横浜で空に一番近いカフェ

みつまめ つぼみ

文字の大きさ
4 / 13
第1章:空から見下ろす場所

4.

しおりを挟む
 午前十時、関内駅で降りた千晴が横浜スタジアム側の出口に出る。

 スーツ姿の天流が壁際でたたずみ、千晴を見つけて微笑んだ。

 千晴がそばに近寄ると、天流が告げる。

「よく来てくれたね。
 ここから少し歩くけど、大丈夫?」

「どれくらいですか?」

「ん~十分くらいかな」

 歩きだした天流のあとを、千晴が追いかける。

「今日もしっぽはつけてないんですね」

 天流が楽しそうに笑い声をあげた。

「あれは特別なアクセサリーだからね」

「お店はどうしたんですか?」

「休みをもらってあるよ」

 ――そこまでして私に下見させたいのか。

 千晴は天流と一緒に北方面に歩いて行く。

 天流が千晴に尋ねる。

「この辺にはよく来るの?」

「伊勢佐木町なら、多少は」

「じゃあ、みなとみらいは?」

 千晴が眉をひそめて応える。

「あんな観光地価格の場所、用事がなきゃ行きませんよ」

 横浜駅周辺や伊勢佐木町、なんなら元町で大抵のものはそろう。

 洒落たものが欲しければ、自由が丘に出ても良い。

 地元民がみなとみらいに行きたがるのは、滅多にない。

 珍しい物はあるが高いばかりで人が多く、疲れるだけだ。

 千晴がそう告げると、天流が楽しそうに笑い声をあげていた。


 十分少し歩くと、天流が区画の角にあるマンションの前で止まった。

「ここだよ。ついてきて」

 エントランスに入ると、壁には郵便受けが並んでいた。

 脇にはインターホンが設置されている。

 その奥にはまたドアがあり、天流はそれにスマホをかざす。

 カチリと音がしてロックが解除され、天流がドアを開けた。

「さぁ、こっちだ」

 千晴がうなずいて天流のあとに続き、エレベーターに乗りこんだ。

 天流がコンソールを操作するとドアが閉まり、エレベーターは上へと上がっていった。




****

 エレベーターが七階で止まり、天流がドアを手で押さえた。

「ここだよ、さぁ降りて」

 千晴が先に降り、そのあとから天流が続く。

 天流が千晴を追い越して歩く先には、一人の老齢男性が立っていた。

「すまない克己、待たせたかな」

 老齢男性――克己が天流を見て微笑んだ。

「いや、大して待っとりゃせんよ。
 後ろの子が入居希望者かな?」

 千晴が眉をひそめて応える。

「今日は下見に来ただけです。
 ――あなたは誰ですか?」

 天流が横から千晴に告げる。

「このビルのオーナー、俵克己だよ。
 私の古い友人なんだ」

 克己がニカっと千晴に笑いかけた。

「鞍馬の知人なら、無料でも貸してやるぞ?」

 千晴が思わず手を横に振った。

「そんな、悪いですよ!」

 克己が楽し気に笑いながら応える。

「まぁそうだろうな。
 ――どれ、いま鍵を開けてやる」

 克己がスマホをドアにかざすと、ロックが外れる音がした。

 天流がドアを手で示して千晴に告げる。

「さぁどうぞ、思う存分に」

 千晴がおずおずとドアノブに手を伸ばし、ゆっくりと回していく。

 ドアを引くと、わずかな音を立ててドアが開いて行った。

 千晴は緊張しながら、新築の玄関に足を踏み入れた。




****

 玄関から上がると、フローリングの短い廊下が待っていた。

 トイレとバスルームらしき扉を素通りし、廊下を抜ける。

 広いワンルーム、十畳はあろうかという広さだ。

 南向きの窓で採光もしっかりしている。

 振り返ると、北側にはカウンターキッチンがついていた。

 料理をするには充分な広さだ。

 東側にはクローゼットと押し入れがあり、容量もたっぷりある。

 窓を開けると遠くから電車の音が聞こえ、ビルの向こうに線路が見えた。

「すご……これが二万円なの?」

 思わずもらした千晴の言葉に、克己が笑って応える。

「共益費込みで二万。これ以上は、あんたが嫌だろう?」

「――共益費込み?!
 それでいいんですか?!」

 振り返った千晴に、克己はニヤリと微笑んだ。

「鞍馬の紹介だからな。
 そういう相手には無条件で貸している。
 あんたが住みたいだけ住んでいて構わんぞ」

 館内徒歩十分、新築ワンルーム。

 トイレバスが分かれていたら、十万どころじゃないだろう。

「……洗濯機はどうなるんですか?」

「んー? 脱衣所に備え付けの全自動が置いてある。
 気に入らないなら取り換えるから、希望の機種を言ってくれ」

 呆然とする千春に、天流が微笑んで告げる。

「どうかな? 悪くない物件だと思うんだけど」

「……どうして、こんな物件を?」

 天流がニヤリと笑って告げる。

「こういうことさ――」

 天流の足元から煙が立ち上り、その全身を覆い隠した。

 煙が消えるとそこには、長い白髪をした天流の姿。

 背後には天を突くようなしっぽがそそり立っている。

 天流が楽し気な笑みで告げる。

「君は私の姿を見た――だから、囲い込んでおきたいんだ」

 頭が真っ白になった千晴は、天流の姿を見てただ茫然としていた。




****

 克己が楽しそうに笑って告げる。

「鞍馬のその姿を見るのも、久しぶりだな」

「最近はずっと隠してたからね」

 二人の会話に、千晴がようやく言葉を絞り出す。

「……オーナーは、天流さんのこと知ってるの?」

 克己がうなずいて応える。

「ああ。知ってるとも。
 こいつは天狐――狐の『あやかし』だ。
 このマンションを建てる前、敷地にあった稲荷神社に住んでいた。
 今は神社を屋上に移してあるがな」

「私を囲うって……」

 天流が微笑んで応える。

「外で私のことを口外されても困るからね。
 そういうことが無いよう、身近で見張っておきたいんだ」

「なんで、最初はさっきみたいにちゃんと隠してなかったのよ……」

 天流がチャーミングなウィンクを飛ばして応える。

「『あやかし』が見える人間ってのは珍しいんだ。
 だからちょっと油断して気を抜いていた。
 最近連勤だったからね、疲れてたのかな」

 千晴が脱力してフローリングにへたり込んだ。

 新築の木材の香りが、ふわりと鼻をくすぐる。

 千晴の頭の中は混乱するばかりだ。

 仕事を辞めたと思ったら、狐の『あやかし』に憑りつかれていた。

 今さら再就職を白紙にしようとしても、新卒二年目で自主退職。

 拾ってくれる企業は多くはない。

 貯金が尽きるのは明白だった。

 そんな千晴を見た克己が、その方に手を置いた。

「心配するこたーないぞ?
 鞍馬は悪い『あやかし』じゃない。
 ありがた~い天狐だからな。
 ――どれ、引っ越し業者も見繕ってやろうか?」

 千晴は力のない声で応える。

「少し……考えさせてください」

「ん? そうか。
 まぁ嫌なら構わんよ。
 無理強いする気はないからな」

 そう言うと克己は、壁際で天流と世間話を始めた。

 千晴はこれからどうしようか途方に暮れながら、目の前の天流を見つめて居た。




****

 再就職先を探す苦労を嫌がる心。

 一人暮らしをしてみたい冒険心。

 そんな気持ちが千晴の心を押した。

 ――決めた。

 立ち上がった千晴が、天流に告げる。

「天流さん、ここで私が逃げても追いかけてくるんでしょ?」

 天流がニコリと微笑んで応える。

「それは君の想像に任せるよ」

「それなら、ここに住むわよ。
 ――でも! 合鍵を持ってるとかは無しよ?!」

 天流が両手を上げて降参ポーズを取った。

「持っていないとも――稲荷様に誓うよ」

 ふぅ、と千晴がため息をつく。

「それで? 私はいつここに引っ越してくればいいの?」

「そうだなぁ……。
 ――克己、どれくらいかかる?」

 克己が顎に手を当てながら応える。

「まぁ独り身用のプランなら、三日で用意させられる。
 敷金礼金はなし、退去時も別に金はとらん。
 これで構わんか?」

 まさに至れり尽くせりだ。

 千晴は力なくうなずいた。

「わかったわ、それまでに荷造りすればいいのね?」

「んー荷づくり支援のサービスもつけるぞ?
 あんたは『何を持ち込むか』だけ指示すればいい」

 千晴が克己を見て尋ねる。

「それって、引っ越し費用も持ってくれるってこと?」

「嫌なら自腹でも構わんが、荷物の量次第では結構かかるぞ?」

「……いえ、こうなったら厚意は有難く受け取っておくわ」

 克己が満足げにうなずいた。

「ああ、そうするといい。
 転職してすぐは金が心もとないだろう。
 節約できる分は、節約しておきなさい」

 千晴は小さくうなずいたあと、深いため息をついた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮一の美姫と呼ばれても、わたくしの想い人は皇帝陛下じゃない

ちゃっぷ
キャラ文芸
とある役人の娘は、大変見目麗しかった。 けれど美しい娘は自分の見た目が嫌で、見た目を褒めそやす人たちは嫌いだった。 そんな彼女が好きになったのは、彼女の容姿について何も言わない人。 密かに想いを寄せ続けていたけれど、想い人に好きと伝えることができず、その内にその人は宦官となって後宮に行ってしまった。 想いを告げられなかった美しい娘は、せめてその人のそばにいたいと、皇帝の妃となって後宮に入ることを決意する。 「そなたは後宮一の美姫だな」 後宮に入ると、皇帝にそう言われた。 皇帝という人物も、結局は見た目か……どんなに見た目を褒められようとも、わたくしの想い人は皇帝陛下じゃない。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました

専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

それは、ホントに不可抗力で。

樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。 「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」 その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。 恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。 まさにいま、開始のゴングが鳴った。 まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。

子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちだというのに。 入社して配属一日目。 直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。 中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。 彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。 それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。 「俺が、悪いのか」 人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。 けれど。 「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」 あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちなのに。 星谷桐子 22歳 システム開発会社営業事務 中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手 自分の非はちゃんと認める子 頑張り屋さん × 京塚大介 32歳 システム開発会社営業事務 主任 ツンツンあたまで目つき悪い 態度もでかくて人に恐怖を与えがち 5歳の娘にデレデレな愛妻家 いまでも亡くなった妻を愛している 私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?

溺愛ダーリンと逆シークレットベビー

吉野葉月
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。 立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。 優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?

処理中です...