スパダリ社長の狼くん

soirée

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第二章

十話

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 目の前でカップを手に俯く瞬に、春香が首を傾げた。
「どうしたの? 聞きたいことがあるって」


 安曇にさえ連絡を入れずに単身直接家を訪ねてきた瞬に、驚いた顔はしたものの春香は気さくにリビングへ通してくれた。
 廊下に置かれたベビー用品が少し片付けられている。リビングへ入るとその理由はすぐにわかった。ベビーベッドやベビーサークルが組み立てられ、メリーなどが取り付けられている。
「いいなぁ」
 思わず漏れた本音に、春香が複雑な顔をする。淹れてやったホットミルクに口をつけた瞬は思い詰めた顔をしたまま弱音を漏らした。
「俺が男でなければってどうしても思っちまう……それかせめて……女に変わるような、そんな体質だったらって。狼になったところでそんなもん何の役にも立たねぇ。俺があいつの子供を産める人間だったらあんなことも言われずに済んだし、あいつといても誰も文句は言わない。あいつにもちゃんと俺っていうメリットになる……」
「瞬ちゃん。あの夜本当は何があったの?」
静かに尋ねた春香にかいつまんで説明する。春香がため息をついた。
「そんなことを言われたのならそう思っちゃっても無理はないかもね。でもね、いくら何でも短絡的すぎるんじゃない?」
春香の言葉に瞬が目を上げる。その目を見返して厳しい言葉を続けた。
「子供が産めたらなんでも解決すると思ってる? そんな単純な絆なの? 東條さんと家族になるためには子供がいなくちゃいけないの? そんなこと、東條さん望んでる?」
「でも、あいつとの子供なら俺は欲しい。そんなん可愛くないわけねぇ」
「そうね。何人?」
「何人ってそりゃ……何人でも……」
言いかけた瞬が口を噤む。何人でも? そんなことは瞬が勝手に望んでいいことではない。いくら忍に経済力があったとしても、それはつまり生まれた子供の将来を保証できるのは忍であって瞬ではないということだ。
今のように体を重ねていれば、瞬が子供を産める体質であればすぐに妊娠してしまうだろう。そんな欲望の結果として子供を得るというのは非常識なのはさすがに瞬にも分かる。そもそもが、瞬の都合で家族を得るために子供を利用するというのは忍にとっては脅迫じみた手段であり、子供にとってもあまりにも理不尽な行為だ。そして万が一、瞬の特異な体質を子供が継いでしまったら?
「…………いや、そんなわけはねぇな……ごめん、考えなしすぎだよな……」
はっきりと分かるほどにトーンの落ちた瞬の声に春香が溜飲を下げた。
「わかればよろしい。でね、そもそもそんな必要はないのよ。東條さんがそばにいて欲しいのは子供を産むための伴侶じゃなくて、瞬ちゃんでしょ? そんなことも言ってくれない? 東條さん」
 瞬が黙って首を振る。いつもそれは言われている。あの騒ぎの後は特に、しつこいほどに忍は繰り返してくれている。
「そうよね。じゃあ瞬ちゃん、そんな簡単な逃げ道に逃げてちゃダメでしょ? 瞬ちゃんが瞬ちゃんとしてできることを考えなくちゃ。そんなありえもしない「もしも話」で終わらせたくないでしょう? そんな理由で諦めていいの?」
「それは……それは嫌だ」
切羽詰まった色を浮かべた瞬の顔色に、春香は頷いて見せる。
「じゃ、考えましょ。それでちゃんと行動する。受け身でいるから隙を突かれることもあるんだと思うわよ? 東條さんに自慢に思われるような、そんな恋人になってやればいいのよ。見返してやりましょ」
「でも俺……あいつにふさわしいところなんて何もないから……」
 瞬の弱気な声に、春香が苦笑する。
「そうかなぁ。瞬ちゃんのその謙虚さと素直さって、そんな簡単に身につくものじゃないわよ。そのままで実力をつけたらすごい武器なんじゃない? 今のままでも、東條さんの食事管理ができてるだけでも尊敬よ。あの人もともとろくに家で食事はしなかったような人よ。仕事上健康管理も大事な人を支えられる食事が作れるだけでもすごく有能よ。ね、あたしも教えて欲しい。妊娠中ってどうしても食事の管理が難しくって。体重増やさずにバランスよく食べれるレシピあったらほんとに知りたい」
嘆くような春香の言葉に瞬が笑う。母子手帳を見せてもらい、摂るべき栄養素を踏まえて幾つかレシピを手早く書き留めた。もちろん、短時間でできるものばかりだ。レンジや炊飯器も可能な限り使えるものを提案する。春香が感動したように声を上げる。
「すごい、やっぱりすごいよ瞬ちゃん。栄養士さんみたい、それか料理研究家」
「料理研究家……なぁ、それって資格とか必要か?」

 身を乗り出すように尋ねた瞬ともにスマートフォンで情報収集をする。瞬の目が輝いた。
「ありがとう……俺にもできること、あるかもしれない」


 帰宅した忍に瞬が語った将来への希望に、忍が感慨深く微笑んだ。






 メールを読んだ忍が難しい顔をした。無戸籍、詳細不明。全国を逃げるように転々としていたことが窺える住所の変更。瞬を育てていたという女性とは血縁関係はなく、女性は今現在消息不明……。
歴代の飼い主たちの名もリストアップされている。
何一つ後ろ盾もなければ、この世に生まれたことさえ届け出られていない瞬は、このままでは生きていくことさえ困難だ。

(いくら僕が囲い込んだとしてもこれでは……瞬自身の可能性が狭すぎる)

就籍許可は忍が動けばなんとかなるだろう。血の繋がった両親がどこにいるのかもできれば探し出したいところだ、瞬のあの獣人という特徴を知る人間がどれほどいるのか──迂闊な口外をされないための対処も必要だろう。あとは……。

(料理研究家か……やらせてみても悪くない)

瞬が初めて口にした将来への希望は、決して実現不可能なものではない。彼の得意分野で自己実現ができれば、瞬の自信にもなるだろう。

(……いつまでもこのままというわけにはいかないからな……)

隣で眠っている瞬の髪を撫でる。
そして、もう一人育てなければならない人間がいた。資質は申し分ないが、人格の欠落がひどいあちらもそれなりに成長をしてもらいたい。そのために瞬にも少し手伝ってもらわなくてはいけなかった。STファイナンシャルでの就業経験はその先どんなキャリアを積むにせよプラスにはなるだろう。コミュニケーションを学ぶことも瞬には重要な課題だ。瞬のメンタルの幼さは忍にとっては可愛いものだが、瞬本人にとっては致命的な弱点にしかならない。だが、それは今まで誰にも一人前の大人として扱われてこなかったからだ。働いていく中で人間関係を築くことができるようになれば、少しずつでも瞬は成長していくだろう。はじめは苦労するだろうが、泣き言や弱音は聞いてやれる。それに瞬は励ましてやれば頑張れる性格だ。槙野が後継者云々を気にしていることも合わせて、これ以上の最適解はなかった。

 本音を言えば、いつまでも忍に頼りきりの瞬でいてほしい。だが、それは忍のエゴでしかないのだろう。
「頑張れるかな、君なら」
そっと呟いた忍の指先が瞬の頬を撫でた。

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