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記憶の海で君は笑う
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あの日、僕は交通事故に遭った。
学校からの帰り道、信号無視してきたトラックにはねられた。
幸い、命に別条はなかったものの、はねられた時の衝撃で頭を強く打ってしまい記憶喪失になってしまった。
医師の先生の話によると記憶喪失は一時的なものらしいけど、いつ記憶が戻るのかは分からないらしく、すぐ戻る時もあれば一生戻らないこともあると言われた。
あと、検査をしたところ記憶がないのは一部分だけらしく、自分に関する記憶だけはあるらしい。
要するに、自分以外の人達の記憶がないということ。
その話を聞いて僕はあまり実感が湧かなかった。
でも、母は肩を震わせて泣いていて、父はそんな母に寄り添っていた。
僕は何故かそんな二人を見ていたくなくて目を背けた。
僕の前では笑顔でいるのに、病室を出ると、毎回のように母の泣き声がする。
その瞬間から僕が二人を苦しめているのだと思った。
事故に遭い、病室で目が覚めた時も二人が傍にいたのに誰なのか分からなくてまるで他人事のように「誰ですか?」と二人を傷つける発言をしてしまった。
僕も両親が教えてくれることだけでなく、自分でも今までの記憶を取り戻そうとしている。
だけど、思い出そうとすると頭に靄がかかったように何も思い出せなかった。
しかも、あまり無理に思い出そうとすると、頭に負担がかかるのか頭痛がしてくる。
医師の先生にも前に相手から自分の話をしてもらったり、今までの出来事を伝えてもらうだけでも脳が刺激され、記憶が戻ることがあるのだと言われた。
だから、なるべく無理に思い出さずに周囲の人から情報を得たいが、生憎、記憶を失う前の自分の交友関係など分かるはずもなく。
両親に聞こうにも迷惑はかけたくない。
余程のことがない限り、過去の自分について問いただしたくない。
「うーん、どうしたものか」
とりあえず、病室から出て散歩でもしようと思ったところで病室のドアがガラガラと音を立てて開いた。
両親はもう帰ったはずだし、こんな時間に誰だろうと思い、ドアの方を見ると、そこには僕と同い年くらいの女の子が立っていた。
なんだろう、この既視感。
僕は、この子を何処かで見たような気がする。
「あの、君は?」
彼女は驚いたような顔をした。
「本当に記憶喪失なんだ····」
なんで、僕が記憶喪失なのをこの子が知っているのか。
「えっと、なんで僕が記憶喪失だってことを知ってるの?」
僕が疑問を投げかけた時、彼女はやっと最初の質問に答えてくれた。
「あ、ごめん、そっか、記憶がないなら私のこと覚えてるわけないもんね····」
彼女は少し悲しそうな顔をしていた。
この顔を見るのはもう何度目だろう。
もうあまりそんな顔を周りの人にしてほしくないのに。
「えっと、私の名前は如月紡、君とは同級生で幼なじみだったんだよ」
意外にもハッキリとしていて、よく響く声をしていた。
「幼なじみ········そっか、僕には幼なじみがいたんだね」
幼なじみがいたとは初耳だった。
両親には聞けなかったし、それにそんなこと教えてくれなかった。
「僕は君のことをなんて呼んでたの?」
「お互いに呼び捨てで呼んでたよ、昔からの付き合いだし」
呼び捨てで呼んでたなら今まで通り、呼んだ方がいいのだろう。
その方が何かしらの記憶を思い出すかもしれない。
「わかった、じゃあ、紡にさっそく聞きたいことがある」
紡は首をかしげながら「何?」と不思議そうに聞いてきた。
「紡は何でいきなりここに来たの?」
僕が入院してからしばらく経つのに何で今日いきなりここに来たのか疑問に思ったのだ。
紡は「えーと、それは········」と言いかけたところで気まずそうに下を向いてしまった。
なんて言おうか迷っているのか頭を上げたと思ったら、また下を向いてしまった。
「ごめん、別に紡を責めたわけじゃないんだ、ただ、少し疑問に思っただけで」
僕がそう言うと紡はやっと頭を上げて話し出した。
「いや、そうじゃないのは分かってるの......言い訳に聞こえるかもしれないんだけど私も色々あってちょっと顔を出せなくて·····ごめん」
紡は紡で色々大変だったようだ。
まぁ、幼なじみと言ってもいつも会わなきゃいけないわけじゃないし。
「でも、最近になって砂輝が事故に遭って記憶喪失になったってクラスの子から聞いて何か手伝えることがあるんじゃないかって思って」
もうクラスでも知っている生徒がいるのか。
まぁ、先生が事情を説明しているはずだから、全員が知っていてもおかしくはない。
「ありがとう、ちょうど僕も困っていたんだ」
紡は幼なじみだというくらいだから最低限の僕のことは色々知っているはずだ。
「さすがに、一人で思い出すのは大変だから記憶を取り戻す手伝いをしてほしい」
「うん、私で出来ることなら何でも手伝うよ」
そう言って、元気よく笑ってくれた。
記憶を失ってから紡の笑顔を初めて見た。
太陽みたいだと思った。
まるで、そこにいるだけで暖かくなる。
「じゃあ、まず、どんなことから知りたい?」
ベットの脇にあった椅子に腰を下ろしながら紡が僕に言った。
「そうだな····、じゃあ、一応確認のために僕のことを知っている限りで教えてほしい」
「わかった、君の名前は一ノ瀬 砂輝、私とは昔からの幼なじみ、博識で基本なんでも知ってる」
驚いた。
僕のことがスラスラと出てくる。
さすが、幼なじみということか。
思わず、固まってしまっていた。
「あとは、決まって一緒に過ごしていたクラスメイトはいないけど、穏やかで博識だったから交友関係は広かったよ、砂輝は気づいてなかったと思うけど皆から好かれてたし」
紡はクラスで過ごしていた僕のこともしっかり把握していた。
あと、皆から好かれてたのは気づいていなかったから知れて良かった。
「丁寧にありがとう、そっか……うん、大体覚えていたみたいだ」
自分のことは忘れていないようで安心した。
「····今度は紡のこと教えてよ、教えられる範囲でいいから」
紡はクスッと笑った。
「ふふ、教えられる範囲って····やっぱり砂輝は記憶喪失になっても昔と変わらないね」
「えっ?」
そんなに笑うことがあっただろうか。
誰しも、知られたくないことの一つや二つはあるだろうと思い、教えられる範囲でいいと言っただけなのに。
「気遣いができて優しいってこと、自分では本当に自覚がないんだね」
紡は何故か呆れている。
「まぁ、それは置いといて、話を戻すけど」
紡は一呼吸置いてから話し出した。
「さっきも言ったけど、私の名前は如月紡砂輝とは幼なじみ、あんまり、自分で言いたくないけど明るくて誰とでもフレンドリーに接することができるかなと思ってるつもり」
まぁ、それは分かるかもしれない。
紡は明るい性格だと思う。
僕もさっきからずっと喋っているけど、気兼ねなく普通に話すことができているから、とても話していて居心地がいい。
紡のその明るくて元気なところが、周りの人間を惹きつけるのだろう。
「····砂輝は記憶を失って初めて聞くかもしれないけど、私には家族いないから」
あまりに、あっけらかんと言うので反応が遅れた。
「····えっと」
いきなりのことに、どう反応したらいいのか分からず、言葉を出せないでいると紡が話し始めた。
「そんなに気にしなくていいよ、もう何年も前のことだし、今はおばあちゃんの家で暮らしているから」
平気そうな顔をして言うけど、何年経ったとしても心に残った悲しみは一生消えないだろう。
それが家族のことなら尚更だ。
人の死ほど人生を苦しめるものはないのだから。
僕も祖父母を亡くして分かったことだ。
当時はとても祖父母に懐いていたし、幼かったからとても辛かった。
今でも、まだ、あの悲しみを忘れたことはない。
家の仏壇に飾ってある祖父母の遺影を見ると、あの頃の祖父の優しい手の温もりと祖母の優しい声を思い出す。
泣きたくなるほどに。
「平気なはずはないと思うけど、でも、教えてくれてありがとう」
あまり触れたくないからそのへんの話は紡から言われるまで聞かないことにした。
少ししんみりとした空気を消すかのように紡の声が響く。
「あ、そうだ、私ね砂輝の話を聞くのが大好きだったの」
嬉しそうに話す紡に、僕は疑問に思った。
「僕の話って?」
「ほら、砂輝って博識でしょ?私の知らない知識を砂輝は知っているから時々、聞かせてもらってたの」
そう言って、はしゃぐ姿は年相応の女の子の姿だ。
「僕の話って学校で習うような内容ばかりだから聞いていても授業をしているようでつまんないと思うけど」
自分でも時々思う。
もう少し面白い話題をもっていたら、なんか違った交流のしかたが出来たのかもしれない。
昔から何でも覚えることが好きだったから興味のあることを片っ端から調べていたらこうなってしまった。
そんな僕の話を面白いと言ってくれるのは紡くらいだ。
「えー、私は好きなんだけどなぁ」
紡は不服そうに頬を膨らませていた。
「特に、星の話を聞くのが大好きだったなぁ」
「あぁ、なんだっけ?紡が一番好きな話····上手く思い出せないけど、なんかあった気がする」
「もしかして、少しずつ思い出せてる?」
「うん、なんか分かる、うっすらとだけど」
確か幼い頃に星空を見上げたことがあった気がする。
でも、なんの星を見たのかは思い出せない。
僕が頑張って思い出そうとしていると、紡が「無理に思い出すことないよ」と心配してくれた。
心配してくれているのは嬉しいけど、少しでも早く思い出して紡と昔の頃のように話してみたい。
····あれ?、なんでそんなことを思ったんだ。
昔の頃のように話してみたいだなんて焦る必要なんかないのに。
「ごめん、やっぱり思い出せないみたいだ」
「いいよ、別に、あのね、私が一番好きな話は夏の大三角の話だよ」
そう言われて、少しずつだけど思い出すことができた。
紡は昔から七夕の織姫と彦星の話が大好きだった。
織姫は機織りの名人で、牛飼いの彦星と恋に落ちた。
でも、結婚してからというもの二人は仕事を怠けるようになり、織姫の父である天帝に天の川の両岸に引き離されてしまう。
それからは、二人が真面目に働くことを条件に年に一度、七月七日の夜にだけ会うことを許されたという話だ。
僕にはこの話の何がいいのかが理解できないけど。
なぜ夏の大三角と七夕の話がつながるのかと言うと、夏の大三角は三つの一等星を結ぶとできる大きな三角形のこと。
その中の三つの一等星というのが、こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブで構成されている。
こと座のベガは七夕の織姫星、わし座のアルタイルは七夕の彦星として知られている。
ちなみに、はくちょう座のデネブは天の川の中に位置している星だ。
調べたところ夏の大三角の特徴は、天の川を挟んでベガとアルタイルが輝き、その両端をデネブが結ぶように見えるんだそうだ。
この話からベガとアルタイルは七夕の話に出てくる織姫と彦星として、天の川を挟んで対峙する物語と結びついているんだとか。
紡にこの話をしたら、えらく感動してしまい、それ以降、夏の大三角と七夕の話が好きになったらしい。
「また違う星の話も聞きたいな」
紡は嬉しそうに話す。
紡とは昔からたくさん、星の話をしてきたからなぁ。
そんなことを考えていると、窓の外が茜色に染まりつつあることに気づく。
「紡、はしゃいでいるところ悪いんだけど、話の続きはまた明日かな?」
「えっ?あ、本当だ、もうこんな時間」
紡もスマホを見て今の時刻を把握する。
紡が慌てて荷物をまとめて病室を出ていこうとする。
すると、ドアに手をかけたところでこちらを振り返った。
「砂輝、また明日ね」
紡はいつもと変わらない太陽みたいな笑顔を向けて帰っていった。
「相変わらず、元気だなぁ」
僕ももうすぐで夕食が運ばれてくる時間なのでそのまま大人しくベットで両親が持ってきてくれた本を読むことにした。
夕食を終えた後はしたいことがなかったので就寝時間より前に眠りについた。
その日、僕は夢を見た。
何故か、海の中にいて水中だったのに息が出来た。
すごく不思議なところだ。
しばらく、浮かんでいると白く光る何かが現れた。
それも一つではなく、複数現れたのだ。
その光は暖かく、何か触れなければならない予感がしたので、複数あるうちの自分に一番近い光に触れてみた。
その光に触れた瞬間、ある光景が見えた。
その光景には、まだ幼い僕と紡の姿があった。
何かを話しているようだったので、その会話に聞き耳を立てる。
「だからね、夏の大三角が七夕の織姫と彦星に繋がるんだよ」
「すごい、星って偉大なんだね、私達を織姫と彦星に例えると私が織姫なら砂輝は彦星だね」
「まぁ、男女で言えばそうなるけど····紡はどちらかというと彦星じゃない?」
「え~?私ってそんなに男に見える?」
紡が不貞腐れてしまう。
「ちがうよ、そうじゃなくて、アルタイルはわし座の中でも一番明るい星なんだ、それに比較的太陽に近い位置にある、だから、紡みたいだなと思って」
僕が慌てて弁解している。
「私みたいって?」
「紡はいつも明るくて周りの人達を笑顔にできるから、まるで、太陽みたいに周りを照らすことができて太陽に近い存在の人だなって感じたんだ」
「そ、そう?でも、砂輝にそう言われると嬉しいな」
紡が嬉しそうに頬を染めている。
「あ、ねぇ、今年も天の川一緒に見ようね」
「あぁ、もうそんな時期か、そうだな、今年も見られたらいいな」
「今年だけじゃないよ、来年も、再来年も、その次の年も一緒に見れたらいいなぁ」
「紡は本当に、七夕が好きだね」
「うん、一番好き」
嬉しそうに笑う紡の笑顔を最後に、その光景はフッと途切れた。
その瞬間、目が覚めた。
「な····なんだったんだ、今の夢····」
でも、あの光景は見覚えがあった。
幼い頃の僕と紡がいたってことは、あの光景は、僕が忘れてしまった一部の記憶なのかもしれない。
まだ、あまり思い出した実感がないけど。
でも、良かった。
少しでも忘れてしまった記憶を思い出すことができて。
僕は何気なくポケットを触った。
あの不思議な夢を見てから眠気がなくなったので、朝が来るのを待ちながら、本の続きを読むことにした。
最近は、紡とたわいもない話をして、夕方になると紡が帰っていく。
そんな毎日を繰り返し送る日々だった。
でも、紡にはまだ、夢のことは何一つ話していない。
毎晩見る夢が自分の忘れた記憶かもしれないだなんて、言えなかった。
あまり、紡を困らせるようなことを言いたくなかったのだ。
あの日から、変わらず不思議な夢を見る日ばっかり続いている。
家族と一緒にどこかへ出掛ける夢、昔よく一緒に遊んだ友達と肝試しする夢、紡と一緒に星について語る夢、色々な夢を見続けるようになってから、徐々に記憶を思い出しつつあった。
僕の朧気な記憶と今まで見た夢の内容がつながっていることが分かり、その夢は本当に僕の失った記憶の内容だと確信がもてるようになった。
(····あともう少しで、全てを思い出すことができそうだ····)
全てを思い出すことが出来たら、紡は喜んでくれるだろうか。
紡が毎日見舞いに来ないといけないのも、僕が記憶を思い出すことができていないからだ。
あともう少しで、紡に世話をかけることはなくなる。
学校にもいつも通り登校できるようになる。
(····そういえば、あともう少しで七夕の時期だな····)
入院して記憶をなくしていたので、すっかり忘れていた。
(····今年も紡と見るって約束したし、晴れるといいな····)
次の日。
紡がいつものように病室に顔を出した。
「砂輝、調子はどう?」
「うーん、いつも通り変わらないかな」
紡は毎日、僕の調子を聞いてくる。
体調を気遣ってのことだと思うけど、そんなに毎日聞かれても特に変わりはないし、いつも通りの返答をした。
「そっかー、まぁ、具合悪くないなら良かった」
「ありがと、心配してくれて」
しみじみ、いい幼なじみをもったなと思った。
「そんなの当たり前でしょ?」
また、太陽みたいな笑顔を向けてきたので眩しいと思った。
「あ、そうだ、もう少しで七夕の時期になるでしょ?」
「ああ、そうだね」
「それまでに、退院できそう?」
紡が心配そうに聞いてくる。
(····ああ、そっか、退院出来ないなら、病室で天の川を見ることになるのか····)
本当は、外で見た方が空が澄んで見えるので、できることなら外で見たいけど。
病院だと夜になると、外出できないことになっている。
僕の体調的には退院するのは、問題ないが、諸々の検査に時間がかかっているため、まだ退院できるとは聞かされていない。
一度、看護師さんに聞いてみたけど、退院予定日はまだはっきりしていないと言われてしまった。
「ごめん、まだ検査に時間がかかる見たいで····」
「そっか····」
紡の顔が見れなかった。
悲しんでいると思ったから。
紡はあまり屋内から天の川を見ることを好まないのだ。
外で見た方が何十倍にも綺麗に見えると。
今年は紡だけで見てもらうか。
僕は病室から出れないし。
「紡、もし嫌だったら俺抜きで見てきてもいいよ」
「··················」
「室内から見るの嫌だったでしょ?」
「····嫌だ、私は砂輝と見たい」
「えっ?」
まさか、紡がそんなことを言うなんて思わなくて、僕は呆気にとられていた。
「ただ、天の川を見たいんじゃなくて、砂輝と一緒に見るから楽しく感じるんだよ」
紡は、泣きそうな顔をしながら静かに怒っているようだった。
「だから、私は砂輝と見たい」
そんな紡の顔を今まで見たことなくて自分でも驚いてしまった。
「····はは、そんな····嬉しいこと言ってくれるなんて思わなかった····」
思わず、涙が出そうになるくらいその言葉は嬉しかった。
紡はいつも、相手に感情を伝えるのが上手だ。
上手というか、はっきりした性格もあって僕が言葉に出せないほど恥ずかしいことでも、平気で言うのだ。
そんな紡のことを僕は昔から好きだった。
それは、もちろん今でも。
だから、明日の七夕の日、紡にこの気持ちを伝えたいと思う。
記憶が戻りつつあることもその時に言えばいい。
「····紡、明日、話したいことがあるんだけどいいかな?」
大丈夫、もう覚悟はできている。
「明日?今じゃ駄目なの?」
紡が明日と聞いて不思議そうな顔をする。
「明日、言いたいんだ」
どうしても、明日が良かった。
どうせなら、天の川が見える場所で言いたい。
あの頃、二人で見上げたように。
「分かった、実は私も言いたいことがあるの、明日になったら話すね」
そう言う紡の顔はどこか寂しそうだった。
少し嫌な予感が頭をよぎったけど、気のせいだと思って慌てて振り払った。
「夕方になるから、そろそろ帰るね」
「あ、うん、ありがとう、来てくれて」
「全然いいよ、じゃあ、またね」
紡は颯爽と帰って行った。
その日の夜も夢を見た。
けれど、なんだかいつも見る夢と違う感じがした。
妙にリアルで、しかも、僕が高校生の頃の光景だった。
思えば、いつも複数個現れる不思議な光は毎夜、夢を見ていたせいで残り一つになっていた。
(もしかして、最近起きた出来事なのか?)
そう思いながら、その光景を見ていた。
どうやら、学校の帰り道の光景のようだ。
いつものように、僕は一人で帰っている。
でも、何故かまだ学校にいるはずの紡が、後を追いかけてくる。
(ああ、確かあの日は、たまたま紡が部活のない日で僕と一緒に帰ろうと言い出したのだ、そんなことは滅多にないからすごく珍しいと思った)
僕達は歩きながら、道を渡ろうとした時、赤信号を無視したトラックが僕の方向目掛けて突っ込んできた。
(そうか、それで僕ははねられて、頭を強く打って記憶喪失に····)
でも、次の瞬間驚きの光景を目にしたのだ。
紡が僕を庇ったのだ。
僕がトラックに巻き込まれないように背中を押していた。
僕はその拍子にバランスを崩して、そのまま地面に頭を強く打ってしまい、気を失った。
多分、記憶喪失になったのはその後だろう。
紡は、トラックに巻き込まれて……。
そこで夢は途切れ、目が覚めた。
僕の中の全ての記憶がつながった。
どうして、両親は僕に幼なじみがいることを教えてくれなかったのか、分かった気がする。
記憶喪失になっていたから、真実を告げては可哀想だと思ったのか、僕のせいだと責めながら生きていってほしくなかったのか。
まぁ、何かしらの理由が会ったのだろう。
それに、紡に最初に会った時、僕はなんでいきなりここに来たの?と聞いた。
あの時、紡は返答に困っていたようだったけど、言えなかったんだ。
本当のことを。
自分がもうこの世にいないなんて僕に言えるはずがない。
ましてや、記憶を取り戻す手伝いなんて自分からは言いづらかっただろう。
あの時は僕が先にお願いしてしまったけれど、自分が突き飛ばしたせいで、とでも考えていたに違いない。
色々考えていたら、自然と目から水が出ていることに気づいた。
それが、涙だと気づいたのは空が明るくなってからのことだった。
僕はあれから、数時間の間ずっと涙を流していたらしく、朝食を運んで来てくれた看護師さんにとても驚かれた。
僕は咄嗟に目にゴミが入ってしまっただけだと嘘をついた。
紡に会ったらどんな顔をすればいいのだろう。
そうして、考えているうちに、時間は過ぎていき、紡と会う約束をしている時間になった。
病室のドアが開き、紡が姿を現した。
「やっほー、調子はどう?」
そして、いつものように僕の体の調子を聞いてくる。
その言葉に僕は答えている余裕もなく、しばらく黙っていた。
「砂輝?どうしたの?具合悪いの?」
僕の様子がおかしいと気づいたのか、紡が心配する言葉をかけてくれる。
まだ、昼間だし、話をするには充分時間がある。
ポケットにある物を確認してから僕は紡に言う。
「····紡、少し話をしないか?」
「話ってなに?ここじゃ駄目なの?」
「ここだとゆっくり話が出来ないから久しぶりに外に出よう、屋上なら人はあまりいないはずだから屋上に行こうか」
そんな提案をした。
屋上なら立ち入りは禁止されていないから。
外出は出来なくても外で話すことができる。
多分、これが紡との最後の会話になるだろう。
僕は心の中で静かに涙を流した。
屋上に移動して、辺りを見回すとちょうど二人がけのベンチが目に入った。
「あそこに座ろうか」
僕は紡にベンチに座るように促した。
紡も静かに腰を下ろした。
「病院の屋上なんて初めて来たよ、風が気持ちいいね」
紡は楽しそうに辺りをを眺めている。
「····昨日、紡に話したいことがあるって話したよね?」
僕が唐突に話し出すので紡は辺りを眺めるのを止めて僕の方に顔を向ける。
「うん、でも、天の川を見る時って話じゃなかったっけ?」
「少し長くなりそうだったし、紡にはゆっくり聞いてもらいたかったから」
「実は、紡にまだ話してなかったんだけど、僕の記憶……戻ったんだ、本当は少し前から徐々に思い出していたんだけど、紡のことを驚かせたくて全ての記憶が戻るまで黙っていたんだ」
「··········っ、そうなんだ、良かった、記憶が戻って」
「それで、紡に聞きたいことができた」
「なに?」
駄目だ。
話している途中で涙が溢れてきそうだ。
まだ、抑えろ、まだ、泣く時じゃない。
「········あの事故の日、紡はどうして僕を庇ったの?」
その瞬間、紡の表情が悲しげな表情に変わった。
「··········」
「頼むから、本当のことを教えて……ほしい」
僕は泣きそうになるのを必死で堪える。
「その質問に答える前に聞いてもいい?」
「··········いいよ」
「どうして、全ての記憶を思い出すことができたの?私、あえて事故の日の話はしなかったのに……」
なんとなく、そう感じていた。
最初は僕に気を遣って、事故当時のことを話さないものだと思っていたけれど、多分、僕に紡のことを思い出させないためだ。
「紡が初めて僕に会いに来てくれた時から、毎夜、不思議な夢を見るようになったんだ」
「不思議な夢?」
「うん、その夢を見る度、僕の失った記憶だと気づいたんだ、もちろん、事故の記憶も夢で見て思い出したんだ」
「まさか、夢が砂輝に味方するなんてね、それはもうどうしようもなかったってことか」
どうやら、僕が記憶を取り戻すことは紡の誤算だったらしい。
「今度は僕の質問に答えてくれるよね?」
「理由は単純だよ、私は砂輝のことが好きだから助けたの」
「····自分の命を犠牲にしてまで?」
「うん、そうだよ、私はその時に死んだの、でも、後悔はしてない」
「どうして?僕だって紡のことが好きだった、だから君には生きていてほしかったのに……」
自分でも告白するには勇気がいると思っていたけれど、今はそんなことを考えている余裕もなくて、勢いで言ってしまった。
「ふふ、嬉しいな、砂輝がそんなに素直に気持ちを伝えてくれるとは思ってなかった」
「····本当はね、砂輝を失ったらと思うと怖かった」
「········え?」
紡が珍しく弱音を吐いた。
幼なじみの僕でさえも、紡が弱音を吐いているところは見たことがなかった。
「私、クラスではいつも人気者に見えたでしょ?」
「····実際にそうだったんじゃないの?」
「違うよ、皆、私がクラスで目立ってたから一緒にいただけだって」
「····そんなこと」
「事故が起きたあの日、私の話のつまらなさに痺れを切らした子がいきなりそんなことを言ったの、あまりにショックでその日、本当は部活があったんだけど無断で帰っちゃったんだよね」
だから、あの日、紡が後を追いかけてきたんだ。
紡にしては、珍しいと思った、いつもなら部活があるから帰りは違う時間なのに。
「そのこと以外にも、最初から一緒にいなければよかったとか色々悪口言われてさ、さすがの私でも傷ついたよ」
「それで、悲しくて泣きそうになってたら、砂輝の姿を見つけてさ、思わず話しかけちゃった」
そんなことがあったなんて知らなかった。
紡がいつも通りすぎて、そんなこと気にも留めなかった。
「砂輝はいつも私を否定する言葉をかけたことはなかった、それどころか優しい言葉をくれた」
紡は悲しそうに言った。
そんなふうに思われていたとは少し驚きだった。
自分にとっては当たり前のことを言っただけなのに。
「そんな····、ただ、思ったことをそのまま口にしていただけで····」
紬は、ふふっと笑いながら「そういうところなんだけどなぁ」と呆れたように言った。
「でも、だからかなぁ?皆に嫌がられてたことを気づけなかったのは····」
泣きそうな顔をした紡に何かかける言葉はないかと必死に探した。
紡を励ましてあげられる言葉を探しているうちに、だんだんと紡の身体が透けてきていることに気づいた。
その状態を見ていたら紡のことを傷付けたクラスメイトに無性に腹が立った。
「そんなの····紡のせいじゃないじゃないか、なんで····皆、紡をわざわざ傷付けるような言葉ばかり口に出すんだよ」
自分でも歯止めが効かなくなって、次々と思っていたことが口から溢れ出してしまう。
「今更、紡を突き放したって余計紡の傷が深くなるだけじゃないか!!だったら、初めから紡と関わんなよ!!そうしたら、紡にはもっと違う人生があったはずだ!!」
もっと、言おうとしたことがたくさんあったのに、目から出た涙が頬をつたって溢れてきたので思うように喋ることができなかった。
「な……んで、もっ……と言いたい……こと、たくさ……んある……のに……」
僕が目をこすって涙を止めようとしても今まで我慢してきた分の涙が出てきて中々止まらない。
僕が無理やり涙を止めようとしていると、紡のぬくもりが僕の体を包み込んだ。
僕は少しして抱きしめられていることに気づく。
「····ありがとうね、私のために怒ってくれて」
「そ····んなの、当たり前····だろ?」
「····砂輝は本当に優しいね、そんな砂輝がいない世界なんて私には無理なの····」
瞬間、紡の手に少し力が入った。
「ごめんね、砂輝、一緒に生きていくことが出来なくて····私にはもうあまり、時間がない」
紡の身体を見ると、さっきより透明になっていた。
もう少しで消えてしまうことは確かなようだった。
(········どうか、もし本当に七夕の日に願い事が叶うなら、紡ともう少しだけ話す時間を下さい········)
僕は空に向かってそう願った。
七夕の日に願い事をするには短冊に願い事を書いて笹に吊るさなければいけないけれど、そんなことを考えている時間はなかった。
ただ、紡と話す時間が欲しかったのだ。
まだ、伝えられていないことがあるから。
僕が空に願った瞬間、急に周りが眩しくなり、僕は目をつぶった。
目を開けるとそこは僕が夢でよく見た水の中だった。
「なんで····こんなところに?」
僕は疑問に思っていると、あの不思議な光が現れて文字を映し出した。
“ この空間は君のもの。君が作り出した君だけの空間。君がこの空間を呼んでいたから君と同時に彼女も一緒に招き入れた”
(····えっ?ここが僕の空間?)
“ そう、ちなみにこの声は君にしか聞こえていないから私達と話す時は気をつけてね”
(····そうなんだ、教えてくれてありがとう、早速聞きたいことがあるんだけど)
“ どういたしまして、何?”
(····僕、今までこの空間に入るには眠るしか方法がなかったんだけど、どうして今、入ることが出来ているの?)
“ さっき言ったことそのまんまだよ、君がこの空間を呼んだんだ”
(····僕はただ、紡が消えてしまう前に少し話す時間が欲しくて····)
“ それだよ”
(·····え?)
“ 君の心残りは彼女なんだよ”
(····僕の心残りが紡?)
“ そして、彼女の心残りも君だ”
(····どういうこと?)
“ この空間はね、未練を残したまま死んでいった者と伝えたいことが伝えられないまま大切な人との最後の別れを迎えた者にだけ与えられる空間なんだ”
(····それじゃあ、僕にこの空間が与えられたのは伝えたいことが伝えられないまま大切な人との最後の別れを迎えたからってこと?)
“ そうだよ、そして、彼女も君に何かしらの未練を残したまま死んでいったんだ”
(····でも、じゃあ、なんで今までは夢の中だけでしか入れなかったの?)
“ 君が記憶を取り戻さないと彼女は君への未練を残したまま成仏できず、一生この世を彷徨うことになるところだったんだ”
(····じゃあ、紡を成仏させるための手伝いってこと?)
“ まあ、そういうこと”
(····でも、君達はどうしてそこまでして僕達を助けてくれるの?君達が手伝っても僕達にしかメリットはないと思うけど····)
“ 同じなんだよ私達も”
(····同じってどういうこと?)
“ 私達も大切な人に伝えたいことが伝えられないまま未練を残して亡くなった元人間なの”
(····元人間って····)
“ 私達は上手く成仏できなくてこの空間を作ったの、もう二度と私達と同じ思いをさせないようにって、今は魂だけになっているけれど”
(····君達はすごいね、その行動で多くの人々が救われたんだろうな)
“ ····救うことの出来なかった人間もいたよ····”
(····?、この空間に呼ぶことができなかったってこと?)
“ ····この空間を作った理由はさっきも話したよね?死んだ人間を上手く成仏させてあげるためにって”
(うん、そうだね)
“ 生きたまま未練を残している人間にはこの先も前を向いて生きていけるようにって願いからこの空間を作ったんだ”
(それは、すごくいい事だと思う)
“ ····ありがとう、でも、中には前を向くことが出来ず、いつまでも亡くなった人のことを引きずって生きること自体をやめた人もいたんだ”
(····生きること自体をやめたってことは····)
“ 君が思っている通りのことだよ、だから多くの人間を救えたわけではない”
(····ごめん、無責任なことを言って····)
“ 別にいいんだ、気にしていない、でも、君にはどうか生きてほしい”
(····どうして?)
“ 君は今までの人間と違って命を助けてもらった人間だ、だからその人の分まで生きてほしいんだ”
(····その人の分まで····)
“ まあ、こうは言っても最終的な判断は君に任せるよ、君がどっちの道を選んだとしても私達は今まで通りこの空間を呼んでいる人のところに行くだけだから”
(····分かった、色々とありがとう)
“ 君も私達の話を聞いてくれてありがとう、これまでの大勢の魂がまだここに残っているから話を聞いてくれて皆、喜んでいる”
(····それは良かった、話を聞くことは得意……ではないけれど好きなんだ)
“ それじゃあ最後に、後悔しないようにね、この空間は二人の未練が完全に無くなった時に消えるようになっているから”
そう言って、あの不思議な光は僕の前から消えていった。
さぁ、僕も後悔しないように紡としっかり話そう。
「ここはどこなの?」
いきなりこの空間に飛ばされて紡はすごく戸惑っていた。
「ここは、僕達のための空間らしい」
「私達の?」
「うん、二人の未練が完全に無くなるとこの空間は消える仕組みになっているんだって」
「つまり、私の魂を留めておく空間でもあるってことね」
「そういうこと、僕は紡にまだちゃんと伝えられていないことがあるからこの空間を呼んだ」
「私もまだ、砂輝に伝えられていないことがあるからちょうど良かった」
紡は心做しか少し嬉しそうだった。
「まず、僕から話してもいい?」
「さっき、私が少し話したしね、いいよ」
僕は深呼吸してから話す準備をする。
この空間は水中だけど、浮いているだけで息はできるし、かなり居心地がいい。
「じゃあ、まず、僕のせいで死なせてしまってごめん、それと紡が苦しんでいることに気づいてあげられなくてごめん、この二つだけは謝らせてほしい」
「何、言ってるの?砂輝が謝ることないよって言いたいところだけど伝えたいことを全て話すまでは口を挟まないようにする、言ってたらキリないし」
「ありがとう」
紡はこんな時でも気遣いができるのかと少し感心してしまった。
「あと、僕が記憶喪失になった時に色々助けてくれてありがとう、そのおかげで無事に記憶を取り戻せたし、あの時間も楽しかったから感謝してる」
言っているうちにまた涙が出てきたけどもう言葉は止めない。
「もっと……早く言っておけば良かったと思っているけれど……僕は紡のことが出会った時からずっと好きだった」
紡は微笑みながら涙を流していた。
「紡のしてくれる話はいつも……面白くて元気をもらってた、僕はこういう性格だから中々友達が出来なくて……本音を言えば寂しかった」
「でも……紡が話しかけてくれてからは、毎日が……楽しくて幸せだった、本当にありがとう……」
「これで、僕の言いたいことは全てだよ」
「……そんな、嬉しいこと……言われたから涙が出たじゃん……」
僕はもう紡が自分の話をするまでは話さないと決めている。
どんな事を言われても胸に秘めたまま、我慢すると。
「じゃあ……次は私からね、さっきの話にはもう何も言わないから、あの話は砂輝の伝えたいことだから私はその話をしっかり受け止めたから……」
「……さっきの話の続きをするね、この空間に入る前に砂輝が私に聞いたことについて……」
「あの事故の時、砂輝を庇ったのは……さっきも言ったけど、砂輝のことが好きだから……」
「あの時、砂輝を助けなかったらきっと私は自分を責めながら生きていくことになるんだと思ったの……」
「だって、私の生きがいは砂輝だったから……砂輝が居なくなったらきっと耐えられなくなると思って……砂輝を庇うために突き飛ばしたの……」
「……自分が死ぬことよりも砂輝が居なくなる方が耐えられなかった……」
「あとは単純に仕返し、私に悪口を言ったクラスの奴、私がその後に居なくなったらどんな顔するかなって……ちょっとしたイタズラ心だった……」
「ねぇ、今だけ聞いてもいい?話の途中だけど……」
「何?」
「私と仲良かったクラスの奴、どんな顔してた?」
「····なんであんなことを言ったんだろうって自分を責めてたよ、僕にはあの時なんの事か分からなかったけれど……」
「……やった、仕返しできた……」
「····私もね、砂輝には感謝してるの········」
「どんな時でも私から離れずにそばにいて寄り添ってくれていたから、ありがとね」
「砂輝はそんなことないって言うかもだけど、砂輝は一度だって私を拒絶したことなかったでしょ?」
「····私、それが本当に嬉しくて思わず惚れちゃった····口で言うの恥ずかしいね」
「良かった、両想いって分かって……自分が死んだ後に私からの一方的な片想いだったら、かなりへこんだかも」
「あとは……私に星を教えてくれてありがとう、砂輝が話す星の話は本当に面白くてさ、ずっと聞いていたいくらいだった」
「私、その話を聞いてからは……何か辛いことがある度に星空を見上げて元気をもらってた、砂輝のおかげだよ」
「····ここまでが私の伝えたかったこと、これからやることは最初で最後のお願いということで」
「何をするの?」
「砂輝、今からやること……何も言わずにただ受け止めてね」
「だから、どういう……」
僕が言いかけた時、紡は僕のことを抱きしめていた。
僕もそれに答えるように紡の背中に手を回した。
「····今から言うことは、独り言だから····」
僕は何も言わずにただ頷いた。
何も言わずに受け止めろと言われていたから。
「今までありがとう、楽しかったよ、元気でね、私はいつでも空から見守っているよ」
僕の涙腺がその時崩壊した。
紡との本当の別れを悟ったからだ。
もういくら止めようとしても僕の涙は止まらない。
この空間はもう少しで消えてしまう。
だから、その前に。
「····紡、最後に君に渡したいものがあるんだ」
「何?」
僕が前からずっと紡に渡したいと思っていたもの。
「····!これってもしかしてミサンガ?」
「そう、もう一度願い事をしながら足首に結んでみて」
「····ありがとう、なんか私を現したような色合いだね」
紡に作ったのは、黄色と橙色の暖色を基調としたミサンガだ。
そのミサンガを渡した直後、この空間が消え始める。
「またどこかで必ず会おう····」
「うん、約束する」
そう言って紡は最後に笑っていた。
二人で指切りをした瞬間、その空間は紡とともに消えていった。
その後、僕は無事に退院することができた。
両親もすごく喜んでくれていた。
紡のことを聞いたら、教えなくてごめんと謝っていた。
僕に辛い思いをさせたくなかったと言っていた。
別に謝ってほしかったわけではないけれど。
あの出来事があってから僕は星の勉強をたくさんした。
もっと多くの人に星の良さを知ってもらいたいと思い、知識をつけた。
そうして、今ではプラネタリウムの解説員をやっている。
この仕事にはやりがいを感じていたし、何より紡の好きな星に関する仕事だったからこの仕事をやっていれば紡が喜んでくれるような気がした。
だから、この仕事が好きだ。
そういえば今日、新人の子が来ると言っていた。
聞いていた時間だともうすぐだ。
そう思った時、ドアのノックの音がした。
「どうぞ」
ドアから入ってきたその人は僕の前に立った。
僕はその人の身につけている物に真っ先に目がいった。
「はじめまして、今日からお世話になります。木更津 結羽です。よろしくお願いします」
「木更津さんですね、僕は一ノ瀬砂輝です。今日からよろしくお願いします、ところでその手に身につけているものは?」
「あ、アクセサリーは駄目でしたか?」
「い、いえ、すみません、そういう訳ではなくてただ個人的に気になったもので……」
何故、木更津さんが本来持っていないはずの“ 僕が紡に渡したミサンガ”を持っているのか。
「····これはですね、少し不思議なミサンガなんです····」
「不思議というと?」
「私が産まれてすぐに急に私の腕に付いていたらしいんです、でも、両親や祖父母は私にあげた記憶はないと言っていて····」
紡の魂が転生したのだろうか?
紡と別れる前にまた会うと約束したから。
転生という意味でまた会おうと約束してくれたのだろうか?
その証拠にミサンガが彼女の腕に現れているし。
でも、彼女の場合は魂の持ち主の記憶が無いみたいだ。
もしかして、紡の記憶以外のものを受け継いだのか?
だとしたら試してみる価値はある。
「そうだったんだ、大切にしているんだね、そのミサンガ」
彼女は嬉しそうな顔をしながら「はい、何故か大切にしなくちゃと思いまして····この色合いも好きなんです」そう言って笑った。
その笑顔は十数年ぶりに見た、紡のあの太陽のような笑顔にそっくりだった。
「········!」
僕は一瞬固まってしまった。
懐かしいと思ったから、この笑顔をもう一度見たいと思っていたから。
「木更津さんは、どうしてプラネタリウムの解説員になろうと思ったの?」
この答え次第で彼女の魂が誰のものであるのかが分かる。
「····私、星が好きなんです、その中でも特に好きな星が夏の大三角なんです」
「!····そうなんだね、僕も夏の大三角が一番好きなんだ」
「あ、じゃあ、一緒ですね」
コロコロと変わる彼女の表情を見ていると、まるで昔に戻ったような感じがした。
また、当分は彼女から離れられなくなるのだろう。
紡の面影が彼女にある限りは。
学校からの帰り道、信号無視してきたトラックにはねられた。
幸い、命に別条はなかったものの、はねられた時の衝撃で頭を強く打ってしまい記憶喪失になってしまった。
医師の先生の話によると記憶喪失は一時的なものらしいけど、いつ記憶が戻るのかは分からないらしく、すぐ戻る時もあれば一生戻らないこともあると言われた。
あと、検査をしたところ記憶がないのは一部分だけらしく、自分に関する記憶だけはあるらしい。
要するに、自分以外の人達の記憶がないということ。
その話を聞いて僕はあまり実感が湧かなかった。
でも、母は肩を震わせて泣いていて、父はそんな母に寄り添っていた。
僕は何故かそんな二人を見ていたくなくて目を背けた。
僕の前では笑顔でいるのに、病室を出ると、毎回のように母の泣き声がする。
その瞬間から僕が二人を苦しめているのだと思った。
事故に遭い、病室で目が覚めた時も二人が傍にいたのに誰なのか分からなくてまるで他人事のように「誰ですか?」と二人を傷つける発言をしてしまった。
僕も両親が教えてくれることだけでなく、自分でも今までの記憶を取り戻そうとしている。
だけど、思い出そうとすると頭に靄がかかったように何も思い出せなかった。
しかも、あまり無理に思い出そうとすると、頭に負担がかかるのか頭痛がしてくる。
医師の先生にも前に相手から自分の話をしてもらったり、今までの出来事を伝えてもらうだけでも脳が刺激され、記憶が戻ることがあるのだと言われた。
だから、なるべく無理に思い出さずに周囲の人から情報を得たいが、生憎、記憶を失う前の自分の交友関係など分かるはずもなく。
両親に聞こうにも迷惑はかけたくない。
余程のことがない限り、過去の自分について問いただしたくない。
「うーん、どうしたものか」
とりあえず、病室から出て散歩でもしようと思ったところで病室のドアがガラガラと音を立てて開いた。
両親はもう帰ったはずだし、こんな時間に誰だろうと思い、ドアの方を見ると、そこには僕と同い年くらいの女の子が立っていた。
なんだろう、この既視感。
僕は、この子を何処かで見たような気がする。
「あの、君は?」
彼女は驚いたような顔をした。
「本当に記憶喪失なんだ····」
なんで、僕が記憶喪失なのをこの子が知っているのか。
「えっと、なんで僕が記憶喪失だってことを知ってるの?」
僕が疑問を投げかけた時、彼女はやっと最初の質問に答えてくれた。
「あ、ごめん、そっか、記憶がないなら私のこと覚えてるわけないもんね····」
彼女は少し悲しそうな顔をしていた。
この顔を見るのはもう何度目だろう。
もうあまりそんな顔を周りの人にしてほしくないのに。
「えっと、私の名前は如月紡、君とは同級生で幼なじみだったんだよ」
意外にもハッキリとしていて、よく響く声をしていた。
「幼なじみ········そっか、僕には幼なじみがいたんだね」
幼なじみがいたとは初耳だった。
両親には聞けなかったし、それにそんなこと教えてくれなかった。
「僕は君のことをなんて呼んでたの?」
「お互いに呼び捨てで呼んでたよ、昔からの付き合いだし」
呼び捨てで呼んでたなら今まで通り、呼んだ方がいいのだろう。
その方が何かしらの記憶を思い出すかもしれない。
「わかった、じゃあ、紡にさっそく聞きたいことがある」
紡は首をかしげながら「何?」と不思議そうに聞いてきた。
「紡は何でいきなりここに来たの?」
僕が入院してからしばらく経つのに何で今日いきなりここに来たのか疑問に思ったのだ。
紡は「えーと、それは········」と言いかけたところで気まずそうに下を向いてしまった。
なんて言おうか迷っているのか頭を上げたと思ったら、また下を向いてしまった。
「ごめん、別に紡を責めたわけじゃないんだ、ただ、少し疑問に思っただけで」
僕がそう言うと紡はやっと頭を上げて話し出した。
「いや、そうじゃないのは分かってるの......言い訳に聞こえるかもしれないんだけど私も色々あってちょっと顔を出せなくて·····ごめん」
紡は紡で色々大変だったようだ。
まぁ、幼なじみと言ってもいつも会わなきゃいけないわけじゃないし。
「でも、最近になって砂輝が事故に遭って記憶喪失になったってクラスの子から聞いて何か手伝えることがあるんじゃないかって思って」
もうクラスでも知っている生徒がいるのか。
まぁ、先生が事情を説明しているはずだから、全員が知っていてもおかしくはない。
「ありがとう、ちょうど僕も困っていたんだ」
紡は幼なじみだというくらいだから最低限の僕のことは色々知っているはずだ。
「さすがに、一人で思い出すのは大変だから記憶を取り戻す手伝いをしてほしい」
「うん、私で出来ることなら何でも手伝うよ」
そう言って、元気よく笑ってくれた。
記憶を失ってから紡の笑顔を初めて見た。
太陽みたいだと思った。
まるで、そこにいるだけで暖かくなる。
「じゃあ、まず、どんなことから知りたい?」
ベットの脇にあった椅子に腰を下ろしながら紡が僕に言った。
「そうだな····、じゃあ、一応確認のために僕のことを知っている限りで教えてほしい」
「わかった、君の名前は一ノ瀬 砂輝、私とは昔からの幼なじみ、博識で基本なんでも知ってる」
驚いた。
僕のことがスラスラと出てくる。
さすが、幼なじみということか。
思わず、固まってしまっていた。
「あとは、決まって一緒に過ごしていたクラスメイトはいないけど、穏やかで博識だったから交友関係は広かったよ、砂輝は気づいてなかったと思うけど皆から好かれてたし」
紡はクラスで過ごしていた僕のこともしっかり把握していた。
あと、皆から好かれてたのは気づいていなかったから知れて良かった。
「丁寧にありがとう、そっか……うん、大体覚えていたみたいだ」
自分のことは忘れていないようで安心した。
「····今度は紡のこと教えてよ、教えられる範囲でいいから」
紡はクスッと笑った。
「ふふ、教えられる範囲って····やっぱり砂輝は記憶喪失になっても昔と変わらないね」
「えっ?」
そんなに笑うことがあっただろうか。
誰しも、知られたくないことの一つや二つはあるだろうと思い、教えられる範囲でいいと言っただけなのに。
「気遣いができて優しいってこと、自分では本当に自覚がないんだね」
紡は何故か呆れている。
「まぁ、それは置いといて、話を戻すけど」
紡は一呼吸置いてから話し出した。
「さっきも言ったけど、私の名前は如月紡砂輝とは幼なじみ、あんまり、自分で言いたくないけど明るくて誰とでもフレンドリーに接することができるかなと思ってるつもり」
まぁ、それは分かるかもしれない。
紡は明るい性格だと思う。
僕もさっきからずっと喋っているけど、気兼ねなく普通に話すことができているから、とても話していて居心地がいい。
紡のその明るくて元気なところが、周りの人間を惹きつけるのだろう。
「····砂輝は記憶を失って初めて聞くかもしれないけど、私には家族いないから」
あまりに、あっけらかんと言うので反応が遅れた。
「····えっと」
いきなりのことに、どう反応したらいいのか分からず、言葉を出せないでいると紡が話し始めた。
「そんなに気にしなくていいよ、もう何年も前のことだし、今はおばあちゃんの家で暮らしているから」
平気そうな顔をして言うけど、何年経ったとしても心に残った悲しみは一生消えないだろう。
それが家族のことなら尚更だ。
人の死ほど人生を苦しめるものはないのだから。
僕も祖父母を亡くして分かったことだ。
当時はとても祖父母に懐いていたし、幼かったからとても辛かった。
今でも、まだ、あの悲しみを忘れたことはない。
家の仏壇に飾ってある祖父母の遺影を見ると、あの頃の祖父の優しい手の温もりと祖母の優しい声を思い出す。
泣きたくなるほどに。
「平気なはずはないと思うけど、でも、教えてくれてありがとう」
あまり触れたくないからそのへんの話は紡から言われるまで聞かないことにした。
少ししんみりとした空気を消すかのように紡の声が響く。
「あ、そうだ、私ね砂輝の話を聞くのが大好きだったの」
嬉しそうに話す紡に、僕は疑問に思った。
「僕の話って?」
「ほら、砂輝って博識でしょ?私の知らない知識を砂輝は知っているから時々、聞かせてもらってたの」
そう言って、はしゃぐ姿は年相応の女の子の姿だ。
「僕の話って学校で習うような内容ばかりだから聞いていても授業をしているようでつまんないと思うけど」
自分でも時々思う。
もう少し面白い話題をもっていたら、なんか違った交流のしかたが出来たのかもしれない。
昔から何でも覚えることが好きだったから興味のあることを片っ端から調べていたらこうなってしまった。
そんな僕の話を面白いと言ってくれるのは紡くらいだ。
「えー、私は好きなんだけどなぁ」
紡は不服そうに頬を膨らませていた。
「特に、星の話を聞くのが大好きだったなぁ」
「あぁ、なんだっけ?紡が一番好きな話····上手く思い出せないけど、なんかあった気がする」
「もしかして、少しずつ思い出せてる?」
「うん、なんか分かる、うっすらとだけど」
確か幼い頃に星空を見上げたことがあった気がする。
でも、なんの星を見たのかは思い出せない。
僕が頑張って思い出そうとしていると、紡が「無理に思い出すことないよ」と心配してくれた。
心配してくれているのは嬉しいけど、少しでも早く思い出して紡と昔の頃のように話してみたい。
····あれ?、なんでそんなことを思ったんだ。
昔の頃のように話してみたいだなんて焦る必要なんかないのに。
「ごめん、やっぱり思い出せないみたいだ」
「いいよ、別に、あのね、私が一番好きな話は夏の大三角の話だよ」
そう言われて、少しずつだけど思い出すことができた。
紡は昔から七夕の織姫と彦星の話が大好きだった。
織姫は機織りの名人で、牛飼いの彦星と恋に落ちた。
でも、結婚してからというもの二人は仕事を怠けるようになり、織姫の父である天帝に天の川の両岸に引き離されてしまう。
それからは、二人が真面目に働くことを条件に年に一度、七月七日の夜にだけ会うことを許されたという話だ。
僕にはこの話の何がいいのかが理解できないけど。
なぜ夏の大三角と七夕の話がつながるのかと言うと、夏の大三角は三つの一等星を結ぶとできる大きな三角形のこと。
その中の三つの一等星というのが、こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブで構成されている。
こと座のベガは七夕の織姫星、わし座のアルタイルは七夕の彦星として知られている。
ちなみに、はくちょう座のデネブは天の川の中に位置している星だ。
調べたところ夏の大三角の特徴は、天の川を挟んでベガとアルタイルが輝き、その両端をデネブが結ぶように見えるんだそうだ。
この話からベガとアルタイルは七夕の話に出てくる織姫と彦星として、天の川を挟んで対峙する物語と結びついているんだとか。
紡にこの話をしたら、えらく感動してしまい、それ以降、夏の大三角と七夕の話が好きになったらしい。
「また違う星の話も聞きたいな」
紡は嬉しそうに話す。
紡とは昔からたくさん、星の話をしてきたからなぁ。
そんなことを考えていると、窓の外が茜色に染まりつつあることに気づく。
「紡、はしゃいでいるところ悪いんだけど、話の続きはまた明日かな?」
「えっ?あ、本当だ、もうこんな時間」
紡もスマホを見て今の時刻を把握する。
紡が慌てて荷物をまとめて病室を出ていこうとする。
すると、ドアに手をかけたところでこちらを振り返った。
「砂輝、また明日ね」
紡はいつもと変わらない太陽みたいな笑顔を向けて帰っていった。
「相変わらず、元気だなぁ」
僕ももうすぐで夕食が運ばれてくる時間なのでそのまま大人しくベットで両親が持ってきてくれた本を読むことにした。
夕食を終えた後はしたいことがなかったので就寝時間より前に眠りについた。
その日、僕は夢を見た。
何故か、海の中にいて水中だったのに息が出来た。
すごく不思議なところだ。
しばらく、浮かんでいると白く光る何かが現れた。
それも一つではなく、複数現れたのだ。
その光は暖かく、何か触れなければならない予感がしたので、複数あるうちの自分に一番近い光に触れてみた。
その光に触れた瞬間、ある光景が見えた。
その光景には、まだ幼い僕と紡の姿があった。
何かを話しているようだったので、その会話に聞き耳を立てる。
「だからね、夏の大三角が七夕の織姫と彦星に繋がるんだよ」
「すごい、星って偉大なんだね、私達を織姫と彦星に例えると私が織姫なら砂輝は彦星だね」
「まぁ、男女で言えばそうなるけど····紡はどちらかというと彦星じゃない?」
「え~?私ってそんなに男に見える?」
紡が不貞腐れてしまう。
「ちがうよ、そうじゃなくて、アルタイルはわし座の中でも一番明るい星なんだ、それに比較的太陽に近い位置にある、だから、紡みたいだなと思って」
僕が慌てて弁解している。
「私みたいって?」
「紡はいつも明るくて周りの人達を笑顔にできるから、まるで、太陽みたいに周りを照らすことができて太陽に近い存在の人だなって感じたんだ」
「そ、そう?でも、砂輝にそう言われると嬉しいな」
紡が嬉しそうに頬を染めている。
「あ、ねぇ、今年も天の川一緒に見ようね」
「あぁ、もうそんな時期か、そうだな、今年も見られたらいいな」
「今年だけじゃないよ、来年も、再来年も、その次の年も一緒に見れたらいいなぁ」
「紡は本当に、七夕が好きだね」
「うん、一番好き」
嬉しそうに笑う紡の笑顔を最後に、その光景はフッと途切れた。
その瞬間、目が覚めた。
「な····なんだったんだ、今の夢····」
でも、あの光景は見覚えがあった。
幼い頃の僕と紡がいたってことは、あの光景は、僕が忘れてしまった一部の記憶なのかもしれない。
まだ、あまり思い出した実感がないけど。
でも、良かった。
少しでも忘れてしまった記憶を思い出すことができて。
僕は何気なくポケットを触った。
あの不思議な夢を見てから眠気がなくなったので、朝が来るのを待ちながら、本の続きを読むことにした。
最近は、紡とたわいもない話をして、夕方になると紡が帰っていく。
そんな毎日を繰り返し送る日々だった。
でも、紡にはまだ、夢のことは何一つ話していない。
毎晩見る夢が自分の忘れた記憶かもしれないだなんて、言えなかった。
あまり、紡を困らせるようなことを言いたくなかったのだ。
あの日から、変わらず不思議な夢を見る日ばっかり続いている。
家族と一緒にどこかへ出掛ける夢、昔よく一緒に遊んだ友達と肝試しする夢、紡と一緒に星について語る夢、色々な夢を見続けるようになってから、徐々に記憶を思い出しつつあった。
僕の朧気な記憶と今まで見た夢の内容がつながっていることが分かり、その夢は本当に僕の失った記憶の内容だと確信がもてるようになった。
(····あともう少しで、全てを思い出すことができそうだ····)
全てを思い出すことが出来たら、紡は喜んでくれるだろうか。
紡が毎日見舞いに来ないといけないのも、僕が記憶を思い出すことができていないからだ。
あともう少しで、紡に世話をかけることはなくなる。
学校にもいつも通り登校できるようになる。
(····そういえば、あともう少しで七夕の時期だな····)
入院して記憶をなくしていたので、すっかり忘れていた。
(····今年も紡と見るって約束したし、晴れるといいな····)
次の日。
紡がいつものように病室に顔を出した。
「砂輝、調子はどう?」
「うーん、いつも通り変わらないかな」
紡は毎日、僕の調子を聞いてくる。
体調を気遣ってのことだと思うけど、そんなに毎日聞かれても特に変わりはないし、いつも通りの返答をした。
「そっかー、まぁ、具合悪くないなら良かった」
「ありがと、心配してくれて」
しみじみ、いい幼なじみをもったなと思った。
「そんなの当たり前でしょ?」
また、太陽みたいな笑顔を向けてきたので眩しいと思った。
「あ、そうだ、もう少しで七夕の時期になるでしょ?」
「ああ、そうだね」
「それまでに、退院できそう?」
紡が心配そうに聞いてくる。
(····ああ、そっか、退院出来ないなら、病室で天の川を見ることになるのか····)
本当は、外で見た方が空が澄んで見えるので、できることなら外で見たいけど。
病院だと夜になると、外出できないことになっている。
僕の体調的には退院するのは、問題ないが、諸々の検査に時間がかかっているため、まだ退院できるとは聞かされていない。
一度、看護師さんに聞いてみたけど、退院予定日はまだはっきりしていないと言われてしまった。
「ごめん、まだ検査に時間がかかる見たいで····」
「そっか····」
紡の顔が見れなかった。
悲しんでいると思ったから。
紡はあまり屋内から天の川を見ることを好まないのだ。
外で見た方が何十倍にも綺麗に見えると。
今年は紡だけで見てもらうか。
僕は病室から出れないし。
「紡、もし嫌だったら俺抜きで見てきてもいいよ」
「··················」
「室内から見るの嫌だったでしょ?」
「····嫌だ、私は砂輝と見たい」
「えっ?」
まさか、紡がそんなことを言うなんて思わなくて、僕は呆気にとられていた。
「ただ、天の川を見たいんじゃなくて、砂輝と一緒に見るから楽しく感じるんだよ」
紡は、泣きそうな顔をしながら静かに怒っているようだった。
「だから、私は砂輝と見たい」
そんな紡の顔を今まで見たことなくて自分でも驚いてしまった。
「····はは、そんな····嬉しいこと言ってくれるなんて思わなかった····」
思わず、涙が出そうになるくらいその言葉は嬉しかった。
紡はいつも、相手に感情を伝えるのが上手だ。
上手というか、はっきりした性格もあって僕が言葉に出せないほど恥ずかしいことでも、平気で言うのだ。
そんな紡のことを僕は昔から好きだった。
それは、もちろん今でも。
だから、明日の七夕の日、紡にこの気持ちを伝えたいと思う。
記憶が戻りつつあることもその時に言えばいい。
「····紡、明日、話したいことがあるんだけどいいかな?」
大丈夫、もう覚悟はできている。
「明日?今じゃ駄目なの?」
紡が明日と聞いて不思議そうな顔をする。
「明日、言いたいんだ」
どうしても、明日が良かった。
どうせなら、天の川が見える場所で言いたい。
あの頃、二人で見上げたように。
「分かった、実は私も言いたいことがあるの、明日になったら話すね」
そう言う紡の顔はどこか寂しそうだった。
少し嫌な予感が頭をよぎったけど、気のせいだと思って慌てて振り払った。
「夕方になるから、そろそろ帰るね」
「あ、うん、ありがとう、来てくれて」
「全然いいよ、じゃあ、またね」
紡は颯爽と帰って行った。
その日の夜も夢を見た。
けれど、なんだかいつも見る夢と違う感じがした。
妙にリアルで、しかも、僕が高校生の頃の光景だった。
思えば、いつも複数個現れる不思議な光は毎夜、夢を見ていたせいで残り一つになっていた。
(もしかして、最近起きた出来事なのか?)
そう思いながら、その光景を見ていた。
どうやら、学校の帰り道の光景のようだ。
いつものように、僕は一人で帰っている。
でも、何故かまだ学校にいるはずの紡が、後を追いかけてくる。
(ああ、確かあの日は、たまたま紡が部活のない日で僕と一緒に帰ろうと言い出したのだ、そんなことは滅多にないからすごく珍しいと思った)
僕達は歩きながら、道を渡ろうとした時、赤信号を無視したトラックが僕の方向目掛けて突っ込んできた。
(そうか、それで僕ははねられて、頭を強く打って記憶喪失に····)
でも、次の瞬間驚きの光景を目にしたのだ。
紡が僕を庇ったのだ。
僕がトラックに巻き込まれないように背中を押していた。
僕はその拍子にバランスを崩して、そのまま地面に頭を強く打ってしまい、気を失った。
多分、記憶喪失になったのはその後だろう。
紡は、トラックに巻き込まれて……。
そこで夢は途切れ、目が覚めた。
僕の中の全ての記憶がつながった。
どうして、両親は僕に幼なじみがいることを教えてくれなかったのか、分かった気がする。
記憶喪失になっていたから、真実を告げては可哀想だと思ったのか、僕のせいだと責めながら生きていってほしくなかったのか。
まぁ、何かしらの理由が会ったのだろう。
それに、紡に最初に会った時、僕はなんでいきなりここに来たの?と聞いた。
あの時、紡は返答に困っていたようだったけど、言えなかったんだ。
本当のことを。
自分がもうこの世にいないなんて僕に言えるはずがない。
ましてや、記憶を取り戻す手伝いなんて自分からは言いづらかっただろう。
あの時は僕が先にお願いしてしまったけれど、自分が突き飛ばしたせいで、とでも考えていたに違いない。
色々考えていたら、自然と目から水が出ていることに気づいた。
それが、涙だと気づいたのは空が明るくなってからのことだった。
僕はあれから、数時間の間ずっと涙を流していたらしく、朝食を運んで来てくれた看護師さんにとても驚かれた。
僕は咄嗟に目にゴミが入ってしまっただけだと嘘をついた。
紡に会ったらどんな顔をすればいいのだろう。
そうして、考えているうちに、時間は過ぎていき、紡と会う約束をしている時間になった。
病室のドアが開き、紡が姿を現した。
「やっほー、調子はどう?」
そして、いつものように僕の体の調子を聞いてくる。
その言葉に僕は答えている余裕もなく、しばらく黙っていた。
「砂輝?どうしたの?具合悪いの?」
僕の様子がおかしいと気づいたのか、紡が心配する言葉をかけてくれる。
まだ、昼間だし、話をするには充分時間がある。
ポケットにある物を確認してから僕は紡に言う。
「····紡、少し話をしないか?」
「話ってなに?ここじゃ駄目なの?」
「ここだとゆっくり話が出来ないから久しぶりに外に出よう、屋上なら人はあまりいないはずだから屋上に行こうか」
そんな提案をした。
屋上なら立ち入りは禁止されていないから。
外出は出来なくても外で話すことができる。
多分、これが紡との最後の会話になるだろう。
僕は心の中で静かに涙を流した。
屋上に移動して、辺りを見回すとちょうど二人がけのベンチが目に入った。
「あそこに座ろうか」
僕は紡にベンチに座るように促した。
紡も静かに腰を下ろした。
「病院の屋上なんて初めて来たよ、風が気持ちいいね」
紡は楽しそうに辺りをを眺めている。
「····昨日、紡に話したいことがあるって話したよね?」
僕が唐突に話し出すので紡は辺りを眺めるのを止めて僕の方に顔を向ける。
「うん、でも、天の川を見る時って話じゃなかったっけ?」
「少し長くなりそうだったし、紡にはゆっくり聞いてもらいたかったから」
「実は、紡にまだ話してなかったんだけど、僕の記憶……戻ったんだ、本当は少し前から徐々に思い出していたんだけど、紡のことを驚かせたくて全ての記憶が戻るまで黙っていたんだ」
「··········っ、そうなんだ、良かった、記憶が戻って」
「それで、紡に聞きたいことができた」
「なに?」
駄目だ。
話している途中で涙が溢れてきそうだ。
まだ、抑えろ、まだ、泣く時じゃない。
「········あの事故の日、紡はどうして僕を庇ったの?」
その瞬間、紡の表情が悲しげな表情に変わった。
「··········」
「頼むから、本当のことを教えて……ほしい」
僕は泣きそうになるのを必死で堪える。
「その質問に答える前に聞いてもいい?」
「··········いいよ」
「どうして、全ての記憶を思い出すことができたの?私、あえて事故の日の話はしなかったのに……」
なんとなく、そう感じていた。
最初は僕に気を遣って、事故当時のことを話さないものだと思っていたけれど、多分、僕に紡のことを思い出させないためだ。
「紡が初めて僕に会いに来てくれた時から、毎夜、不思議な夢を見るようになったんだ」
「不思議な夢?」
「うん、その夢を見る度、僕の失った記憶だと気づいたんだ、もちろん、事故の記憶も夢で見て思い出したんだ」
「まさか、夢が砂輝に味方するなんてね、それはもうどうしようもなかったってことか」
どうやら、僕が記憶を取り戻すことは紡の誤算だったらしい。
「今度は僕の質問に答えてくれるよね?」
「理由は単純だよ、私は砂輝のことが好きだから助けたの」
「····自分の命を犠牲にしてまで?」
「うん、そうだよ、私はその時に死んだの、でも、後悔はしてない」
「どうして?僕だって紡のことが好きだった、だから君には生きていてほしかったのに……」
自分でも告白するには勇気がいると思っていたけれど、今はそんなことを考えている余裕もなくて、勢いで言ってしまった。
「ふふ、嬉しいな、砂輝がそんなに素直に気持ちを伝えてくれるとは思ってなかった」
「····本当はね、砂輝を失ったらと思うと怖かった」
「········え?」
紡が珍しく弱音を吐いた。
幼なじみの僕でさえも、紡が弱音を吐いているところは見たことがなかった。
「私、クラスではいつも人気者に見えたでしょ?」
「····実際にそうだったんじゃないの?」
「違うよ、皆、私がクラスで目立ってたから一緒にいただけだって」
「····そんなこと」
「事故が起きたあの日、私の話のつまらなさに痺れを切らした子がいきなりそんなことを言ったの、あまりにショックでその日、本当は部活があったんだけど無断で帰っちゃったんだよね」
だから、あの日、紡が後を追いかけてきたんだ。
紡にしては、珍しいと思った、いつもなら部活があるから帰りは違う時間なのに。
「そのこと以外にも、最初から一緒にいなければよかったとか色々悪口言われてさ、さすがの私でも傷ついたよ」
「それで、悲しくて泣きそうになってたら、砂輝の姿を見つけてさ、思わず話しかけちゃった」
そんなことがあったなんて知らなかった。
紡がいつも通りすぎて、そんなこと気にも留めなかった。
「砂輝はいつも私を否定する言葉をかけたことはなかった、それどころか優しい言葉をくれた」
紡は悲しそうに言った。
そんなふうに思われていたとは少し驚きだった。
自分にとっては当たり前のことを言っただけなのに。
「そんな····、ただ、思ったことをそのまま口にしていただけで····」
紬は、ふふっと笑いながら「そういうところなんだけどなぁ」と呆れたように言った。
「でも、だからかなぁ?皆に嫌がられてたことを気づけなかったのは····」
泣きそうな顔をした紡に何かかける言葉はないかと必死に探した。
紡を励ましてあげられる言葉を探しているうちに、だんだんと紡の身体が透けてきていることに気づいた。
その状態を見ていたら紡のことを傷付けたクラスメイトに無性に腹が立った。
「そんなの····紡のせいじゃないじゃないか、なんで····皆、紡をわざわざ傷付けるような言葉ばかり口に出すんだよ」
自分でも歯止めが効かなくなって、次々と思っていたことが口から溢れ出してしまう。
「今更、紡を突き放したって余計紡の傷が深くなるだけじゃないか!!だったら、初めから紡と関わんなよ!!そうしたら、紡にはもっと違う人生があったはずだ!!」
もっと、言おうとしたことがたくさんあったのに、目から出た涙が頬をつたって溢れてきたので思うように喋ることができなかった。
「な……んで、もっ……と言いたい……こと、たくさ……んある……のに……」
僕が目をこすって涙を止めようとしても今まで我慢してきた分の涙が出てきて中々止まらない。
僕が無理やり涙を止めようとしていると、紡のぬくもりが僕の体を包み込んだ。
僕は少しして抱きしめられていることに気づく。
「····ありがとうね、私のために怒ってくれて」
「そ····んなの、当たり前····だろ?」
「····砂輝は本当に優しいね、そんな砂輝がいない世界なんて私には無理なの····」
瞬間、紡の手に少し力が入った。
「ごめんね、砂輝、一緒に生きていくことが出来なくて····私にはもうあまり、時間がない」
紡の身体を見ると、さっきより透明になっていた。
もう少しで消えてしまうことは確かなようだった。
(········どうか、もし本当に七夕の日に願い事が叶うなら、紡ともう少しだけ話す時間を下さい········)
僕は空に向かってそう願った。
七夕の日に願い事をするには短冊に願い事を書いて笹に吊るさなければいけないけれど、そんなことを考えている時間はなかった。
ただ、紡と話す時間が欲しかったのだ。
まだ、伝えられていないことがあるから。
僕が空に願った瞬間、急に周りが眩しくなり、僕は目をつぶった。
目を開けるとそこは僕が夢でよく見た水の中だった。
「なんで····こんなところに?」
僕は疑問に思っていると、あの不思議な光が現れて文字を映し出した。
“ この空間は君のもの。君が作り出した君だけの空間。君がこの空間を呼んでいたから君と同時に彼女も一緒に招き入れた”
(····えっ?ここが僕の空間?)
“ そう、ちなみにこの声は君にしか聞こえていないから私達と話す時は気をつけてね”
(····そうなんだ、教えてくれてありがとう、早速聞きたいことがあるんだけど)
“ どういたしまして、何?”
(····僕、今までこの空間に入るには眠るしか方法がなかったんだけど、どうして今、入ることが出来ているの?)
“ さっき言ったことそのまんまだよ、君がこの空間を呼んだんだ”
(····僕はただ、紡が消えてしまう前に少し話す時間が欲しくて····)
“ それだよ”
(·····え?)
“ 君の心残りは彼女なんだよ”
(····僕の心残りが紡?)
“ そして、彼女の心残りも君だ”
(····どういうこと?)
“ この空間はね、未練を残したまま死んでいった者と伝えたいことが伝えられないまま大切な人との最後の別れを迎えた者にだけ与えられる空間なんだ”
(····それじゃあ、僕にこの空間が与えられたのは伝えたいことが伝えられないまま大切な人との最後の別れを迎えたからってこと?)
“ そうだよ、そして、彼女も君に何かしらの未練を残したまま死んでいったんだ”
(····でも、じゃあ、なんで今までは夢の中だけでしか入れなかったの?)
“ 君が記憶を取り戻さないと彼女は君への未練を残したまま成仏できず、一生この世を彷徨うことになるところだったんだ”
(····じゃあ、紡を成仏させるための手伝いってこと?)
“ まあ、そういうこと”
(····でも、君達はどうしてそこまでして僕達を助けてくれるの?君達が手伝っても僕達にしかメリットはないと思うけど····)
“ 同じなんだよ私達も”
(····同じってどういうこと?)
“ 私達も大切な人に伝えたいことが伝えられないまま未練を残して亡くなった元人間なの”
(····元人間って····)
“ 私達は上手く成仏できなくてこの空間を作ったの、もう二度と私達と同じ思いをさせないようにって、今は魂だけになっているけれど”
(····君達はすごいね、その行動で多くの人々が救われたんだろうな)
“ ····救うことの出来なかった人間もいたよ····”
(····?、この空間に呼ぶことができなかったってこと?)
“ ····この空間を作った理由はさっきも話したよね?死んだ人間を上手く成仏させてあげるためにって”
(うん、そうだね)
“ 生きたまま未練を残している人間にはこの先も前を向いて生きていけるようにって願いからこの空間を作ったんだ”
(それは、すごくいい事だと思う)
“ ····ありがとう、でも、中には前を向くことが出来ず、いつまでも亡くなった人のことを引きずって生きること自体をやめた人もいたんだ”
(····生きること自体をやめたってことは····)
“ 君が思っている通りのことだよ、だから多くの人間を救えたわけではない”
(····ごめん、無責任なことを言って····)
“ 別にいいんだ、気にしていない、でも、君にはどうか生きてほしい”
(····どうして?)
“ 君は今までの人間と違って命を助けてもらった人間だ、だからその人の分まで生きてほしいんだ”
(····その人の分まで····)
“ まあ、こうは言っても最終的な判断は君に任せるよ、君がどっちの道を選んだとしても私達は今まで通りこの空間を呼んでいる人のところに行くだけだから”
(····分かった、色々とありがとう)
“ 君も私達の話を聞いてくれてありがとう、これまでの大勢の魂がまだここに残っているから話を聞いてくれて皆、喜んでいる”
(····それは良かった、話を聞くことは得意……ではないけれど好きなんだ)
“ それじゃあ最後に、後悔しないようにね、この空間は二人の未練が完全に無くなった時に消えるようになっているから”
そう言って、あの不思議な光は僕の前から消えていった。
さぁ、僕も後悔しないように紡としっかり話そう。
「ここはどこなの?」
いきなりこの空間に飛ばされて紡はすごく戸惑っていた。
「ここは、僕達のための空間らしい」
「私達の?」
「うん、二人の未練が完全に無くなるとこの空間は消える仕組みになっているんだって」
「つまり、私の魂を留めておく空間でもあるってことね」
「そういうこと、僕は紡にまだちゃんと伝えられていないことがあるからこの空間を呼んだ」
「私もまだ、砂輝に伝えられていないことがあるからちょうど良かった」
紡は心做しか少し嬉しそうだった。
「まず、僕から話してもいい?」
「さっき、私が少し話したしね、いいよ」
僕は深呼吸してから話す準備をする。
この空間は水中だけど、浮いているだけで息はできるし、かなり居心地がいい。
「じゃあ、まず、僕のせいで死なせてしまってごめん、それと紡が苦しんでいることに気づいてあげられなくてごめん、この二つだけは謝らせてほしい」
「何、言ってるの?砂輝が謝ることないよって言いたいところだけど伝えたいことを全て話すまでは口を挟まないようにする、言ってたらキリないし」
「ありがとう」
紡はこんな時でも気遣いができるのかと少し感心してしまった。
「あと、僕が記憶喪失になった時に色々助けてくれてありがとう、そのおかげで無事に記憶を取り戻せたし、あの時間も楽しかったから感謝してる」
言っているうちにまた涙が出てきたけどもう言葉は止めない。
「もっと……早く言っておけば良かったと思っているけれど……僕は紡のことが出会った時からずっと好きだった」
紡は微笑みながら涙を流していた。
「紡のしてくれる話はいつも……面白くて元気をもらってた、僕はこういう性格だから中々友達が出来なくて……本音を言えば寂しかった」
「でも……紡が話しかけてくれてからは、毎日が……楽しくて幸せだった、本当にありがとう……」
「これで、僕の言いたいことは全てだよ」
「……そんな、嬉しいこと……言われたから涙が出たじゃん……」
僕はもう紡が自分の話をするまでは話さないと決めている。
どんな事を言われても胸に秘めたまま、我慢すると。
「じゃあ……次は私からね、さっきの話にはもう何も言わないから、あの話は砂輝の伝えたいことだから私はその話をしっかり受け止めたから……」
「……さっきの話の続きをするね、この空間に入る前に砂輝が私に聞いたことについて……」
「あの事故の時、砂輝を庇ったのは……さっきも言ったけど、砂輝のことが好きだから……」
「あの時、砂輝を助けなかったらきっと私は自分を責めながら生きていくことになるんだと思ったの……」
「だって、私の生きがいは砂輝だったから……砂輝が居なくなったらきっと耐えられなくなると思って……砂輝を庇うために突き飛ばしたの……」
「……自分が死ぬことよりも砂輝が居なくなる方が耐えられなかった……」
「あとは単純に仕返し、私に悪口を言ったクラスの奴、私がその後に居なくなったらどんな顔するかなって……ちょっとしたイタズラ心だった……」
「ねぇ、今だけ聞いてもいい?話の途中だけど……」
「何?」
「私と仲良かったクラスの奴、どんな顔してた?」
「····なんであんなことを言ったんだろうって自分を責めてたよ、僕にはあの時なんの事か分からなかったけれど……」
「……やった、仕返しできた……」
「····私もね、砂輝には感謝してるの········」
「どんな時でも私から離れずにそばにいて寄り添ってくれていたから、ありがとね」
「砂輝はそんなことないって言うかもだけど、砂輝は一度だって私を拒絶したことなかったでしょ?」
「····私、それが本当に嬉しくて思わず惚れちゃった····口で言うの恥ずかしいね」
「良かった、両想いって分かって……自分が死んだ後に私からの一方的な片想いだったら、かなりへこんだかも」
「あとは……私に星を教えてくれてありがとう、砂輝が話す星の話は本当に面白くてさ、ずっと聞いていたいくらいだった」
「私、その話を聞いてからは……何か辛いことがある度に星空を見上げて元気をもらってた、砂輝のおかげだよ」
「····ここまでが私の伝えたかったこと、これからやることは最初で最後のお願いということで」
「何をするの?」
「砂輝、今からやること……何も言わずにただ受け止めてね」
「だから、どういう……」
僕が言いかけた時、紡は僕のことを抱きしめていた。
僕もそれに答えるように紡の背中に手を回した。
「····今から言うことは、独り言だから····」
僕は何も言わずにただ頷いた。
何も言わずに受け止めろと言われていたから。
「今までありがとう、楽しかったよ、元気でね、私はいつでも空から見守っているよ」
僕の涙腺がその時崩壊した。
紡との本当の別れを悟ったからだ。
もういくら止めようとしても僕の涙は止まらない。
この空間はもう少しで消えてしまう。
だから、その前に。
「····紡、最後に君に渡したいものがあるんだ」
「何?」
僕が前からずっと紡に渡したいと思っていたもの。
「····!これってもしかしてミサンガ?」
「そう、もう一度願い事をしながら足首に結んでみて」
「····ありがとう、なんか私を現したような色合いだね」
紡に作ったのは、黄色と橙色の暖色を基調としたミサンガだ。
そのミサンガを渡した直後、この空間が消え始める。
「またどこかで必ず会おう····」
「うん、約束する」
そう言って紡は最後に笑っていた。
二人で指切りをした瞬間、その空間は紡とともに消えていった。
その後、僕は無事に退院することができた。
両親もすごく喜んでくれていた。
紡のことを聞いたら、教えなくてごめんと謝っていた。
僕に辛い思いをさせたくなかったと言っていた。
別に謝ってほしかったわけではないけれど。
あの出来事があってから僕は星の勉強をたくさんした。
もっと多くの人に星の良さを知ってもらいたいと思い、知識をつけた。
そうして、今ではプラネタリウムの解説員をやっている。
この仕事にはやりがいを感じていたし、何より紡の好きな星に関する仕事だったからこの仕事をやっていれば紡が喜んでくれるような気がした。
だから、この仕事が好きだ。
そういえば今日、新人の子が来ると言っていた。
聞いていた時間だともうすぐだ。
そう思った時、ドアのノックの音がした。
「どうぞ」
ドアから入ってきたその人は僕の前に立った。
僕はその人の身につけている物に真っ先に目がいった。
「はじめまして、今日からお世話になります。木更津 結羽です。よろしくお願いします」
「木更津さんですね、僕は一ノ瀬砂輝です。今日からよろしくお願いします、ところでその手に身につけているものは?」
「あ、アクセサリーは駄目でしたか?」
「い、いえ、すみません、そういう訳ではなくてただ個人的に気になったもので……」
何故、木更津さんが本来持っていないはずの“ 僕が紡に渡したミサンガ”を持っているのか。
「····これはですね、少し不思議なミサンガなんです····」
「不思議というと?」
「私が産まれてすぐに急に私の腕に付いていたらしいんです、でも、両親や祖父母は私にあげた記憶はないと言っていて····」
紡の魂が転生したのだろうか?
紡と別れる前にまた会うと約束したから。
転生という意味でまた会おうと約束してくれたのだろうか?
その証拠にミサンガが彼女の腕に現れているし。
でも、彼女の場合は魂の持ち主の記憶が無いみたいだ。
もしかして、紡の記憶以外のものを受け継いだのか?
だとしたら試してみる価値はある。
「そうだったんだ、大切にしているんだね、そのミサンガ」
彼女は嬉しそうな顔をしながら「はい、何故か大切にしなくちゃと思いまして····この色合いも好きなんです」そう言って笑った。
その笑顔は十数年ぶりに見た、紡のあの太陽のような笑顔にそっくりだった。
「········!」
僕は一瞬固まってしまった。
懐かしいと思ったから、この笑顔をもう一度見たいと思っていたから。
「木更津さんは、どうしてプラネタリウムの解説員になろうと思ったの?」
この答え次第で彼女の魂が誰のものであるのかが分かる。
「····私、星が好きなんです、その中でも特に好きな星が夏の大三角なんです」
「!····そうなんだね、僕も夏の大三角が一番好きなんだ」
「あ、じゃあ、一緒ですね」
コロコロと変わる彼女の表情を見ていると、まるで昔に戻ったような感じがした。
また、当分は彼女から離れられなくなるのだろう。
紡の面影が彼女にある限りは。
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