〈本編完結〉わたくしは悪役令嬢になれなかった

結塚 まつり

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第2話

ルミエラが体を乗っ取られてから数日が過ぎた。暗い空間には初め何もなかったのだが、盗人の記憶を留めておくための資料が必要なのか、本や写真集の入った書棚が生まれた。すっかり盗人がルミエラであると信じ切った家族と盗人の団欒を見るのがつらかったので、ルミエラはその書物を貪るように読んだ。
それによると、どうやらこの国がある世界とは違う世界があるらしい。鉄の箱が空を飛び、馬車よりもずっと速い乗り物が大地を駈け、遠く離れた人に瞬時に情報を伝える機構。なんとも素晴らしい技術の数々は、驚くべきことに魔法なしで編み出されたのだという。肝心の方法について、盗人の記憶にはなかったためか分からなかったのが口惜しい。魔法でどうにか出来ないかと苦心しているが、火魔法だけではやはり、思うようにはいかないのであった。
そう――盗人は名を五十嵐 瑠美というらしい。年は32歳で、家族も友達もいない。
ルミエラの体を乗っ取ったことは、本人もよく分かっていないようだった。けれど、第二の人生を楽しまなくちゃ、などと宣っているのが、ルミエラには我慢できなかった。
第二の人生? なんだそれは。ルミエラにとっては大切な日常だった。それを奪い、よくもまあのうのうと息をしているものである。泣いて喚いてルミエラに許しを乞うところであろうに、平然としていられる神経が理解不能であった。
最近では、愛称まで変えられてしまった。ルルという愛称をルミエラはとても気に入っていたのに。ルミの方が大人っぽい気がして、などと色々と言っていたが、単純に自分の名前が好きなだけではないか。未だに自分が五十嵐 瑠美だという自覚があるのなら、とっとと消えてほしい。
ルミエラは盗人――瑠美などと呼ばない。あの女は盗人である――を蛇蝎の如く嫌った。
気持ち悪いのだ。
一回りも違う子供の体を乗っ取った挙句、自分よりも年下のルミエラの両親を慕い、自分よりも遥かに年下の少年を兄と呼ぶなど。確かに今はルミエラの皮をかぶっているから8歳の少女に見えるけれど、中身は32歳。何かしら大切なものがあってもおかしくないだろうに、己の生はまあいいやと放り投げてしまえる精神、自分の体に戻ろうという努力の片鱗さえないことが、嫌悪感を加速させた。
しかも、この世界がげーむとやらの世界だと信じて、これから起こる悲劇を防ごうなどと息巻いている。あくやくれいじょうというものであるらしいが、悪いことをしなければ、良いことをしてたら断罪なんてされないよね、と自分で頷いている。
どれだけ厚かましいのだろう。
未来は未来だ。たとえ起こることがどんなに悲しいことであったとしても、それは今を生きる人たちが必死で生み出したものであり、部外者が関与していいものではない。不幸な未来を知っているからそれを変えようとするのは、その先の未来すべてに責任を取ろうということだ。分かっているならばいいのだが、盗人は処刑回避しか考えていないようで、その他のことなんてまるで頭にはないようだった。
――なんて、愚かな。
最近ではそのはめつふらぐ回避とやらの一環で身分を使い、公爵令嬢の身分ってすごいわ、などと感嘆しているが、そのこーりゃくたいしょーを救う時間は公爵家の為に使うべきものだと、どうして理解できないのだろう。確かに公爵家ともなれば人ひとりを救う力がある、だがその力の使い道はそこではない。安易な救いは他者の妬みを招くと考えもしないのは、思考停止のなせるわざなのだろうか。
ルミエラは必死に祈った。誰でもいいからわたくしの体をわたくしに返してくれと祈った。公爵令嬢に相応しい行いをさせてくれ、わたくしの体で勝手をさせないでくれ、と。せめて誰か気づいてくれたら、と思ったが、誰一人として気づかないままに過ぎていく日々に絶望した。
最近は使用人とも仲良くしているそうだな、と笑う父に。
前にも増して天使になったと評判よ、と褒める母に。
今のルミならどんな子でもすぐに虜になるよ、と言う兄に。

家族にこれほどの絶望を覚えたのは、初めてだった。

こうなれば家族は頼れない。侍女や護衛、家庭教師はどうだろうかと思ったが、親しみやすく名を呼び、笑顔をふりまく盗人をよく思っている者が多いようだった。ルミエラにとって彼らは飽くまで使用人と主人であり、決してその一線を越えようとはしなかったのに、盗人は彼らも同じように生きる人なのだから、と使用人の待遇改善をしようとしている。子供のやることだと父母は静観しているが、貴族として許されない発言だと気づかない愚かさが、どうしようもなく悔しかった。
――わたくしならば、そんなことはしないのに!
唯一盗人に違和感を抱いたのは家庭教師だ。腹立たしいことに、ルミエラが身に着けた技術は受け継がれたようだが、その本質や細心の注意を払って行っていること、学び途中だったことは身についていない。出来なかったことは次の授業までに出来るようにするのがルミエラのやり方だったから、目に見えて習得の速度が落ちたと厳しく叱責した。
恥である。
この程度も出来ないと烙印らくいんを押されたに等しい。いつかルミエラが元に戻った時、この教師は盗人の手落ちをルミエラの手落ちとして記憶しているのだ。完璧を目標としているルミエラにとって、これほど耐えがたいことはなかった。
勿論、ルミエラだって初めから完璧だったわけではない。教師に教えられたばかりの時は失敗もあったし、教師もそれを目にしている。だがそこで出来ないことさえもいとうルミエラが、次の授業までに己の課題をこなしていないんだなんて! それは恥辱以外の何者でもなかった。
盗人は厳しい叱責で心を入れ替えたのか、きちんと課題をこなすようになったが、それだけだ。ルミエラがしていたように、課題の本質を見極め、それに関連することまで網羅しようという気概が感じられなかった。そうなれば当然、習得速度は変わらずともそれ以外の知識は身につかない。より多くの見識を得られそうな関連事項を平然と素通りする様に、何度絶叫したことか。盗人が視界に入れたものであれば、この空間に呼び寄せることができたから、ルミエラはいずれ来たるべき時の為、と言い聞かせていつも通りに課題をした。
表向き変わったところがないのが何より腹立たしかった。盗人の魂が宿っているとはいえ、頭も体もルミエラのもの、習得速度がすぐに戻ったために家庭教師が抱いた違和感はすぐさま流されてしまった。

ルミエラは婚約者のアークレイドに一縷の望みをかけた。ルミエラはアークレイドを心から好いていた。初めて会った時の小さな紳士の姿に心を奪われたのである。だが勿論、この感情はルミエラのものであり、盗人はそうではないようである。この態度の違いに違和感を覚えて探ってくれれば、とルミエラは天にも祈る気持ちでその日を待ちわびた。

「――こんにちは、ルミエラ令嬢」
「こんにちは、第二王子殿下」

アークレイドは驚いた様子で小さく目を見開く。それも当然であろう。ルミエラは今までずっと、アークレイドのことをアーク様と呼んでいた。望まれたことは何でも叶えたし、先回りして準備した。お茶会は彼の好みに合わせ、ひたすら彼に尽くした。
けれど盗人はそんなことをしなかった。アークレイドの名前を呼ばず、自分の望みを優先した。

「......なんだか、今日は別人のようだね」
「実は、わたしは生まれ変わろうと決めたのです。これまで身分をいいことに、色々とやりすぎてしまいましたから。心を改めました」
「そうなのか。うん、確かにこの方が好ましいね」

――その言葉を聞いた時、アークレイドが口元を綻ばせるのを見た時、ルミエラの中で何かが壊れる音がした。

「ルル、と呼んでもいいかい?」
「あっ、最近、愛称をルミに替えたんです。心機一転、と言いますから」
「なるほど。ではルミ。またのお茶会を楽しみにしているね」
「はい、さようなら」

アークレイドが去って行くのを眺め、ルミエラは号泣した。
5歳になってから初めて流した涙だった。


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