聖域の森へ忍び寄る足音

花垣 雷

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第一章:聖域の微睡み(まどろみ)

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霧がかる聖域の森

木漏れ日が、幾重にも重なる翡翠の葉を透かして、柔らかな光の粒子を降らせている。

外界から隔絶された「聖域の森」。そこは時が止まったかのように静かで、ただ精霊たちのささやきと、名もなき小鳥たちのさえずりだけが満ちていた。
森の奥深く、古びた祭壇の前で、一人の女性が膝をついている。

『セレーナ』
かつてその膨大な魔力で国全土に結界を張り、民を災厄から守り続けた「生ける守護神」と呼ばれた王女だ。
彼女は、記録上では死んでいる。

昔、魔力を極限まで搾り取られ、暴走の果てに命を散らしたはずの悲劇の聖女。しかし、彼女は今、こうして静かに祈りを捧げている。

彼女の顔の上半分は、繊細な白いレースによって覆われていた。

かつて、国中の期待と羨望を一身に受け止めていたその瞳は、今はもう、光を映すことはない。魔力暴走の代償として、彼女の視力と、そして「王女」としての身分は失われたのだ。

「……ああ、今日も、皆、歌っているのね」

セレーナが微かに唇を動かすと、彼女の周囲を漂う淡い燐光——精霊たちが、嬉しそうにパチパチと音を立てて弾けた。肩に止まった青い小鳥が、彼女の銀髪を優しく突っつく。

彼女にとって、この静寂こそが唯一の救いだった。

かつて、彼女の耳に届くのは、救いを求める民の叫びか、彼女の力を利用しようとする者たちの醜い欲望の声ばかりだった。

セレーナの細い指先が、胸の前で組まれる。
彼女は今、誰のために祈っているのか。自分を使い潰した国のためか、それとも自分を死んだことにした王家のためか。

「私は、ここでいい……」

風が彼女のドレスを揺らす。
彼女を縛る重い王冠も、肩を圧迫する聖女の法衣もない。ただ、レースの奥にある虚無の瞳だけが、見えない空を仰いでいた。

外界は、彼女が死んだことで新しい時代を歩んでいるだろう。彼女を忘却の彼方へ追いやり、平和を謳歌しているはずだ。

それでいい。

それが、彼女がその身を削って守りたかった結果なのだから。

しかし、時折、精霊たちが騒ぎ出すことがある。
聖域の結界を叩く、何者かの足音。
彼女の「生存」を信じ、後追う者か?

セレーナはただ、静かに、深く。
小鳥のさえずりに耳を傾けながら、今日も終わりのない祈りを続けていた。
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