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閑話〈大学生編〉
鬼ごっこ(3)
しおりを挟む「こっちで正解だったな」
松井の言葉に村山は小さく頷く。だがその顔には、安堵の表情は全く見えなかった。それは松井も同じだった。
「ああ。……もうすぐ、時間だな」
中川が告げた時間がくる。
あれから何度も人形が襲って来た。警戒し過ぎて意外と手こずった。
エレベーターまで、二十メートル強。もう見えている。
全力疾走したら十分逃げ切れる距離だ。エレベーター近くで【鬼】が出現しない限り。
冷静に、今置かれている状況を把握する。
その時だ。キーンという耳障りな音がした。
〈さすが、村山君と松井君。良いところまで進んだね。因みに、人形を避けたのは正解だよ。あれ、一度引っ付くと取れないようになってるから。一体、一キロ。その重りを付けて走るのはキツいね。僕は無理かな。……それでは、今から鬼を放ちます。頑張って逃げて下さいね〉
ご丁寧にも教えてくれる。完全に自分たちを馬鹿にした中川の声が地下に流れる。勝利を疑わない声。勘に障る。相変わらずいかれた陽気な声に、村山と松井はチッと舌打ちした。
ガダガダガタ。ゴト!!
放送が終わった途端、背後で豪快に物が壊れる音がした。反射的に、村山と松井は振り返ってしまった。
二人の目に、人形と資材を破壊している者の姿が映る。振り返らなければよかった。戦慄が走る。
その姿はーー。
まさに、自分たちが知る【鬼】そのものだった。
少し離れた場所からも分かる。三メートルは有に越える巨体な体躯を持つ鬼。人間の皮膚とは明かに違う、灰色の皮膚。頭には二本の角が生えていた。口元から牙が見える。
薄暗い地下なのに、何故か不思議とはっきりとその姿を確認出来た。
村山と松井は慌てて鬼から視線を外す。だが、既に遅かった。
目が合った。
ほんの一瞬だ。
でも確かに、鬼と目があったことを本能的に感じ取る。
そして同時に、自分たちと目があった瞬間、鬼の標的になったことも村山と松井は本能的に感じ取っていた。
「「逃げろ!!!! 捕まったら、間違いなく喰われるぞ!!!!!!」」
体裁などなにもない。必死で逃げる。足がもつれそうになるが、何とか持ち堪えて走った。
転けたら、間違いなく喰われる。
背後から聞こえる破壊音が段々近くなってきた。異様なスピードだった。
村山と松井は後ろを振り返らない。そんな余裕なんてどこにもなかった。必死で足を動かす。一歩でも前へ前へと。
村山と松井の目前に、探していた貨物用エレベーターがあった。
開閉ドアが開き、明かりが灯っている貨物用エレベーターが見える。
エレベーターまで、後五メートル。
四メートル、三メートル、二メートル、残り一メートル……。
転がり込むように、村山と松井はエレベーターに辿り着く。慌てて、村山は閉ボタンを連打する。
ゆっくりと、ゆっくりと、扉が閉まっていく。
「早くしろ!! 村山!!!!」
松井が怒鳴る。
「煩い!!!! 黙ってろ!! 閉まれ、閉まれ、閉まれ」
村山は怒鳴り返す。
いくら焦っても扉はゆっくりだ。でも、徐々に閉まっていく。比例して、鬼の姿も大きくなる。
(駄目か……)
さすがの村山と松井でも半ば諦め掛ける。思わず目を閉じた。扉も同時に閉まる。
閉まった途端、扉に派手にぶつかる大きな音がした。内側に向かって扉が大きく出っ張る。咄嗟に、村山と松井は扉から離れる。反対側にある鏡を背にずりずりと座り込んだ。
変形したせいで、僅かな隙間が中央に生まれた。
その僅かな隙間から大きな目と牙が見えた。鬼が覗き込んでいた。
また視線があった。
今度は逸らせることが出来なかった。震える体で、村山と松井はその視線を受け止める。蛇に睨まれた蛙のように。
鬼は悔しそうに一吠えると、もう一度激しく体当たりをするが、それ以上扉は開かなかった。貨物用のエレベーターでよかったと、心から安堵する。最後にもう一度、悔しそうに鬼は吠えると忽然と姿を消えた。
「…………行ったのか?」
「……俺たちは助かったのか?」
村山と松井は呆然としながら呟く。
鬼は消えた。
俺たちは無事ゴールに辿り着いた。
村山は震える体で何とか這いながら、一階のボタンを押した。エレベーターはギシギシと音をたてながら動き出す。
「動いた!!!! 助かっ」
松井にそう話し掛けた村山が途中で固まる。後ろを振り返った村山の表情から、完全に感情が抜けていた。
恐怖が一定の基準を越えると、人は無表情になるらしい。
ただ……冷や汗が全身の毛穴から噴き出す。そして、震えも更に強くなる。
「村山。こんな時に、そんな冗談するんじゃねーよ」
村山の様子を見て、松井は顔をしかめる。冗談だと思った。いや、そう思いたかった。
「……………鬼…………中川……」
村山がか細い声で呟く。吐息ほどの小さな声だが、はっきりと松井はの耳に届いた。目線は松井じゃなく、更に後ろの方を見ている。
鏡だ。
その声と視線に、松井は思わず振り返ろうとした。だが、ピクリとも体が動かない。まるで、金縛りにあったかのようだ。
不意に、松井の両肩にズシリとした重みが加わる。耳元で鼻息を感じた。生ゴミが腐ったかのような生臭い臭いが鼻孔を突く。
松井と村山の全身から冷や汗が更に溢れ出て来た。全身がベトベトだった。その不快感も気にならない。
ただ、ただ……恐怖がこの場を支配する。
「ほんと、惜しかったね。村山君、松井君。もうちょっと、だったんだけどね。……ん? なんか、不満そうだね。僕は一言も言ってないよ。鬼が一頭だけとはね。訊いてくれたら、ちゃんと教えたんだけどね。クス。……ゲームオーバーだよ。松井君、村山君。君たちは負けたんだ」
そう鏡の中から中川が嬉しそうに告げた。その声を聞きながら、村山と松井はスーと意識を失ったのだった。
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