夏の雨、その夜の恋を忘れない

桜 詩

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公爵家の婚礼前夜

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「遠慮せず、借りればいいのに」

楽譜を見ながら、指を動かしているとラファエルがそう言ってくる。譜面のみで、実際には弾かずとも多少の練習は出来る。
それくらい幼い頃からピアノには慣れ親しんできている。

「…そんな事、ここで言えると思う?」
ティファニーからしてみれば、公爵家なんて格が上過ぎて使用人にすら気後れをする。なにせ、令嬢らしい扱いも受けず、そしてデビュー前には没落寸前だったと言ってもいい家で育ってきたのだ。

「…そうか…。ごめん」

明日弾いて聞かせる、と約束してしまったからには練習はしたい。多分、ここの女主人であるエレナにしてもラファエルと同じくピアノくらい勝手に使って構わないと思っているだろうけれど…。

夕方に、客人用の小さな広間で食事を摂っているときに、さりげなくラファエルが従者に使っていいピアノがあるかと聞いてくれた。

「それでしたら食事の後にご案内させていただきます」
「頼むよ」
ラファエルが微笑んで言った。
ジョルダンから送られてきたピアノソナタはなかなかの難曲であるから、練習出来るのはとても助かる。

夕方過ぎに、フェリクスと共にルナとブロンテ家一家がウィンスレット邸に到着した、とティファニーとラファエルは聞いたが、皆疲れているだろうからと挨拶は翌朝にすることにした。

ウィンスレット邸では結婚式の為に、花やリボンが飾られ華やいだ雰囲気となってきている。続々とウィンスレットの親族たちも集まり一気に人が増えエレナはとても女主人として忙しくしている。
ティファニーはと言えば、みんなが忙しそうであるが何も手伝える事もなく、従者の教えてくれた小広間にあるピアノで、ピアノソナタの練習にいそしんでいた。

「精がでるね」
「だって…下手な演奏、出来ないもの」
「らしくないよ?ティファニーはいつももっと…楽しそうに弾いているのに、上手く弾かないとって思ってない?」
「あ…」
ラファエルに言われて、力みすぎていたかと気づく。

「少しは休憩したら?」

そう言うラファエルはピアノの横にあった楽器の中からヴァイオリンを手にしている。ケースから取り出したそれは、艶々としていて美しい。
「ヴァイオリン…弾けるんだ」

楽器の素養は貴族にとっては必須と言ってもいい。だからラファエルが楽器を弾いても不思議ではないがティファニーは始めて見たのだ…。
「最近サボりぎみだからね、ティファニーを見ているとちゃんとしないといけないと思って」
にっとラファエルは笑うと、弓を確かめるように振ってヴァイオリンを構えた。

構えると、金の髪が伏せた瞼の上にハラリとかかり色香を感じさせとてもカッコいい…。
弦の上を長い指が滑らかに動き、音を奏で指ならしらしい練習曲を艶やかに紡ぎだした。
はじめて聞くラファエルの演奏にティファニーは拍手した。
「…すごい…かっこいい~」
「なに、それ」
ラファエルは笑った。
「ヴァイオリンソナタ、弾ける?」
「うん、多分…」
ティファニーはラファエルが出してきた楽譜を見ながら、ピアノて伴奏する。華やかで美しい曲に、ティファニーの気持ちもほぐれていく。

「一緒に弾いたのはじめて…」
ラファエルだけでなく、他の奏者とも初めてであり、その重なりあう音に気分がとても高揚する。
「そうだったな」
にっこりとティファニーは微笑むと、
「ピアノは?」
「少しだな、あんまり上手くない」
「じゃあもうちょっと、ヴァイオリン弾いてほしい」
ティファニーが期待を込めてみると、ラファエルは仕方ないという顔である。
「…わかったよ…」

ラファエルは弓を弦にあてると、全身を使って迫力のある演奏を始める。一人じめして聴けるなんてとても贅沢だ…!

「ふぅ…ひさしぶりに本気で弾いた…」
ニヤリと笑って優雅にお辞儀をする。
「いかがでしたか?」
「とっても素晴らしかったわ、ラファエル卿」
ティファニーはラファエルに向かって貴婦人のようにおどけて見せた。他愛のないやり取りがとても心地よくて幸せを感じられる。


翌朝には、客室の方にある広間に用意された朝食の席で、ティファニーは久しぶりにブロンテ家の人々と再開した。

「父上、母上、お久しぶりです。姉上たちも元気そうで」
ラファエルが挨拶をして、ティファニーも横に立ちお辞儀をする。
「ラファエルとティファニーも元気そうで良かった。旅は順調だったようだな」
「はい、つつがなく」

「旅なんて羨ましいわ」
ルシアンナが隣にいるアルバートに微笑みを向けながら言う。
(アルバートのいない)普段のルシアンナからは想像できないくらいの、可愛らしくて柔らかい笑みだ。
「そうだね、私たちもどこかによって帰ろうか?」
アルバートも穏やかな笑みをルシアンナに向けている。

「是非…とても楽しかったです」
ティファニーはルシアンナとアルバートに笑みを向けた。

和やかな朝食の席をひとしきり過ごしてからティファニーは、旅のお土産皆に渡してまわった。みなそれぞれに喜んで貰えたので、ティファニーも嬉しくなった。

その日のお茶は、エレナとジョージアナ、それからブロンテ家の姉妹とで広間で集まった。その席には昨日エレナが注文したお菓子が並ぶ。
「レオノーラ様、ヴィクターを抱かせて」
にこにことジョージアナがレオノーラに言う。
「もちろん」

部屋のゆりかごでパタパタと手足を動かしていたヴィクターは産まれたその時から思えばとても丸々としてとても大きくなりより愛らしくなった。
キースのミニチュアを抱き上げたジョージアナは、意外なほど抱き上げる手つきは危なげない。
「キースそっくり」
くすくすとジョージアナは笑う。
「そうなんだここまでそっくりに産まれてくるなんて不思議だな」
レオノーラも笑っている。
「ステファニーお姉様は男の子と女の子、どちらがいい?」
ルナがわくわくといった雰囲気で聞いている。
「私はどちらでも元気に産まれてくれたらそれでいいわ」
ステファニーは丸みをおびたお腹を撫でた。
「アンドリューもどちらでも良いって言っているし…」

「そうだね、元気に産まれてくれたらそれで十分だ」
にっこりとレオノーラが笑って言う。
「そうね、それが一番よね」
エレナが微笑んで同意する。
「私もついにおばあちゃまになってしまったわ…嬉しいけれど」うふふと、リリアナが笑ってヴィクターをあやす。
「ね、ティファニーは最初はどっちが嬉しい?」
ルナがにこにこと聞いてくる。
「え?どっちって?」
「もう、聞いてなかったの?一人目は男の子と女の子、どっちがいい?」
「え、私がって事?」
「そうよ。だって結婚もしたし次はティファニーの所じゃない?」
ふふふっと微笑まれてティファニーは戸惑う。
「まだ、そんなの早いわよ…結婚したところなのだし…」
「そんな事言って、シャーロットは結婚してすぐに出来たわよ」
ジョージアナがからかうように言ってくる。
「それを言うなら、レディ ジョージアナだって…」
「う、うち…!」
「そうですよ」
「まぁ、そのうちにとは…」
ジョージアナは歯切れ悪く言う。

結婚をすると、どうしても話題はこう子供の話になっていくのだろうか…。考えられない…考えたくないのは、無意識の恐れなのか…。

「そうね、ここにはみんな新婚のレディが揃ってるのねぇ」
リリアナがしみじみと言う。
「次にまた赤ちゃんが誕生するのが楽しみだわ」
「あ、ねえルナはエレナの事をなんと呼ぶつもり?」
「私はお義母様と呼べますよ?でも、レディ エレナはまだお若いですし…」
ちらりとルナはエレナを見た。
「私もどちらでも構わないわ」
にっこりと微笑む。
どう呼ぶかで、話題は盛り上がりお茶会は過ぎていった。女性たちの話題はとてもコロコロと変わっていく…次から次へと…。
その事に少し安堵させられもする。

そうして、いよいよ婚礼前夜の晩餐は、集った人々と全員でとなりとても豪勢な物となった。
「ティファニー、演奏お願い出来る?」
「はい」

「レディ ティファニーが新しいピアノソナタをこれから披露してくれます」
エレナが客人たちに伝えて、晩餐の終盤で会話に盛り上がっている人々に伝える。
ティファニーはクロイス以来の大勢の前での演奏に高揚する気持ちを感じた。

美しくも複雑な音色をティファニーの指先から紡ぎだす。
さすがに公爵邸にあるピアノというべきか、最高級のピアノは素晴らしい音を奏でる。
第四楽章まであるこの曲を最後まで弾くのはかなりの体力を要したが、ティファニーは弾ききった。

最後の1音を弾き終えて、ティファニーはお辞儀をするとみんなが拍手を贈ってくれる。
「素晴らしい」
ライアンが誉め称え、他の人々もうなずき同意してくれ、ティファニーは微笑みを返した。

明日はいよいよ、ルナの結婚式でありみんな前祝いとばかりに、機嫌がよく楽しげな空気が漂っていた。



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