宝石のような時間をどうぞ

みつまめ つぼみ

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第1章:不思議な喫茶店

1.

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 四月の海風が吹く海岸通りを、一人の少女が歩いていた。

 肩に届くストレートショートボブの、快活そうな女の子だ。

 だが見た目と反してちょっとどんくさい、そんな子だった。

 公立潮原しおはら高等学校の制服を着た彼女は、入学したての一年生だ。

 その彼女の目が、奥まった場所にある喫茶店に向けられた。

 その目の先にあるのは求人広告。

 『バイト募集中』と書いてある紙に引き寄せられるように、彼女は店に近づいて行った。

 大学進学費用を少しでも稼ぐため、彼女がバイトを探していたのもある。

 しかしそれ以上に、不思議な力に吸い寄せられるように彼女は店の扉に手をかけ、店内に消えていった。

 それと同時に辺りに突然霧が立ち込め、霧が晴れたあとには、喫茶店の代わりに小さな古びたやしろが建っていた。




****

 カランコロンと、ドアベルが可愛い音を鳴り響かせる。

 おそるおそる中に入りながら、店内を見回した。

 落ち着いた店内は木製のテーブルと椅子が並んでいて、海からの日差しが程よく差し込んでいた。

 コーヒーの香りが鼻をくすぐるのを感じながら、カウンターを見る――誰もいない?

「あのー、すいませーん。表の求人広告を見たんですけどー」

 外国の静かな音楽が流れる中で、足を止めて待ってみた。

 しばらくして、カウンター奥の扉が開いて、若い男の人が顔を出す。

 艶やかな黒髪をした、二十代後半くらいの優しそうなお兄さんだ。

 それにしても、顔が良いな?!

 目の色も、琥珀色?! 外国人なの?!

 その瞳は宝石のようにキラキラと輝いて見えた。

 白いシャツに黒のベストとネクタイ、それにスラックスを合わせている。

 すらっと背が高くて足も長い。なんだか洗練されてるなぁ。

 彼はニコリと微笑んで私に告げる。

「今のは君かな? 外の『バイト募集』を見たのかい?」

「は、はい! あの、自信はないんですけど、雇ってもらえませんか!」

 彼は私の全身を一瞥すると、エプロンを付けて隅の席を手で示した。

「とりあえず、そこの席で座って待っていてくれるかな。
 コーヒーでいい? それとも、紅茶にしておく?」

「あの、じゃあ紅茶で!」

 お湯を沸かし始めた店員さんを見ながら、私は言われた奥の席に座った。

 えーと、こういう時はスマホをマナーモードにしてっと。

 隅の席から店員さんを観察してみる。

 さっきも驚いたけど、あのお兄さんって芸能人並みに顔がよくない?

 日本語が流暢だけど、混血ダブルなのかな?

 静かな音楽が流れる店内の雰囲気は、不思議と浮ついた気分を鎮めてくれる。

 お兄さんが流れるような動きでコーヒーを入れていき、店内に香ばしい香りが満ちていく。

 その香りを胸に吸い込んで、『今度はコーヒーも飲んでみようかな?』とか思ったりもした。


 お兄さんがトレイにカップを二つと、ケーキを一つ載せて運んでくる。

「――お待たせ、それじゃあ少し、話を聞かせて持ってもいいかな」

 コトリと静かに私の前に、紅茶とケーキが置かれた。

「あの、ケーキのお金なんて、持ってないですよ?!」

 お兄さんは穏やかに微笑んで応える。

「ただのサービスだから、遠慮せずに食べて。
 それより君は、潮原しおばら高校の生徒、でいいのかな?」

「はい、今月入学しました。伊勢佐木いせざき朝陽あさひといいます」

 お兄さんはコーヒーを一口飲みながら、私の顔を見つめているようだった。

「僕は小金井こがねい辰巳たつみ、ここのマスターだよ」

 私の、紅茶に伸ばそうと伸ばしていた手が止まった。

「え?! 店員さんじゃなくて、マスターなんですか?!」

 お兄さん――マスターがニコリと微笑んだ。

「うん、そうなんだ」

「若いのにマスターなんて、すごいですねぇ」

「そんなことないさ、ちょっと趣味が高じて店を構えているだけだからね」

 私は紅茶を一口飲んだ――柑橘類の香りが鼻の奥に広がっていく。

「ひとつ聞いても良いですか?
 マスターは日本人、なんですよね?」

「うん、そうだよ? 突然どうしたの?」

「だって、目の色が……」

 マスターがクスリと笑って応える。

「ただのカラーコンタクトだよ。
 宝石の喫茶店カフェ・ド・ビジュー・セレニテだから、ちょっと洒落てみたんだ。
 宝石の目を持ったマスターが営む喫茶店――どう? 少しは客引きにならない?」

 どちらかというと、その顔面だけで充分に若い女子がやってきそうな……。

「そ、そうですね! 素敵だと思います!」

 私はごまかしの言葉を口にしながら、ケーキにフォークを入れていた。

 ケーキを口に運んで味わうと、甘いショートケーキが口の中でとろけていく。

「――美味しい! なんですかこれ!」

 今まで食べてきたショートケーキと、全然違う味わい!

 スポンジまでが甘くとろけるこの感じ、レアチーズケーキみたいだ!

 マスターが嬉しそうにうなずいていた。

「この店を見つけられたこと、表の求人広告が見えたこと、そしてなにより、そのケーキの味がわかること。
 ――合格だ。伊勢佐木いせざきさん、君をこの店でバイトとして雇おう」

 私はフォークをくわえたまま、きょとんとマスターの顔を見てしまった。

「え? 今ので合格なんですか?」

「そうだよ? お店の出すメニューに満足できない人なんて、雇えないだろう?」

 それは……そうかもしれないけど。

 なんだかおかしな店だなぁ。

 だってそれ以外の条件がおかしくない?

 私が困惑していると、マスターが立ち上がって私に告げる。

「今、契約書を持ってくるから。
 親御さんの印鑑をもらったら、明日またここに持ってきて」

「はぁ……」

 奥の扉に向かうマスターの背中を、私はあっけに取られて見つめて居た。




****

「――はぁ、美味しかった!」

 ケーキはあっという間に食べ終わってしまった。

 少しフルーティな紅茶も、ケーキによく合っていた。

 奥の扉からマスターが出てきて、私の前に紙きれを一枚置いた。

「これが雇用契約書だよ。
 ここと――ここ。
 君と保護者の署名と印鑑、忘れずにね」

 私は鞄を開け、クリアケースを取り出して中に雇用契約書を大切にしまった。

「わかりました。
 また明日、学校帰りに立ち寄りますね」

「シフトは明日からでも構わないかな?」

「明日からですか? でもその……お店、暇じゃないんですか?」

 クスリとマスターが笑った。

「君が働きだしたら、すぐに忙しくなるよ。
 その前に、覚えてもらいたいこともあるしね」

「そうなんですか?
 私の予定は空いてますから、大丈夫ですけど……。
 わかりました、明日からですね?」

「うん、よろしくね。
 帰りが暗くなる時は、僕が駅まで送っていくよ」

「はい、わかりました!
 それじゃあ明日から、よろしくお願いします!
 ケーキ、本当に美味しかったです!」

 私は立ち上がってお辞儀をすると、笑顔でマスターと別れて店の外に出た。

 ……あれ? 私が駅を使ってるって、言ったっけ?

 ま、いいか!

 私は夕暮れの中を、ご機嫌な気分で駅に向かって歩きだした。




****

「――という訳で、バイト先が決まったから名前書いてよ、お母さん」

 お母さんも少し困惑しながら話を聞いていた。

「変なお店ね。
 あなたのバイト経験も何も聞かなかったの?」

「だって私は高一だよ?
 バイト経験なんて、あるわけないじゃん」

「じゃあ、年齢もちゃんと伝えたのね?」

 ……伝えてないな。

 あっれー?

 首をかしげている私に、お母さんがため息をついた。

「あなた、そうやって変な所が抜けてるから心配よ。
 私が一度、見に行った方がいいかもしれないわ」

「そんな! お母さんは仕事があるでしょう?!」

 お母さんは眉をひそめて困っていた。

「そうなんだけど……本当に怪しいお店じゃなかったの?」

「普通の喫茶店だよ。
 明るいし、通りに面してるし、変なお店じゃないって」

 お母さんは雇用契約書に書いてあるお店の電話番号を睨み付けていた。

「……ちょっと電話をかけてみるわね」

 え、もう八時過ぎだけど。

 マスターもお店から帰ってる時間じゃない?

 お母さんがスマホをタップしていき、呼び出し音が私にも聞こえた。

「――あ、伊勢佐木いせざきの母ですが。
 ええ、そうです。バイトの件で。
 明日、娘と一緒にそちらにお伺いしてもよろしいですか?
 ……え? ああ、まぁ、それでも構いませんけど。
 はい、はい、わかりました。失礼します」

 おそるおそる恐るお母さんに尋ねる。

「どうなったの?」

「『次の休みにいらしてください』ですって。
 『それまでは試用期間として来ていただいても構いませんか』って。
 そこまで言うなら、週末まで通ってみなさい。
 でも、きちんと防犯対策はしておきなさいよ?」

「ほんと? やったー!」

 私は両手を上げて喜んでいた。
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