〈本編完結〉わたくしは悪役令嬢になれなかった

結塚 まつり

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番外編 私には姉がいた 中

宣言通り、ベルローズは一切3人と関わろうとしなかった。食事も相変わらず部屋で取っていて、会わない日の方が多かったくらいだ。すれ違ってごきげんよう、と言い合うだけの日々だったが、ヴィオレットは次第に、ベルローズの瞳の中に何の感情も滲んでいないことに気づいた。嫌悪も憎しみも何もない、滑らかで空虚な瞳だ。侍女には隠しているようでも、やはり憎まれているのだろう、と考えていたヴィオレットにとって、これは大きな気づきであった。

「ごきげんよう」
「あ......ごきげんよう」

だからその日、たまたますれ違ったベルローズに、思い切って声をかけた。

「まっ......魔法院にお出でになるのですか?」

沈黙が、ひどく長く感じられた。汗が背中を伝い、顔が強張るのが自分でも分かった。

「――ええ。そうよ」
「!」

返事を得られたことで、ヴィオレットはほっとした。ただ二言、それだけでも今のヴィオレットにとっては大きな一歩だった。

「お、お気をつけて行ってらっしゃいまし!」

ベルローズはやはり、硝子玉のような瞳でヴィオレットを眺め、頷いてその場から去って行った。
その日から、ヴィオレットはベルローズに会う度に何かしら話しかけるようになった。
綺麗なドレスですね。どこで仕立てられたのですか? 今日は天気がいいので、外が気持ちよさそうですね。そろそろ学園に入学されると伺いました。倶楽部や生徒会には入られるのですか?
ベルローズがヴィオレットにごきげんよう、と声をかけるが――高位の者からでないと話しかけてはいけないので当然である――それ以上の話をすることはなかった。問いかけは必ずヴィオレットからのものであり、ベルローズはただ無表情に答えるだけであった。
けれど、ヴィオレットにはたったそれだけの会話が貴重なものだった。ベルローズが抱える空虚を理解できるとは到底思えないし、姉妹を名乗るのもおこがましいと分かっているが、それでも、両親以外と話をできる時間は、ヴィオレットにとって確かな救いだった。父はヴィオレットがベルローズと話していたと知ると嫌そうな顔をするけれど、知ったことではない。

「ごきげんよう」
「ごきげんよう。学園からのお帰りですよね。今日はどこかに行かれたんですか?」
「同じクラスの方とカフェに」
「カフェ! いいですね。何をお召し上がりになったのですか?」
「パフェを」

ふたりの会話は、ベルローズが貴族学園に入学した後も続いた。ベルローズの帰宅時間はまちまちだったので、以前に加えて会う頻度は少し減っていた。相変わらずヴィオレットはベルローズをベルローズ様と呼んだし、ベルローズがヴィオレットの名前を呼ぶことはなかった。

「ヴィオレット」

だからその日、名前を呼びかけられてヴィオレットは心底驚いた。多分、表情にも出ていた。

「もうすぐ、あなたも学園に入学するわね。ザイツェフェルト家に悪評を立てないよう、わたくしは学園ではあなたの愛称を呼ぶ。あなたもわたくしをお姉様とお呼びなさい」
「あ.......はい、畏まりました」
「ヴィオ、でよかったわね?」

反射的に、ヴィオレットは首を横に振っていた。父や母が呼ぶ愛称と同じ名前で、ベルローズに呼ばれたくなかった。

「あの――宜しければ、レティと呼んでくださいませんか」

ベルローズは僅かに首を傾けたが、疑問を呈することはなく、分かったわ、とだけ言った。
失礼、と言って部屋に戻っていくベルローズの背を、ヴィオレットは呆けたまま眺めていた。
――お姉様、とお呼びしていいの?
噂を防ぐ為と分かっていても、学園に限った話と分かっていても、ベルローズからその呼び名を許されたことがヴィオレットには嬉しかった。

「――お嬢様、何か良いことがあったんですか?」
「......うん」

ヴィオレットは花開くように鮮やかな笑みを浮かべた。

「うん――とても、いいことがあったの」

ヴィオレットは学園入学までのひと月を逸る気持ちで過ごした。学園入学に際して、元愛人の子という白い目で見られはしたが、覚悟の上だったので努めて気にしないようにした。一週間が経ち、クラス内の交流も活発になってきたある日のお昼休みのことである。

「ザイツェフェルト様!」
「どうされたんですか、イスカーシャ様」
「ザイツェフェルト様が......あぁ、お姉様がお見えです!」

ヴィオレットは驚いて目を見開いた。慌てて扉に視線を向けると、涼し気な水色の髪をたなびかせたベルローズが立っている。その場にいるだけなのに存在感があり、クラスの面々はどこか気圧されているような雰囲気さえあった。

「――こんにちは、レティ。お邪魔だったかしら?」

家よりも軽やかで明るい声に、ヴィオレットは目を見開きそうになったのをかろうじて堪えた。

「いえ、そんなことはありません! ベル、お、お姉様は、どうしてこちらに」
「お昼ご飯を一緒に食べないか、お誘いに。あ、突然だし、もしもクラスの方と一緒に食べる約束があるなら――」
「いっ、いえ! 是非御一緒させてください!」

ベルローズとご飯を食べるのは初めてである。ヴィオレットが食い気味に返事をすると、ベルローズは笑みを深めた。

「嬉しいわ! それでは行きましょうか」
「は、はい!」

その日、学食で食べたランチの味は殆ど覚えていない。普通の姉妹のような会話が出来た感動で、忘れてしまった。
それからも、月に二回ほど、ヴィオレットとベルローズは食事を共にした。それどころか、カフェや買い物に一緒に行くこともあった。ベルローズが誘うこともあれば、ヴィオレットが勇気を出して誘いに行くこともあった。ベルローズは相変わらず愛想笑いを浮かべていて、話す内容もたわいもないことばかりだったけれど、ヴィオレットはこの時間を大切にしていた。
学園で過ごしている内に気づいたが、ベルローズは時間の使い方が上手だった。ヴィオレットが帰宅するときに一緒に帰ったり、友人とカフェに行ったり買い物をしたり。人間関係を円滑に進める為の努力をする一方で、何もない時は図書館で色々な勉強をしているということを、たまたま図書館を訪れた日に知った。幼い時から魔法院に出入りし、天才令嬢とも言われているベルローズがあれほど努力しているのに、テストでいい点が取れたからと怠けている自分が急に恥ずかしくなった。ベルローズにとって恥ずかしい妹にならないように、ヴィオレットもまた図書館に足繁く通うようになった。その甲斐あってヴィオレットは長期休暇前の試験で学年七位の好成績を修めた。ベルローズが入学以来一度も首位を譲っていないことをその時に知り、頭の下がる思いだった。
夏の長期休暇では、ベルローズは社交界入りの為の支度に忙しそうだった。年が明ければデビュタントを迎える。ベルローズが一番美しいだろう、とヴィオレットは確信していた。きっと人気者になるし、殿方からも沢山お誘いを受けるだろう。まだ婚約者はいらっしゃらないけれど、ベルローズのことを一番に考えてくれるような、そんな人を見つけてほしいと思う。

「......あの。ベルローズ様は、婚約相手にどのようなことを求めておいでですか?」

公爵邸の図書室を出た矢先、ヴィオレットはベルローズに遭遇した。婚約について父から聞いた日だったので、その話題を出したことに深い理由はない。

「ザイツェフェルト家の利益になるのであれば、誰でも」
「ベルローズ様の希望、などは......その、利益になる、と言っても、甲乙つけがたい場合もありますでしょう? そういう時は、何を優先に選ばれるのですか?」

ヴィオレットがそう問うと、ベルローズは小さく首を傾げた。

「さあ、分からないわ。お決めになるのは公爵閣下でしょうから、わたくしの意思ではないことだけは確かね」

――ベルローズは、何を楽しみとして生きているのだろう。
不意に、そんなことを思い、慌てて首を振った。けれど、空虚な瞳とそれに不釣り合いな努力が、ヴィオレットの疑念を加速させた。
長期休暇が終わり、学園が再開してすぐのある日である。

「――あの、お姉様」
「何かしら、レティ」
「.......どうか、ご無理をなさらないでください」
「あら? 何のことかしら。わたくしは無理なんてしていなくてよ」

ベルローズが怪訝そうなので、ヴィオレットは必死になった。己の限界をベルローズは知っているのだろうが、限界直前まで詰め込む姿が、危うく見えて仕方なかった。

「ですが、いつ見てもお休みされていません。確かにザイツェフェルト家の嫡女としてお忙しいのだろうと推察しますが、それでもいつか休まねば、疲れ果ててしまいます」
「まあ......わたくしを心配してくれるのね。ありがとう。けれどほんとうに大丈夫よ、わたくしはやりたいことをやっているだけなのだから」
「......ほんとうにそうですか?」

やりたいことが、あるのだろうか。一度も笑わず、泣かないこの人に。

「私は――お姉様の心からの笑みを、見たことがありません」
「――…………」

ベルローズは微笑みを保ったまま黙り込んだ。
姉はずっと空虚なのだ、となぜかヴィオレットが泣きそうになった。

年が改まって程なくして、ベルローズの婚約が決まった。父からその相手を聞いたヴィオレットは仰天した。
なんでも、ふたつ西の隣国の皇太子らしい。既に妻子を抱える年の離れた男相手なんて、とヴィオレットは反対した。ベルローズこそがザイツェフェルト家を継ぐに相応しい人材だ、と。しかし父は不機嫌そうにするばかりか、

「これは決定事項だ。口を挟むな」

と言って反論を封じた。ヴィオレットは居ても立ってもいられず、初めて姉の部屋を訪れた。

「いらっしゃい」
「あのっ、ベルローズ様」
「何かしら」
「婚約のこと、お聞きしました。私は、ベルローズ様がザイツェフェルト家を継ぐものと思っていました。なのに、遠く離れた異国に行かれるなんて......」
「あら。わたくしはあなたが継ぐものと思っていたわ」
「え」
「公爵閣下はわたくしがお嫌いでしょう」

何の感情も見せず呟かれた言葉に、ヴィオレットは目を見開いた。

「ですが、それだけの理由でベルローズ様を国外に出してしまわれるなんて。ベルローズ様程知恵があるお方が継いだ方がいいなんて、誰が考えても分かることです!」
「愛しい人の子にいいものをあげたいと願うのは、世の親の常よ。歴史を紐解けばすぐに分かるわ。たとえばオスカー三世、レオポルト一世」
「.......ですが!」
「当主の決定に異を唱えるのはおやめなさい。あなたもわたくしも、所詮ザイツェフェルト家の駒であることに変わりないのだから」
「っ、お姉様!」

思わず呼びかけて、慌てて口を手で塞いだ。そして、塞いだ口を思わず間抜けに開いた。
ベルローズが微かに笑った。
ほんとうに淡い、瞬きの間に消えてしまった笑み。けれどそれは、初めて見た愛想笑いではない笑みだった。

「――ヴィオレット。わたくしは大丈夫よ」
「お、ねえさ、」
「誰が相手であろうと、何も変わらないから」

そして、悟った。
姉は、この人生に何ら希望を抱いていないのだと。
けれど、どうすれば姉に希望を与えられるのか。
そもそも、どうして人生に絶望しているのか。
いくら考えても、姉の傍に寄り添ってみても、答えは得られなかった。


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