまうんだ、全部」
「や、火傷……あいつ、俺に火傷させて興奮するやつでっ……い、一度落とすたびに水……増やされるから……落とすに決まってんのにっ……」
再度瞬が嘔吐する。失禁したのか、足を伝った液体が床を濡らした。
「怖かったね……よく耐えたね……」
思わず眉間に皺が寄った。ここにはいない、その加害者を睨みつける忍の表情は険しい。
「君は悪くない。何も悪くない。そいつを殺してやりたいくらいだよ。こんなに誰かに殺意を抱いたのは初めてだ」
「俺だって……殺してやりたいっ……お、俺を……俺を殴りつけてくるやつ全員噛み殺してやりてぇっ……! だって、俺は……俺の体はそんなこと簡単にできる……でもっ……」
全身の震えを止められない瞬が忍の体を押しやる。
「こんな状態でお前のそばにいたらダメだっ……お前に何するか……俺にも自分がわかんねぇ……怖いんだ……」
忍が強引にその体を引き戻して抱きしめた。虐げられても裏切られても、決してその力を行使しなかった。それが彼の本質なのだ。そんな彼を突き放すことはしない。
「いいんだよ。そうして耐え抜いた、それが君の持つ正しさだ。そんな君を僕は守っていきたい。僕の全てで君を守るよ。君は何も悪くない。よくその衝動を抑えたね」
瞬の口から叫ぶような泣き声が漏れる。崩れるように床に蹲った。
慟哭しながら床をかきむしる指が、その悔しさと苦悩を物語るように震えている。
どうしてここまでひどい仕打ちができるのだろう。彼はただ素直で、従順で……それだけでここまで踏み躙られて……怒りも悔しさも恐怖も怨嗟も全て飲み込んで生きてきたのだ。
その飲み込んだ全てを吐き出すように叫ぶ瞬を、忍はただ静かに撫で続ける。
もういい。もう、充分だ。忍の瞳に暗い色が宿る。
実力行使をしてでも、彼を脅かす存在は表社会から消し去る。そう、彼に決意させた瞬間だった。
眠っている瞬を忍がそっとベッドに横たえる。汚れた服を脱がせ、体を拭う。あらためてその火傷の跡を注視すると、瞬の言葉を裏付けるように治りきっていない患部を更に焼いた痕跡が見えた。
痛いなどというものではなかったろう……これは躾でも虐待でもない。拷問だ。瞬が生半可な痛みでは泣きも喚きもしない理由がここにある。涙の跡が残る頬を拭って、安曇が訪れる時までに腫れがひくように目元を冷やしてやる。風邪をひかないように、新しく出してきた洗い立ての部屋着を着せ、そして厚い毛布で全身を包んだ。その毛布は忍自身がこれまで数知れず慰められてきたものだ。
忍には家族がいない。
中学卒業まで彼を育てた祖母は、卒業と同時に田舎へ帰り忍を独り立ちさせた。
それが東條家のしきたりだったのだ。
そこから一人で生きてきた。いくら名門大学に合格しようと、一流企業の社長となろうと、寂しさを埋められずにいた忍は縋るように眠りの中に安らぎを見出してきた。彼の寝具が高級なもので揃えられているのはそのせいだ。せめて眠る時くらいは寂しさを忘れたいと、無意識が彼にそうさせているのだ。
そんな忍にとって、瞬はもはやかけがえのない存在だった。築き上げた地位も財産もどうでもよかった。
彼と過ごす穏やかで優しい日常を脅かすものがあれば容赦はしない。胡乱げな視線の先、窓の外を強い雨粒が降り注いでいた。
「無理をしなくていい。整理して話そうなんて思わなくていいよ。どれだけ時間がかかってもいいから」
その言葉に瞬が掠れた声で呟いた。
「塩……」
注意深く耳を傾けて、忍が続く言葉を待つ。
「塗られるんだ……火傷させられた時は……かならず……」
耳を疑う。ただでさえ瞬の負わされていた火傷は痛みのひどいものだと痕を見れば分かる。神経までもが焼けないように温度調節をされたものだ。そこに塩を塗っていた?
「俺の頭に……水入れたコップ乗せて……少しでも動いて零したら……っ……、あ、油……とか、熱湯とか……煙草……っ」
涙が溢れた。全身から冷や汗が滲んでいる。焦点が結ばれていない。
「お、俺が……泣くと……、お……怒るんだ……少しでも声を上げたら……ま、また……だから、でも、抑えられないくらい痛くてっ……痛くて……っ」
ゔっと口元を抑えた瞬の手から吐瀉物が零れ落ちる。
「ご、ごめんなさ……」
焼けた喉で懸命に謝る瞬を忍が抱きしめた。
「いいんだ。謝らなくていい。大丈夫だよ。もう無理に話さなくてもいい。思い出させてごめんね」
「ず、ずるいだろ……こんな……最後まで聞いてくれよっ……もう思い出しちまったんだから……怖くてこのままじゃおかしくなるっ……」
瞬の手が忍のシャツを握りしめる。抱きしめたまま忍が覚悟を決めた。
「そうだね。全部話してごらん。僕が全部聞いてあげる。吐き出してしまうんだ、全部」
「や、火傷……あいつ、俺に火傷させて興奮するやつでっ……い、一度落とすたびに水……増やされるから……落とすに決まってんのにっ……」
再度瞬が嘔吐する。失禁したのか、足を伝った液体が床を濡らした。
「怖かったね……よく耐えたね……」
思わず眉間に皺が寄った。ここにはいない、その加害者を睨みつける忍の表情は険しい。
「君は悪くない。何も悪くない。そいつを殺してやりたいくらいだよ。こんなに誰かに殺意を抱いたのは初めてだ」
「俺だって……殺してやりたいっ……お、俺を……俺を殴りつけてくるやつ全員噛み殺してやりてぇっ……! だって、俺は……俺の体はそんなこと簡単にできる……でもっ……」
全身の震えを止められない瞬が忍の体を押しやる。
「こんな状態でお前のそばにいたらダメだっ……お前に何するか……俺にも自分がわかんねぇ……怖いんだ……」
忍が強引にその体を引き戻して抱きしめた。虐げられても裏切られても、決してその力を行使しなかった。それが彼の本質なのだ。そんな彼を突き放すことはしない。
「いいんだよ。そうして耐え抜いた、それが君の持つ正しさだ。そんな君を僕は守っていきたい。僕の全てで君を守るよ。君は何も悪くない。よくその衝動を抑えたね」
瞬の口から叫ぶような泣き声が漏れる。崩れるように床に蹲った。
慟哭しながら床をかきむしる指が、その悔しさと苦悩を物語るように震えている。
どうしてここまでひどい仕打ちができるのだろう。彼はただ素直で、従順で……それだけでここまで踏み躙られて……怒りも悔しさも恐怖も怨嗟も全て飲み込んで生きてきたのだ。
その飲み込んだ全てを吐き出すように叫ぶ瞬を、忍はただ静かに撫で続ける。
もういい。もう、充分だ。忍の瞳に暗い色が宿る。
実力行使をしてでも、彼を脅かす存在は表社会から消し去る。そう、彼に決意させた瞬間だった。
眠っている瞬を忍がそっとベッドに横たえる。汚れた服を脱がせ、体を拭う。あらためてその火傷の跡を注視すると、瞬の言葉を裏付けるように治りきっていない患部を更に焼いた痕跡が見えた。
痛いなどというものではなかったろう……これは躾でも虐待でもない。拷問だ。瞬が生半可な痛みでは泣きも喚きもしない理由がここにある。涙の跡が残る頬を拭って、安曇が訪れる時までに腫れがひくように目元を冷やしてやる。風邪をひかないように、新しく出してきた洗い立ての部屋着を着せ、そして厚い毛布で全身を包んだ。その毛布は忍自身がこれまで数知れず慰められてきたものだ。
忍には家族がいない。
中学卒業まで彼を育てた祖母は、卒業と同時に田舎へ帰り忍を独り立ちさせた。
それが東條家のしきたりだったのだ。
そこから一人で生きてきた。いくら名門大学に合格しようと、一流企業の社長となろうと、寂しさを埋められずにいた忍は縋るように眠りの中に安らぎを見出してきた。彼の寝具が高級なもので揃えられているのはそのせいだ。せめて眠る時くらいは寂しさを忘れたいと、無意識が彼にそうさせているのだ。
そんな忍にとって、瞬はもはやかけがえのない存在だった。築き上げた地位も財産もどうでもよかった。
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