〈本編完結〉わたくしは悪役令嬢になれなかった

結塚 まつり

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第5話

「ねえベルローズちゃん、どうしてあんなことを言ったの?」
「あんなこと、と仰いますと」
「誰と何を話しても変わらないって言ったんでしょう? オスカー、泣いていたわ。嫌なら嫌と、そう言ってくれたらいいのに。どうしてオスカーを傷つけるの」

ルミエラは王太子妃こと盗人に呼び出されていた。かつて見た王太子妃の私室は美しく高価な調度品で揃えられていたはずだが、盗人が私物を持ち込んだためだろう、幾らか野暮ったく庶民的に見えた。

「嫌と申し上げたつもりはありませんが、第一王孫殿下を傷つけたのであれば謝罪いたします」
「オスカーと話しても楽しくないって言いたかったのでしょう? 直接本人に言わなくてもいいじゃないの」
「そのようなことは申しておりません」
「だったらどういう意味なの?」

王太子妃にあるまじきことに、盗人は眉を寄せ感情をあらわにしている。外交の場でこれを出していないといいのだが。国の品位までが落ちる。

「誰と話していても楽しみを感じたこともありませんし、話題がなんであれそれは変わりません、と。そう申し上げたつもりでした」
「ベルローズちゃん、嘘は良くないわ。おしゃべりが楽しくないだなんて。ベルローズちゃんにもお友達がいるでしょう?」
「おりませんが」
「え......」

言葉を失った盗人を、ルミエラは冷ややかな目で見つめた。

「哀れんでいただく必要はありません」
「でも、お友達がいないなんて......寂しいでしょう。お兄様に言って、誰かお友達を......」
「結構です。小公爵さまは愛人とその娘に構うのでお忙しいようですので」
「ベルローズちゃん!?」
「なんでしょうか」

ルミエラが述べたのはただの事実である。
元兄であり現在の父である公爵が愛人・リラの家に入り浸りでろくにルミエラのことを顧みない。名前も覚えていないのではないだろうかと思う。

「お兄様ったら、ベルローズちゃんにそんな思いをさせるなんてひどいわ。わたしからきつく言っておくから、安心してね」
「結構です。平民上がりの男爵令嬢にうつつを抜かす愚か者を父と思ったことはございませんので」
「ベルローズちゃん! なんてことを言うのっ!」

盗人は悲鳴を上げた。

「何か間違ったことを申し上げましたか? 小公爵様は年に一度か二度しか屋敷にお出でになりません。侍女の方がよほど顔を合わせています。正直、お顔も覚えておりません。それを父と思えと? 王太子妃殿下は随分無茶を仰るのですね」
「そんな......お兄様がそんなにベルローズちゃんをないがしろにしていたなんて」
「欲望のままに己の責務を放棄したお方に今更父親面をされても迷惑以外の何物でもありませんので、どうぞご放念ください」
「そんなわけにはいかないわ! お兄様と可愛い姪っ子を、どうして放っておけるものですか」

ルミエラはその言葉を聞いて鼻で笑った。

「ではどうして今まで小公爵様にお話にならなかったのですか? 一言でもお聞きになっていれば変わっていたでしょうに」
「そ、それは......わたし、そんなことになっていたなんて知らなくて、いつも惚気話をしているからてっきり、」
「そうでしょうね。王太子妃殿下は興味もおありでないでしょう。それが愛人の話か名ばかりの妻の話かもお考えにならないのですから」
「そんなわけないでしょう! あなたはわたしのお兄様の家族、いわばわたしの家族なのよ! それに、愛人というけれど、リラのことならわたしもよく知っているわ。お友達だもの。心優しい子よ、決してベルローズちゃんから父親を奪おうとしたわけじゃないわ」
「でしたらそのご友人とやらとその娘をお呼びください。私と小公爵様の間には血の繋がりこそありますが、家族と思ったことは一度もありませんので」
「ベルローズちゃん、ごめんなさい。確かに、わたしが無神経だったわ。ベルローズちゃんからしてみれば、いつもお父様がいないんだから、寂しいわよね。一度、リラと話してみるわ。どうか少しだけ、時間をちょうだい」
「どうぞご随意に。わたくしには一切関係のないことですので」

王太子妃が厳しい顔で侍女を呼んだので、ルミエラはカーテシーをして部屋を出て行った。
盗人、と言ってたろうかと思ったけれどやめた。王太子妃に対する不敬で咎められるのはルミエラだし、今更訴えたところでどうにもならないことはよく分かっていた。

どうせ、ルミエラが真の意味で己に戻ることはないのだから。

それから3日後、およそ半年ぶりに元兄である父が屋敷にやってきた。端麗な容貌はやや衰えているが、それでも美しい男だ。だがそれが見てくれだけだとルミエラは知っている。

「――久しぶりだな」
「お久しぶりです、小公爵様。こちらにお越しになるのでしたら、ご一報いただければ――」

パシンッ、と頬が鳴った。体が傾き、床に崩れ落ちる。すべての音が遠のいて、息が詰まった。口の中に血の味を感じてようやく、殴られたのだと理解する。

「――王太子妃殿下に要らぬ口を聞いたそうだな」

床に這いつくばったままの姿勢でその声を聞いた。視界が揺れているが、それでもルミエラは立ち上がった。無様な姿など、見せてやるものか。

「事実を申し上げただけのことが要らぬ口と言われるとは思いませんでした。今後は参内を控えた方が宜しいでしょうか?」
「減らず口を叩くな――滅多に会えないために、父親と思えないと言ったそうだな」
「はい。わたくしと小公爵様は双方、ザイツェフェルト家の血を繋ぐための道具。今のわたくしには婚姻に利用する手駒としての価値があるでしょうが、その程度でしょう」

父と娘の関係にあるはずだが、二者の間に漂う空気は温かなものとは程遠い。

「以後、公的な場において小公爵様のことをお父様とお呼びすれば御満足なさいますか? ああ、ご安心ください。小公爵様を父と思い慕ったことなど物心ついてから一度もありませんので。これまで通りご放念ください」
「......一度も父と思ったことがないだと?」

元兄は片眉を釣り上げた。

「おや、違うのですか? 物心ついて以来小公爵様とお会いするのは十回程度ですのに。そこらの使用人の方がよほど顔を合わせておりますわ。それとも、捨て置いた哀れな娘は己を父として慕い、顔を見るだけで喜ぶとでも思っていらっしゃいましたの? 随分と都合のいい妄想ですこと」
「口が過ぎるぞ、ベルローズ」
「あら、わたくしの名前を覚えておいででしたのね。今まで数えるほどしか呼んでいただいたことがありませんから、てっきりお忘れかと思っていました」

元兄は苦虫を噛み潰したかのような顔をした。ルミエラは晴れやかに笑う。

「どうぞこれまで通りわたくしのことなどお忘れください。わたくし、小公爵様と顔を合わせるのも嫌ですので」

元兄は黙り込んだ。それを見て、ルミエラは部屋に引き返す。階段を登る最中、どうしてこんなところでこうして生きているのか、という詮無い疑問が頭に浮かんだ。
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